津地方裁判所四日市支部 昭和42年(ワ)138号 判決 1972年7月24日
【判決】
当事者の表示は、別紙一当事者目録記載のとおり。
主文
1 被告らは、各自
原告塩野輝美に対し金一、一二九万九、四九二円
同 中村栄吉に対し金一、〇〇〇万二、五八六円
同 柴崎利明に対し金一、四七五万一、六七七円
同 藤田一雄に対し金一、一六七万五、二五二円
同 石田かつに対し金三七一万七、〇〇二円
同 野田之一に対し金一、一九六万三、一五六円
同 石田喜知松に対し金五五二万四、四三四円
および右各金員のうち各金二〇〇万円に対する昭和四二年九月一〇日から、その余の各金員に対する昭和四六年一二月八日からいずれも支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、各自原告今村末雄に対し、金五九一万二、八三六円およびこれに対する昭和四四年三月一五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告らは、各自
原告瀬尾清二に対し金四四五万五、一三〇円
同 瀬尾喜代子に対し金二九七万八六円
同 瀬尾日登美に対し金二九七万八六円
同 瀬尾篤哉に対し金二九七万八六円
および右各金員に対する昭和四六年七月一一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
4 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は、被告らの負担とする。
6 この判決の1ないし3項は、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら(請求の趣旨)
1 被告らは、各自、
原告 塩野輝美に対し金三、五八二万六、一〇〇円
同 中村栄吉に対し金一、八五〇万九、八〇〇円
同 柴崎利明に対し金三、二六三万〇、六〇〇円
同 藤田一雄に対し金一、八五二万八、三〇〇円
同 石田かつに対し金一、〇九三万六、九〇〇円
同 野田之一に対し金三、五八二万六、一〇〇円
同 石田喜知松に対し金一、三〇五万二、八〇〇円
および右各金員のうち各金二〇〇万円に対する昭和四二年九月一〇日から、その余の各金員に対する昭和四六年一二月八日からいずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告らは、各自、原告今村末雄に対し金一、三六五万一、四〇〇円およびこれに対する昭和四四年三月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告らは、各自
原告 瀬尾清二に対し金七二〇万八、一〇〇円
同 瀬尾喜代子に対し金四八〇万五、四〇〇円
同 瀬尾日登美に対し金四八〇万五、四〇〇円
同 瀬尾篤哉に対し金四八〇万五、四〇〇円
および右各金員に対する昭和四六年七月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに1ないし3項につき仮執行の宣言。
二 被告ら(請求の趣旨に対する答弁)
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言。
第二 当事者の主張
一 原告らの請求原因
1 当事者
原告ら(亡今村善助、同瀬尾宮子を含み、原告今村末雄、同瀬尾清二、同瀬尾喜代子、同瀬尾日登美、同瀬尾篤哉を含まない。以下同じ)はいずれも四日市市の南東部に位置する通称磯津地区(行政区画上は四日市市大字塩浜の一部)の住民であり、各住居地を図示すれば別図1記載のとおりである。
被告らの各工場の所在位置は同図記載のとおりであり、右磯津地区より鈴鹿川をはさんで北方に所在し、旧磯津橋南詰、現四日市南警察署磯津警察官駐在所から約2.5キロメートルの範囲内にある。
これら工場において、被告昭和四日市石油株式会社(以下被告昭石という。ただし準備書面引用部分では昭四という。)は石油精製、被告中部電力株式会社(以下被告中電という)は火力発電、被告石原産業株式会社(以下被告石原という)は化学肥料や酸化チタン等、被告三菱油化株式会社(以下被告油化という)はエチレン等、被告三菱化成工業株式会社(以下被告化成という)は2エチルヘキサノール、カーボンブラック等、被告三菱モンサント化成株式会社(以下被告モンサントという)は塩化ビニール等の生産等の企業活動を行なっているものである。
2 不法行為
イ 被告ら各社工場の設立の経過と稼動の状況
(一) 設立と稼動の経過
(1) 昭和二四、五年ころ以降プラスチックス、合成繊維等高分子合成化学工業を中心に急速な発展を続けてきたわが国化学工業は、昭和二九年ころに至りその原料たる基礎化学製品(特にカーバイド、タールからの誘導製品)の供給不足という事態をむかえ、新たな給源としての石油化学の開発を迫られるようになった。
一方、昭和二四年の占領軍による太平洋岸製油所再開許可以来着々と製油所の再建、整備をすすめてきたわが国石油精製業は、昭和二九年になつて一応の近代化を終え、石油化学製品の原料、特にナフサの供給を可能にした。こうした時代的背景のもとに、わが国の石油化学工業は昭和三〇年にはいり、その企業化の基礎を固め、政府による政策的なささえもあって、昭和三一年には現実の企業化に着手し、翌三二年には実際にスタートを切るに至つた。
このような経緯からして、当初より、わが国の石油化学工業は、近代的石油精製施設を前提として、これに密着して生成していくという立地条件を必要としていたのである。さらにその生成の過程にあつては、資金的、技術的必要性から生産工程別(原料である液状のナフサを分解してエチレン・プロピレンなどいわゆる不飽和炭化水素と呼ばれるガス状の基礎製品を製造する工程、その製造された各種のガスを固体化又は液体化して二次製品たる塩化ビニール、2エチルヘキサノール(オクタノール)等を製造する工程別)に別個の企業により企業化されざるを得なかったため、いくつかの企業が集まつて一つの生産上の体系を形成するところとなつた。しかも、その企業集団は、経済的見地から相互に近接して設置され、工業技術的な関連によつて統一的に組織され、全体として一つの生産主体として発展を続けていつた。その結果、いつそう巨大な生産の集中をもたらし、さらに、より広範囲の産業部門の結合を促し、これを強化することに役だつたのである。
こうした企業集団をコンビナートと名づけるとすれば、石油化学工業の生成と発展の過程においてコンビナートの出現は必然であつたといえる。
(2) 四日市においても例外ではなかつた。特に同地では広大な工場用地とすぐれた港湾施設を有していた旧海軍第二燃料廠跡の利用をねらつて、石油国際資本と提携した三菱資本により石油化学工場群の形成が強力に推進されていつた。
すなわち、被告化成は、昭和二六年ころはコークス、染料、硫安の生産を主体としていたが、これら製品からは大きな収益性が期待し得なくなつたため、そのころから新規化学工業への関心を示し始めた。特に経営規模の拡大、生産の多角化を進めるうえで四日市地域に着目し、同社は、同二六年五月、前記燃料廠跡隣接地に塩化ビニール工場を建設するとともに、昭和二八年七月、これに隣接するカーバイドメーカー東邦化学工業株式会社を吸収合併して、四日市工場となし、さらに当時既に同燃料廠跡に設置、稼動していた東海硫安工業株式会社(のちに東海瓦斯化成株式会社となり現在被告油化となる)をその系列下においた。
また被告化成は、昭和二七年一月モンサント・ケミカル社との合弁企業モンサント化成株式会社(現被告モンサント)を設立し、同モンサント化成株式会社は被告化成の前記ビニール工場を引き継いだ。
一方、昭和石油株式会社と資本提携をもつシェル石油は、昭和二七年、三菱石油株式会社と共同して前記燃料廠跡の払下げを申請したが、このときは、国内石油業者の反対にあい失敗に終わつた。
政府は、昭和二八年九月一日閣議決定により、いつたん同燃料廠跡を昭和石油、日本石油、興亜石油、丸善石油、日本鉱業、大協石油、東亜燃料等七社に三菱石油を加えた国内石油業者八社に対し「石油精製事業に供するため」合同して払い下げる旨の方針を定めたが、その後、被告化成を筆頭とする三菱グループやシェルグループからの働きかけもあつて、その方針を変更し、昭和三〇年四月二四日ころ、同地を「石油化学工場建設の用に供する」ため、昭和石油株式会社に対し払い下げる旨を内定した。
このため、昭和石油株式会社は、昭和三〇年五月から八月ころまでの間、シェル石油技術者を含む調査団を組織し、数回にわたつて、同地に建設資金九〇億円、日産原油処理能力二万七、〇〇〇バーレルの製油所の建設のための現地調査を行なつた。
このようにして被告化成を中心とする三菱資本が、前記燃料廠跡に大石油化学工場群を建設するべく態勢を着々と確立していく間に、一方、政府は、昭和三〇年八年一九日閣議了解事項として、同燃料廠跡の石油精製に必要な土地および地上施設を昭和石油株式会社に貸し付けおよび払い下げることを明らかにし、「将来三菱グループとシェルグループによる石油化学が企業化されるときは、本用地内の昭和石油株式会社の精油設備と緊密な連繋を図らしめる」として、あえて三菱グループという集団を是認し、コンビナート化を想定して政策決定を行なうに至つた。
(3) 右政策が決定するや、被告化成を中心とする三菱グループ六社(三菱レーヨン、旭硝子、三菱商事、三菱金属鉱業、三菱銀行)は、昭和三一年四月共同出資して、石油化学工業の中核ともいうべきナフサ分解センターとしての被告油化を設立した。
これと並行して、昭和石油、シェル石油および三菱グループ八社(前記六社に東海硫安、三菱地所が参加)は、右三菱油化に原料(ナフサ)を供給するための石油精製会社設立を準備し、昭和三二年一一月、昭和石油五〇パーセント、シェル石油二五パーセント、三菱グループ二五パーセントの出資割合により、被告昭石を設立した。
右被告昭石は、昭和三三年五月、日産四万バーレルの原油蒸溜装置を完成して直ちに石油精製の操業を開始し、被告油化も、昭和三四年三月、四日市工場第一期工事を完成、エチレン・ポリエチレン等石油化学原料製品の生産を始め、ここにいわゆる四日市第一コンビナートの中核が形成されるに至つた。
(4) そして被告油化は、昭和三四年四月には、酸化エチレンの消化をめざして、ライオン油脂、第一工業製薬とともに四日市合成株式会社を、同三七年一月には、発泡ポリスチレンの生産のためにバーデイッシュ社と油化バーデイッシュ株式会社を、同年六月には、プロパンの販売会社三菱液化瓦斯株式会社を各設立した。
次いで同三八年一〇月には、日本合成化学、鐘渕化学、協和酵とともにブタノールメーカーである日本ブタノール株式会社を、同四一年二月には、倉敷レーヨンとともにクラレ油化株式会社を各設立した。また、同四二年六月には、硫安、尿素、硫酸を生産していた東海瓦斯化成株式会社と合併して、同会社の工場は被告油化旭分工場となり、そこに年産二〇万トンの第四エチレン分解炉を建設した。
このようにして前記被告化成、油化、モンサント、昭石の四社は、相互の結束を固めながら次々と子会社、関連会社を増殖させて別表1記載のごとく大規模な総合石油化学企業群を発展させていったのである。
(5) 被告中電は前記被告らによる石油化学工場群の建設、操業の前提として、大量の電力需要が必至とみるや、新たに火力発電所として三重火力発電所(以下三重火力という)の建設を計画するに至つた。
従来の石炭中心の火力発電所から重油燃焼等による発電技術の著しい向上により大容量高能率の火力発電所の設置が可能となつた時期でもあり、良港と広大な土地という立地条件に加えて被告昭石の重油という手近な燃料の利用が可能であることに着目して、当時わが国では最初の高能率大型火力発電所の建設に着工した。そして昭和三〇年一二月、六万六、〇〇〇キロワットの発電能力をもつ一号発電機を完成し、その操業を開始した。以後、昭和三二年二月、七万五、〇〇〇キロワットの二号発電機、同三三年六月、七万五、〇〇〇キロワットの三号発電機、同三六年一〇月、一二万五、〇〇〇キロワットの四号発電機と次々に増設し、前記被告ら各工場からの飛躍的な電力需要に十分こたえ得る大容量発電体制を確立して、いわゆる四日市第一コンビナートにおいて不可欠な存在となつた。
(6) こうしたコンビナートの発展は、同地区に存在した他企業のコンビナートへの参加を促さずにはおかなかつた。
被告石原は、昭和一六年一月以降、石原産業海運株式会社四日市工場において、銅製練および硫酸の製造を開始し、同地における化学企業としての地歩を固めたが、戦後の昭和二二年四月には、いち早く濃硫酸の生産を再開し、昭和二四年六月、現石原産業株式会社に改組してからは、化学肥料の分野にも進出し、さらに昭和二九年以降、酸化チタンの製造を開始した。以後同被告は、前記被告ら各工場の建設、拡充とともに同工場群から原料、燃料、電力等の供給を受け、かつ港湾施設、鉄道、道路等を共同に利用しつつ、着々と近代的化学企業としての体質改善をはかり、増産体制を強化してきたのであつて、ここに被告石原は、いわゆる四日市第一コンビナートの有力な企業のひとつとなるに至つた。
(二) 被告ら各工場相互の関連
以上被告ら各工場相互間には、次のとおり密接な結合関係が存在する。
(1) その技術的な関連は、別図2記載のとおりであるが、その要点を説明すれば、次のとおりである。すなわち、被告昭石四日市製油所で生産されるナフサ、トップガスは、全量が被告油化四日市工場と川尻工場に送られる。
被告油化の右工場では、これらを原料としてエチレンを生産するとともに、エチレンにベンゾールを加えてスチレンモノマーを副産する。このスチレンモノマーおよびエチレンは、被告モンサント四日市工場に送られ、スチロール系樹脂、塩化ビニールの原料とされる。右エチレン生産の中間製品としてとり出されるPIP溜分は、被告化成四日市工場に送られて2エチルヘキサノール(オクタノール)、イソブタノールの原料となる。
このうち2エチルヘキサノールは、被告油化前記工場と被告モンサント名古屋工場に送られている。また、被告石原四日市工場は被告油化右工場より濃硫酸、硫安の供給を受け、被告油化右工場に希硫酸を供給している。さらにこうした原料製品の需給のほかに、被告油化右工場より被告化成右工場に水素、窒素、オキソガス、蒸気、被告モンサント四日市工場へ窒素、蒸気、被告昭石四日市製油所へ窒素、水素、抽出残油(ラフイネート)が、被告化成右工場より被告モンサント右工場ヘカーバイド、アセチレンガス、被告モンサント右工場より被告油化右工場へ苛性ソーダ、塩化水素、被告化成右工場へ水素、苛性ソーダ、被告昭石右製油所へ苛性ソーダが、被告昭石右製油所より被告石原右工場、被告中電三重火力、被告油化右工場へ重油が、それぞれ供給され、各工場の生産工程において利用されている。このほか、被告中電三重火力の電力が被告ら各工場に供給されていることはいうまでもない。
(2) また被告ら各工場面には、パイプによる緊密な結合がみられる。
いわゆる装置産業の典型である石油化学工業では、その取扱物質の大半が、ガス体、液体であるため、これを貯蔵、冷却、加温、分解、加圧するための容器(反応器、合成塔、蒸溜器等)がその装置の中心となる。そして容器から容器への製品、原料、蒸気等の稼動を助けるいわばベルトコンベアーの役割を果たすのが工場内に張りめぐらされたパイプである。被告ら工場間では企業のわくを越えて縦横に張りめぐらされたパイプによつて、製品、原料、蒸気等が移動している。
そして右物質の大半は、有毒かつ引火性の強い高温、高圧のガス体、液体であるので、安全性と経済性の観点からパイプによる結合が不可欠となつている。
(3) 被告ら六社の結合関係のうち、とりわけ被告油化、化成、モンサントのいわゆる三菱三社間の結合はきわめて顕著である。
(イ) 資本的人的結合
右三菱三社間の資本的結合関係は(一)の(3)(4)に述べたとおりであるが、人的構成においてもきわめて緊密である。たとえば、被告油化および同モンサントの幹部社員には、被告化成より出向または移籍したものが多く、被告化成では将来被告モンサントの社員として出向移籍することを予定して大学卒新入社員の採用が行なわれ、被告モンサントは大学卒新入社員の定期募集を行なつていない。
そしてこのような結合関係は、被告三社間において厚生施設、電話施設が共用され、工場敷地の境界線が画然と区別されていないことにも明らかに現われている。
(ロ) 蒸気の供給
装置産業が容器を中心とすることは前記のとおりであるが、これら容器内での貯蔵、冷却、加温、分解、加圧には、多量の各温各圧の水蒸気が必要不可欠である。
そこで被告油化四日市工場は、別表2の2のごとく、昭和三三年一〇月稼動の一号ボイラーより昭和四三年一月の五号ボイラーに至るまでボイラー施設の増設を重ね水蒸気の増産を続けてきた。そしてこの水蒸気は、単に自社で使用されるのみならず、被告化成四日市工場および被告モンサント四日市工場へも大量に供給されている。かかる稼動上不可欠な水蒸気が被告油化より供給されない場合には、被告化成および被告モンサントは大規模なボイラー設備を自社で保有しなければならない。
この意味で被告油化はナフサセンターであるばかりか三菱三社の水蒸気センターである。
右水蒸気の輸送量を検証調書添付説明書記載の配管の大きさ、その他より推測すれば次のとおりである。
計算式
平川ボイラー便覧によれば、蒸気主管の直径は次の式からきめられる。
ただし、dは主管の内径(m)。
Dは通過する蒸気量(Kg/h)
Vは蒸気の通過速度(m/s)
ρは蒸気の比重量(Kg/m3)
このことを逆にみれば、直径dの蒸気管が設置されているところでは、
D=900ρ・V・π・d2 (2)
で与えられる量の蒸気の輸送が考えられていたことになる。
(2)式はさらに、次のように変形できる。
(3)
ただし、ここで、
Xは主管の内径(inch)
V'は比容積すなわち比重量の
逆数(m3/Kg)
Dの単位はT/h
(3)式においてXは被告ら工場間の配管の内径を意味する。Vは公表されていないが、平川ボイラー便覧によれば、
飽和蒸気の場合 V=20〜30m/s
過熱蒸気の場合 V=30〜50m/s
となつている。
工場では過熱蒸気を使うのが普通だから、V=30の場合とV=50の場合について計算しておけば、実際の値はその間に存すると考えられる。
V'を求めるには、温度tと圧力pの値が必要であるが、前記説明書には圧力の値は示されているので、温度だけが問題となる。しかしこれも、常識的な値は飽和温度の一割増ぐらいであるから、その値(200℃)と、それより少し大きな値(300℃)とについて計算すれば実際の値はその間にはいるといえる。この温度と圧力から右便覧記載の蒸気表にあるV'の値が求められる。
なお、同表を引くとき右説明書記載の圧力の値に1を加えた。工場で使うのは、ゲージ圧つまり大気圧との差であるのが普通だからである。また表中にない値に対しては、比例配分によつてその値を定めればよい。こうして定められる各定数から流量Dを計算すると以下の結果が得られる。
被告油化から被告化成へ輸送可能な蒸気量
内の各数値が各条件にけおる流量D(T/h)
現場検証調書から
与えられる諸元
蒸気温度
想定値
t(℃)
温度と圧力に
より定まる
比容積
V'(m3/Kg)
蒸気流速
想定値
V(m/s)
No.
管サイズ
X(inch)
蒸気圧力
P(Kg/cm3)
50
30
C―2
6
13
220
0.1548
21.2
12.7
300
0.1861
17.6
10.6
C―5
8
13
220
0.1548
37.7
22.6
300
0.1861
31.4
18.8
C―7
14
25※
160
0.5789
30.9
18.5
220
0.6669
26.8
16.1
D―1
14
25
160
0.5789
30.9
18.5
220
0.6669
26.8
16.1
D―2
10
13
220
0.1548
58.9
35.3
300
0.1861
49.0
29.4
※説明書記載は25とあるが低圧管であるから2.5の誤記であろう。
被告油化から被告モンサントへ輸送可能な蒸気量
内の各数値が各条件における流量D(T/h)
現場検証説明書から
与えられる諸元
蒸気温度
想定値
t(℃)
温度と圧力により
定まる比容積
V'(m3/Kg)
蒸気流速
想定値
V(m/s)
No.
管サイズX(inch)
蒸気圧力P(Kg/cm3)
50
30
A―20
8
13
220
0.1548
37.7
22.6
300
0.1861
31.4
18.8
B―1
10
13
220
0.1548
58.9
35.3
300
0.1861
49.0
29.4
B―7
4
42
280
0.05229
27.9
16.7
400
0.6969
20.9
12.6
以上によつて明らかなように、被告ら間の最大蒸気輸送量は被告油化から被告化成への場合五本のパイプで合計約一八〇T/hから約九一T/h被告油化から被告モンサントへの場合三本のパイプで合計約一二五T/hから約六一T/hであることが推測される。
ちなみに四日市市役所新庁舎のボイラーは約二T/hの蒸気発生能力を有しこれにて全庁舎の暖房が可能であるとのことであつて、これと比較すれば被告油化より他被告二社への右蒸気輸送量がいかに大量であるかは明らかである。
もとより右輸送量は計算値であつて現実に供給された蒸気量ではない。けれどもパイプの設計にあたつては当然、操業に必要な蒸気量の輸送に最も経済的かつ効果的な規模が考慮され、そのとおり配管がなされたであろうこと、および現に被告油化に関する別表2の2記載のとおり同社のボイラーの蒸気発生能力は総計四四〇T/hであつて仮に自社の消費蒸気量を一〇〇T/hとしてもなお優に前記最大輸送蒸気量を発生し得るボイラーを保有していることからみて同被告が右ボイラーの増設につれ右輸送量に匹敵する大量の蒸気を現実に他被告二社に供給していたことは容易に推認することができる
(三) 被告ら工場が通称「四日市第一コンビナート工場群」と指称され、互いに場所的、機能的、技術的な結合関連性を有し、有機的な一個の企業集団を形成していることは上述の被告ら各社の設立の経過と相互の関連からきわめて明白である。
ロ 磯津地区におけるばい煙(特にいおう酸化物)による大気汚染とその原因
(一) 被告各工場によるばい煙の排出
前記被告ら各工場は前記石油精製、火力発電、石油化学製品、化学肥料、酸化チタン等の生産等にあたり、別表2の1ないし6記載の施設を稼動してその操業開始日以降今日まで同表記載のとおりの燃料および原料(その使用実績は同表該当欄記載のとおりであるが、同表記載以前の年度については昭和三五年の使用実績―ただし、被告モンサント、被告中電については昭和三四年、被告化成については昭和三六年―と同量もしくはそれ以上、また昭和四三年以降の年度については昭和四二年の使用実績と同量もしくはそれ以上)を使用し、その間右燃料の燃焼および右原料の消費等その生産工程から発生した多量のばい煙を大気中に排出してきた。
被告ら各工場が重油を燃料として使用した過程のみに限定し(但し被告油化の場合は副生油を含む)、かつ被告ら各社が自ら提出した重油使用量についての資料のみに基づいても、被告ら各工場は別表3記載のとおりの亜硫酸ガスを大気中に排出してきた(その算出方法は重油使用量×比重×いおう含有率×2ただし被告油化の場合は重油使用量×いおう含有率×2であつて、その比重は被告化成においては昭和37年0.9469,38年0.9476,39年0.9478,40年0.9449,41年0.9485,42年0.946,被告石原においては昭和三五年四月から同三九年三月までの蒸気ボイラー用C重油については「蒸気現場C重油受払棚卸表」中「重油補整表」の各月ごとの平均換算比重、チタンその他用C重油については右比重の各年ごとの平均値、同三九年四月以降は各用途の重油とも右三五年ないし三八年の四年間の平均値0.9633を用いた)。なお、このほか被告ら各社における廃硫酸、石油スラッジ等廃物の燃焼から生ずるいおう酸化物の量を加えれば、右排出量はさらに膨大なものとなる。
(二) 磯津地区でのいおう酸化物濃度の増大とその特徴
(1) 被告ら各工場に近接した位置にある磯津地区では前記被告ら各工場の本格的操業とともに昭和三五年ころから亜硫酸ガス濃度が著しく増大することとなつた。すなわち被告ら各工場の排出する亜硫酸ガス量は、前記のとおり、重油を燃料として使用する過程のみをとらえても、昭和三五年には、二万三、三四七トン、昭和三六年には、三万〇、四八三トン、昭和三七年には三万九、五一二トンと逐年増加しているが、これと対応して磯津地区の亜硫酸ガス濃度は二酸化鉛法で昭和三五年一一月から昭和三六年三月までは1.7mg,SO2/day/100cm2pbo2(以下単にmg/day/100cm2と表する)昭和三六年五月から九月までは0.65mg/day/100cm2、昭和三六年一一月から三七年三月までは2.41mg/day/100cm2昭和三七年五月から九月までは1.05mg/day/100cm2、昭和三七年一一月から昭和三八年三月までは2.87mg/day/100cm2となつており、冬期、夏期ともそれぞれ逐年上昇の一途をたどるとともに、同時期に調査した四日市の他の地区と比較しても極めて異常な高値を示している。
(2) これら磯津地区における汚染の特徴を風向、風速と濃度との関係で調査した結果は次のとおりである。
(イ) 四日市においては年間を通じ最多風向は北西風でその頻度は二七パーセント、また北北西ないし北東風が一九パーセントとなり、結局北西ないし北東の風向頻度は四六パーセントを占める。これを季節的にみると冬期(一一月〜三月)は鈴鹿山脈を越す北西風寄りの季節風によつて圧倒的影響を受け、そのうち一月から三月は北西ないし北東風が全体の六五から七〇パーセントを占めている。また夏期(五月〜九月)は南からの季節風の影響を受け、南西ないし南東の風が四〇から五五パーセントを占めている。
この四日市における季節的な風向の変動を前提に、前に述べた磯津地区の亜硫酸ガス濃度の経年変化を分析すると、磯津地区が被告各社の主たる風向下に位置する冬期において亜硫酸ガス濃度の増大が顕著となることが明らかである。
(ロ) しかも、磯津地区における亜硫酸ガス濃度は、単に平均濃度が高値であるのみならず、特定の風向や風速の場合に著しいピーク濃度が出現することが特徴的である。すなわち、昭和三七年一二月から三八年三月までの磯津地区における亜硫酸ガス濃度の電気伝導度法(溶液導電率法)による連続測定の結果は、別図3のとおりであるが、風向が北西および北北西の場合には、最高濃度が1.0ないし1.1ppmにも達する場合があり、0.1ppm以上の出現頻度は六五パーセントを占めている。
また、磯津地区においては、風速との関係で他の都市型汚染と異なつた特徴も見られ、風速が高まるにつれて亜硫酸ガス濃度が上昇し、風速が五ないし六メートル程度の場合に0.2ppm以上の出現頻度が最大となるという観測結果が示されている。
これら磯津における濃度と風向風速との関係は、別図4の1および2にも明らかである。
ちなみに四日市における大気汚染について「疾風汚染」という呼称が使用されているのは、右の特徴に着目したものであり、スモッグ時も含めた恒常的な汚染現象の中で、前記のごとく比較的風速の高い時高濃度の出現が顕著である点をとらえて、一般の都市型の「静穏汚染」と対比して名づけられたものである。
(ハ) 四日市地域一八地点において亜硫酸ガス濃度の測定を行ない、その濃度の分布状況を調査した結果が別図5の1および2(等量線)である。同図によれば、昭和三六年一一月から昭和三七年四月までの冬期の平均濃度は、磯津地区が2.0mg/day/100cm2で最大濃度を示すが、一方昭和三七年五月から九月までの夏期の平均濃度をみると、最大濃度を示す地点は被告ら各工場を基点として磯津地区の反対方向に移動し、三浜小学校付近で1.0mg/day/100cm2以上の最大濃度を示している。さらに同図によれば、冬期および夏期を通じ、被告ら各社工場群に近づくにつれて濃度は漸増し、前記二地点に至つて最高濃度を示している。
なお、これらの特徴は、他年度における別図5の3ないし6の等量線においても同様である。
(ニ) 前記のとおり、四日市の気象条件においては、冬期は北西ないし北東風が、夏期は南西ないし南東風がそれぞれ主たる風向であるため、汚染源から排出されたいおう酸化物等ばい煙はその卓越風に従つて風下地区を汚染する関係にある。そこで、磯津地区および同地区と被告ら各工場をはさんで北方へ対応関係にある三浜小学校との各亜硫酸ガス濃度を、風向頻度との関連で調査すると、それぞれ有意な相関関係がみられる。すなわち冬期において被告ら各工場の風下に位置する磯津地区の亜硫酸ガス濃度は、風向が北西に傾く場合に増大し、その風向頻度と亜硫酸ガス濃度は順相関(相関係数0.51)となり、一方夏期においては、南東風に傾く場合に濃度は減少しその風向頻度と亜硫酸ガス濃度は逆相関(相関係数マイナス0.52)を示す。また、対応地点三浜小学校においては、冬期の場合北西風の風向頻度と亜硫酸ガス濃度は逆相関(相関係数マイナス0.39)、夏期における南および南東の風の場合は順相関(相関係数0.53および0.46)を示すのである。
(三) 磯津地区における大気汚染の原因
右の汚染の諸特徴と被告ら工場群と磯津との地理関係からみて、磯津地区における大気汚染の原因が、被告ら工場より排出されるばい煙(特にいおう酸化物)によるものであることはきわめて明白である。
(1) 第一に、被告ら各工場の本格的操業と時期を同じくして、亜硫酸ガス濃度が急上昇している事実は、磯津地区内に汚染源が存在せず、また当時磯津地区と被告ら各工場とを結んだ線上に被告ら各工場に比類する汚染源が存在しないこととあいまつて、汚染の原因が被告ら各工場の排出する亜硫酸ガスであることを、まず簡明に示している。
(2) 第二に、磯津地区の亜硫酸ガス濃度が、風向が北西ないし北東で風速が比較的速いときにピーク濃度を示している事実は、磯津地区の北側に近接している巨大排出源よりばい煙が比較的拡散せず卓越風に従つて地表面に吹きつけられることを示している。ちなみに、昭和三九年三月に提出された四日市地区大気汚染特別調査団の報告書においては、右の現象をダウンドラフトまたはダウンウオッシュという概念を使つて説明している。
(3) 第三に、四日市地域亜硫酸ガス濃度等量線において冬期は磯津地区、夏期は三浜地区に最大濃度が出現すること、および右各地区の亜硫酸ガス濃度が夏期と冬期それぞれにおいてその卓越風と有意な相関を示す事実は、両地区の中間に発生源そのものが存在することを如実に示しているのである。
このように、原告居住地磯津地区は被告ら各工場の排出するばい煙によつて汚染され、原告らを含む同地区住民は、歴年絶えざる汚染大気の中でそれぞれの生活を余儀なくされてきたのである。
ハ 原告らの罹患と大気汚染との関係
(一) 前記被告各社の操業稼動に伴つて、昭和三五年ころから磯津地区を含む付近住民の間に、ぜんそく様発作を持つ呼吸器疾患の多発が注目され始めた。同年一一月には、大気汚染の測定が開始され、昭和三七年以降、厚生省、三重県、四日市市等によつて疫学調査、住民検診、学童検診などが重ねられた。また、昭和三八年一一月には、厚生省より四日市地区大気汚染特別調査団が派遣され、翌年三月には、いわゆる「黒川調査団報告」がまとめられている。
右の調査結果によると、付近住民の慢性気管支炎、気管支ぜんそくなど「閉そく性肺疾患」が増加するとともに、健康者においても気道抵抗の増加を含む肺機能の低下を示すものが多くなつたことが明らかとなつた。なお、昭和四〇年二月一八日、四日市地域の大気汚染による罹患者に対し、四日市公害関係医療審査制度(公害病認定制度)が設けられた。
ちなみに、四日市市における前記呼吸器疾患の多発に着目して、巷間いわゆる「四日市ぜんそく」という呼称が使われるようになつたが、それは、四日市において大気汚染の影響により激発した「閉そく性肺疾患」罹患者のうち、頑固なぜんそく性発作に苦しむ者が多い点に着目して名づけられたものである。
なお「閉そく性肺疾患」とは、アメリカのゴールドスミスが、大気汚染の結果、気管の気道を通過する空気量が呼吸生理学上制約されてくる現象を最も共通的な問題としてとらえ提唱した呼称であり、慢性気管支炎、気管支ぜんそく、肺気腫等がその中に含まれている。
(二) 昭和三四年第一コンビナートの本格的な操業開始に伴い、磯津地区における亜硫酸ガス濃度は、前記のように昭和三五年一一月から昭和三六年三月の時期で既に1.47mg/day/100cm2、昭和三六年一一月から昭和三七年三月の時期では2.41mg/day/100cm2、昭和三七年一一月から昭和三八年三月の時期では2.87mg/day/100cm2と急激に上昇している。
一方、昭和三九年一月の磯津地区における検診によると、ぜんそく様患者の初発時期は、その大部分が昭和三四年以降でそれ以後逐年増加し、昭和三七年がピークとなつていて、昭和三四年から昭和三七年の間に同地区での患者の異常な発生がみられたことが示されている。
また、磯津地区における公害病認定患者の発症についての経年的疫学調査においても同様に、第一コンビナート稼動後のぜんそく様疾患の激増の事実と逆に、昭和三四年以前には、右疾患がほぼ皆無である事実が示されている。
(三) 四日市地域各地区について、いおう酸化物等の汚染の増大と国保請求書による罹患率との相関を調査すると、汚染の強い地区ほど罹患率は高く、弱い地区ほど低く、その間には高度な相関が見られる。
たとえば、昭和三七年四月から昭和三八年三月までの四日市一三地区の亜硫酸ガス濃度と気管支ぜんそく罹患率(全年令層)との相関係数は0.82であり、また昭和三八年四月より昭和三九年三月までの相関係数は0.88という高値を示している。
また、昭和三六年四月以降の磯津を含む塩浜地区における気管支ぜんそくの月別罹患率を図示すれば、別図6のとおりで、昭和三六年以降の罹患率の大幅な上昇が認められ、汚染地区と非汚染対照地区とはあざやかな対照をなしている。さらには、磯津地区の全公害病認定患者の発症を図示した別図7は、磯津住民の発病が同地域の大気汚染と明白に対応していることを示している。
亜硫酸ガス濃度はぜんそく様発作とも高度の相関を示している。別図8は、四日市一二地区の四〇才以上の住民のうちぜんそく様発作を訴える頻度と各地域の汚染度との相関を示したものであり、その相関係数は、実に0.919を示している。
また、磯津地区における患者一七名につき、一週間の平均亜硫酸ガス濃度と発作回数への相関を図示すれば、別図9のとおりであり、これまた0.88という高い相関を示すのである。
(四) 他方、閉そく性肺疾患罹患者が四日市以外の他地域に転出した場合、症状は良好となる。
認定患者の追跡調査によれば、転出患者二一名中、治癒二名、良くなつた者一五名、変わらない者四名であり、悪くなつた者はいない。変わらない者四名についても、うち一名は公害地への転出であり、他の一名は、転出後調査時まで日が浅いと報告されている。
その他、公害病認定患者を収容している塩浜病院に、昭和四〇年六月設置された空気清浄室は、患者の病状の進行と発作の激発に対して顕著な効果をもたらしている。
昭和四〇年以降昭和四二年にかけて、被告ら会社が行なつた排出施設の高煙突化以後、磯津地区でのぜんそく患者の新発生は若干減少してきている。
(五) 大気汚染によるいおう酸化物が閉そく性肺疾患をもたらすことは、既に述べた諸事実によつて疑問の余地なく認められるところであるばかりか、右の人体影響についてぜんそく様疾患の発症のメカニズムとして亜硫酸ガス等のピーク汚染による過敏性気管支の惹起と硫酸ミストなどが気管支の抗体生産を促し、一種の抗原抗体反応を起こすという生物学的な説明もなされている。
この際、酸化物としてのSO2本来の化学的特性とともに、それがミストや微粉じんと共存し、エーロゾル化して影響力を加重されている事実、および酸化チタン等排気中の他物質との相乗効果により、気道を侵触する事実が重視される。しかも三重県立大学や他大学がなした低濃度亜硫酸ガスの吸入による動物実験や現地磯津での飼育実験の結果は、いおう酸化物と閉そく性肺疾患との因果関係を明白に裏づけている。
(六) 右のごとく、被告ら会社の稼動による磯津地区での大気汚染は、磯津地区に居住する原告らの閉そく性肺疾患を発症させ、かつ、その症状を増悪させ、長期かつ、回復困難な入院生活を余儀なくさせたのである。
また今村善助、瀬尾宮子は、右、閉そく性肺疾患のため生命を失うに至つた。
3 責任
イ 過失
(一) 被告らは、被告ら各工場の建設にあたりその工場から排出するばい煙(特に亜硫酸ガス等のいおう酸化物)が大気を汚染し、その結果付近住民に健康障害を惹起せしめることを、
足尾銅山(明治二三年)、住友鉱業新居浜製練所移転事件(明治二八年)、日立鉱山阿呆煙突事件(大正二年)等戦前からの数多くの煙害の歴史、および英国バターシー発電所における脱硫の実施(昭和一四年)、英国ビーバー委員会の調査(昭和二八年)、日本公衆衛生協会の厚生大臣に対する勧告(昭和三〇年)、英国大気清浄法の制定(昭和三一年)その他内外の知見によつて容易に予見し得たにかかわらず、周辺地域に対する影響について、被告らの資力技術的知識をもつてすれば、容易な事前の調査研究、観測を怠り、漫然立地した過失がある。
(二) また、化学企業たる被告らは、操業を継続するにあたつては、有害物質を企業外に排出することがないよう常に自己の製造工場を安全に管理する義務を有しており、いやしくもいおう酸化物等の有害物質を含むばい煙を大気中に排出している以上は、最高の技術を用いて排出物質の有害性の程度、およびその性質等を調査し、万が一つにでも同ばい煙によつて生物人体に危害を加えることのないよう、万全の措置を講ずべき義務を有するにかかわらず、被告らはこれを怠り、調査研究観測をしなかつたのはもちろん、ばい煙中からいおう酸化物を除去する抜本的措置をなさず、かつ、操業の短縮ないしは操業を停止する等の回避処置もしないまま、漫然別表1記載の稼動開始時期(石原産業については昭和二九年)以降ばい煙の排出を継続した過失がある。
ロ 故意
さらに被告らは、おそくとも昭和三九年三月、いわゆる黒川調査団の勧告において、四日市市の大気中の亜硫酸ガスと磯津地域に多発している閉そく性呼吸器疾患との間の密接な関連性が指摘された以降は、自社の排出するばい煙(特に亜硫酸ガス等のいおう酸化物)が、原告らの健康に重大な障害を与えている事実を認識しながらあえて排出を継続した故意がある。
ハ 共同不法行為
よつて被告ら六社は、互いに場所的、機能的、技術的、資本的な結合関連性を有し、通称「四日市第一コンビナート工場群」と指称されて、外観上近接の他企業から識別される程度に群居して一個の企業集団を形成し、かつ、互いに他の被告企業が同種排煙行為を行なつていることを認識しつつばい煙の排出を継続し、共同して加害行為を行なつてきたものである。
よつて被告らは、民法七〇九条、同七一九条一項前段または後段によつて原告らがこうむつた全損害を連帯して賠償する責任がある。
4 損害
イ 原告塩野輝美、同中村栄吉、同柴崎利明、同藤田一雄、同石田かつ、同野田之一、同石田喜知松関係
(一) 原告らの「生年月日」、「磯津居住の時期」、「職業」等は別表4該当欄のとおりである。そして、同表の「発症時期」欄記載の頃にいおう酸化物等による大気汚染によつて健康を害するに至り、同表「病歴および病状」のごとき経過をたどり同表「入院期間」欄に記載された時期に三重県立大学医学部付属塩浜病院に入院した。その「臨床診断名」は同表該当欄のとおりであり、いずれも同表の「認定時期」欄記載の時期に四日市市公害関係医療審査会により大気汚染関係疾患であるとの認定を受けている。
(二) 原告らの前記疾患に基づく損害の合計額は別表8該当欄のとおりであり、その詳細は次のとおりである。
(1) 喪失利益
原告らはいずれも右大気汚染関係疾患により入院加療の必要があつて入院中のものであり、労働に従事し得ない状態にあるが、今後も右疾患が治癒し労働に従事し得る見込みはない。
原告らの昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は別表5記載のとおりであるところ、原告らは前記認定を受けた日の後である昭和四〇年七月一日以降、その就労可能の全期間にわたつて前記のごとく労働に従事し得ないことによつて得べかりし利益を失つた。
右喪失利益の算定にあたつては、公害訴訟の特質、すなわち、多数の被害者にできるだけ公平かつ迅速に救済を受けしめる必要をも考慮し、一般的に最も蓋然性の高い基準として全労働者(性別年令階級別)の平均賃金によることとするが、各年度の右賃金は別表6のとおりである。
計算の便宜上昭和四〇年七月一日から翌年六月三〇日までを、昭和四〇年賃金構造基本統計調査報告により以下順次同様とし、昭和四五年七月一日以降は昭和四五年賃金構造基本統計調査結果報告によることとする。
右により原告らの各年間における喪失利益を算出し、昭和四〇年七月一日から昭和四六年六月三〇日までの喪失利益を加算すると、別表7(1)のとおりとなる。また、昭和四六年七月一日から就労可能の期間の喪失利益についてホフマン式計算法を用いて一年毎に年五分の割合の中間利息を控除し、昭和四六年七月一日現在における額に換算すると、同表(2)のとおりとなる。右喪失利益の合計額は同表(3)のとおりである。
(2) 慰謝料
原告らは大気汚染によつてその健康を奪われ、前記疾患の諸症状特にぜんそく発作に悩まされ、これとたたかいながら生涯を過ごさねばならないし、罹患による収入減によつて生活は窮乏化するとともに長い入院療養によつてその家庭生活は全く破壊された。
原告らが大気汚染関係疾患の認定を受けてからでもすでに六年余を経過しているにもかかわらず、被告らは原告らに対しなんらの救済措置をとらず、また、排出するばい煙中よりいおう酸化物等を除去する根本的な対策をとらずあえて操業を続け加害行為を継続している。この精神的苦痛はきわめて大きく、これに対する慰謝料としては、原告藤田一雄を除く各原告について金五〇〇万円、原告藤田一雄についてその重篤な症状にかんがみ金八〇〇万円が相当である。
(3) 弁護士報酬
原告らは、原告ら訴訟代理人に対し本件訴訟の追行を依頼し、その報酬(調査費用、資料謄写費用等を含む)として本件訴訟の請求認容額の二割にあたる金員を支払うことを約している。これを本件不法行為と相当因果関係にある損害として請求することとするが、原告らの請求する喪失利益と慰謝料の合計額の二割にあたる金員を算出すると別表8該当欄のとおりである。
(三) よつて原告らは被告らに対し、請求の趣旨1項記載のとおり損害賠償金の支払と、右金員のうち訴状で請求した各金二〇〇万円については、訴状送達の日の翌日たる昭和四二年九月一〇日から、その余の金員については第一〇準備書面送達の日の翌日である昭和四六年一二月八日からいずれも支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
ロ 原告今村末雄、同瀬尾清二、同瀬尾喜代子、同瀬尾日登美、同瀬尾篤哉関係
(一) 原告今村末雄の被承継人今村善助は、明治二三年三月二〇日磯津地区で生まれ、以来、同地区に居住し、漁業に従事していたものである。
そして、昭和三六年一〇月自宅で突然喀痰をきたし、同年一一月より入退院をくり返すようになり、帰宅するとぜん鳴発作を起こすという状況であつたが、昭和三八年八月喀痰を伴つて呼吸困難を起こし三重県立大学医学部付属塩浜病院へ入院した。その臨床診断名は気管支ぜんそく、肺気腫であり、四日市市公害関係医療審査会により昭和四〇年四月一日付で大気汚染関係疾患であるとの認定を受けた。
昭和四三年七月ころより症状が悪化し、ぜん鳴発作が重積し、同年一二月ころには全身の衰弱が著明となり、その後さらに症状の悪化をみて昭和四四年三月一四日肺気腫の進展による肺性心によつて死亡するに至つた。
(二) 今村善善助の死亡に基づく損害ならびに発症より死亡までに生じた損害は金一、一三七万六、二〇〇円であり、その詳細は次のとおりである。
(1) 喪失利益 金三三七万六、二〇〇円
今村善助は前記疾患による入院加療と死亡のため労働に従事し得ず、前記認定を受けた日の後である昭和四〇年七月一日以降、就労可能の全期間にわたつて得べかりし利益を失つた。右喪失利益の算定にあたつては、前記の理由から全労働者(性別・年令階級別)の平均賃金によることとするが、各年度の右平均賃金は別表6のとおりである。なお、前記のとおり計算の便宜上昭和四〇年七月一日から昭和四一年六月三〇日までを昭和四〇年賃金構造基本統計調査結果報告によるものとし、以下各年度順次同様に対応する年度の資料により、昭和四五年七月一日以降は昭和四五年賃金構造基本統計調査結果速報によることとする。
右により、同人の各年間の喪失利益を算出し昭和四〇年七月一日から死亡日たる昭和四四年三月一四日までの喪失利益を加算すると金一九七万七、三〇〇円となる。
()
また、同人は死亡当時七八才であり、就労可能年数は三年であるところ、この死亡後の期間について控除すべき生活費は収入の三分の一とするのが相当である。そこで昭和四四年三月一五日から三年間の喪失利益をホフマン式計算法を用いて一年毎に年五分の割合による中間利息を控除して昭和四四年三月一五日現在における額に換算すると金一三九万八、九〇〇円となる。
()
(2) 慰謝料 金八〇〇万円
今村善助は、養子夫婦や孫に囲まれて安楽であるべきその晩年を病院のなかでぜんそくの発作に悩まされつゝ過ごさねばならなかつた。そして澄んだ大気のもとに生きる喜びを再び味わうことなく前述のごとき経過をたどつて長い苦しみの末死亡するに至つた。この精神的苦痛に対する慰謝料としては金八〇〇万円が相当である。
(三) 今村善助の被告らに対する損害賠償請求権は、同人の死亡によりその養子であり、唯一の相続人である原告今村末雄が相続により承継取得した。
(四) 原告瀬尾清二、同瀬尾喜代子、同瀬尾日登美、同瀬尾篤哉の被承継人瀬尾宮子は、昭和七年九月二一日磯津地区で生まれ、以来同地に居住していたが、昭和三〇年一月原告瀬尾清二と結婚して一時伊勢市に居住し、昭和三一年六月以降再び磯津地区に居住して主婦として家事をするかたわら網内職の仕事をしていたものである。そして、昭和三七年一一月、肺炎に罹患したことがあつたが、その後、同年一二月、せきが始まり、息苦しさをきたし、ぜんそくを起こすようになつた。昭和三九年二月二二日、三重県立大学医学部付属塩浜病院へ入院し、同年三月四日、一時退院したが、同月二五日、再び入院した。その臨床診断名は気管支ぜんそくと硬化性結核であり、四日市市公害関係医療審査会により昭和四〇年四月一日付で気管支ぜんそくについて大気汚染関係疾患であるとの認定を受けている。昭和四四年ころからときに重篤なぜんそく発作を起こすことがあつたが、昭和四六年六月、二度にわたつて重篤なぜんそく発作があり、さらに、同年七月一〇日にもぜんそく発作を起こし、ついに窒息により死亡するに至つた。
(五) 瀬尾宮子の死亡に基づく損害ならびに発症より死亡までに生じた損害は金一、八〇二万〇、五〇〇円であり、その詳細は次のとおりである。
(1) 喪失利益金 八〇二万〇、五〇〇円
瀬尾宮子は、前記疾患による入院加療と死亡のため労働に従事し得ず、前記認定を受けた日の後である昭和四〇年七月一日以降、就労可能の全期間にわたつて得べかりし利益を失つた。そこで今村善助と同様に瀬尾宮子の各年間の喪失利益を算出し、昭和四〇年七月一日から昭和四六年七月一〇日までの喪失利益を加算すると金二三四万五、〇〇〇円となる。
()
また、同人は死亡当時三八才であり、就労可能年数は二五年であるところ、前同様に生活費を控除し、昭和四六年七月一一日から二五年間の喪失利益を昭和四六年七月一一日現在における額に換算すると金五六七万五、五〇〇円となる。
()
(2) 慰謝料金 一、〇〇〇万円
瀬尾宮子は、ぜんそくに悩まされながら長期の入院療養を続ける一方、これによる家庭生活の破壊から家族を守るために主婦としての務めを果たそうと力の限りを尽くし、このためぜんそく発作死によつていまだ三八才で夫と幼い三人の子供を残してこの世を去らねばならなかつた。まことに痛ましい限りである。この精神的苦痛に対する慰謝料は少なくとも金一、〇〇〇万円を下るものではない。
(六) 瀬尾宮子の被告らに対する損害賠償請求権は、同人の死亡によりその夫である原告瀬尾清二がその三分の一である金六〇〇万六、八〇〇円を、その子である原告瀬尾喜代子、同瀬尾日登美、同瀬尾篤哉が各その九分の二である金四〇〇万四、五〇〇円を相続により承継取得した。
(七) 原告今村末雄および原告本人兼原告瀬尾喜代子、同瀬尾日登美、同瀬尾篤哉、法定代理人親権者瀬尾清二は、原告ら訴訟代理人に対し本件訴訟の追行を依頼し、その報酬(調査費用、資料謄写費用等を含む)として、本件訴訟の請求認容額の二割にあたる金員を支払うことを約している。これを本件不法行為と相当因果関係にある損害として請求することとするが、原告らが相続により承継取得した損害賠償請求額の二割にあたる金員を算出すると、別表8の該当欄のとおりである。
(八) 右の原告らの相続により承継取得した損害賠償請求額と弁護士報酬の合計額は別表8の該当欄のとおりである。
(九) よつて、原告らは被告らに対し請求の趣旨2、3項記載のとおり損害賠償金の支払とこれに対する原告今村末雄については、被承継人今村善助死亡の日の翌日である昭和四四年三月一五日から、原告瀬尾清二らについては被承継人瀬尾宮子死亡の日の翌日である昭和四六年七月一一日からいずれも支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払とを求める。
二 請求原因に対する被告らの答弁
1 請求原因1の事実に対し
イ 被告昭石
原告らが磯津地区の住民であること、被告昭石四日市製油所の所在位置、同被告が石油精製を行なつていることは認め、その余の事実は不知。
ロ 被告油化
原告らが磯津地区の住民であり、その各居住地が別図1記載のとおりであること、被告油化がエチレン等の生産等を行なつていること、同被告の工場所在地に関する事実のうち別図10と合致する部分は認め、右所在地に関するその余の事実は否認し、その他の事実は不知。
右工場所在地は別図10のとおり(ただし同被告旭分工場敷地の南端の被告昭石に隣接する一部は、昭和四三年七月二五日の検証後被告に売却した)である。
ハ 被告化成
原告らが磯津地区の住民であること、被告化成が2エチルヘキサノール、カーボンブラックの生産を行なつていること、同被告四日市工場所在地に関する事実中別図10と合致する部分は認め、右所在地に関するその余の事実は否認し、その他の事実は不知。
右工場所在地は別図10のとおりである。
ニ 被告モンサント
原告らが磯津地区の住民であり各居住地が別図1のとおりであること、被告モンサントが塩化ビニール等の生産を行なつていること、同被告四日市工場所在地に関する事実中別図10と合致する部分は認め、右所在地に関するその余の事実は否認し、その他の事実は不知。
右工場所在地は別図10のとおりである。
ホ 被告中電
原告らが磯津地区の住民であり、各居住地が別図1記載のとおりであること、被告中電三重火力の所在位置が同図1記載のとおりであり火力発電事業を営んでいることは認め、その他の事実は不知。
ヘ 被告石原
被告石原四日市工場が四日市南警察署磯津警察官駐在所から約2.5キロメートルの範囲内にあること、および化学肥料、酸化チタンの生産を行なつていることは認め、右工場が磯津地区の北方にあるとの事実は否認し、その他の事実は不知。
右工場は磯津地区の北北東に位置する。
2 請求原因2・イ・(一)・(1)ないし(6)の事実に対し
イ 被告昭石
(1)、(2)、(5)、(6)の事実は不知。
(3)のうち被告昭石が昭和三二年一一月設立され、同三三年五月石油精製の操業を開始し、当時の原油蒸溜装置の日産能力が四万バーレルであつたことは認め、同被告設立当時の昭和石油等の出資割合は否認し、その他の事実は不知。
(4)のうち被告昭石が被告油化、同化成、同モンサントと相互の結束を固めながら次々と子会社を増殖させて別表1のごとく大規模な総合石油化学企業群を発展させていつたとの点は否認し、その他の事実は不知。
ロ 被告油化
(1)は争う。
(2)のうち東海硫安工業株式会社が現在被告油化となつた事実は認め、その他は不知。
(3)のうち被告油化が昭和三一年四月設立され同三四年に操業を開始したこと、右設立に当たり、三菱レーヨン、旭硝子、三菱商事、三菱金属鉱業、三菱銀行および被告化成の六社が被告油化の株式の一部を所有したことは認め、被告油化が石油化学工業の中核ともいうべきナフサ分解センターであり、また四日市第一コンビナートの中核であるとの点は否認し、他の被告らに関する事実は不知。
その余の主張は争う。
(4)のうち被告油化が原告ら主張のごとき会社の設立に当たり一部出資したこと、および東海瓦斯化成株式会社と合併して同会社の工場が被告油化の旭分工場となり、そこに第四エチレン分解炉を建設したことは認め、その余は争う。
(5)、(6)の事実は不知。
ハ 被告化成
(1)は争う。
(2)のうち、被告化成が昭和二六年ころコークス、染料、硫安を生産していたこと、同年塩化ビニール工場を建設し、後に被告モンサントにこれを引き継いだこと、同二八年七月被告化成がカーバイドメーカー東邦化学工業株式会社を吸収合併したことおよび同二七年一月被告化成が米国モンサント・ケミカル社との合弁により被告モンサントを設立したことは認め、その余は争う。
(3)のうち、被告化成が昭和三一年四月被告油化設立に当たり一部若干の株式を所有したこと、また同三二年被告昭石設立に当たり一部若干の株式を所有したことは認め、他の被告らに関する事実は不知、その他の主張は争う。
(4)のうち被告化成に関する部分は争い、その他の事実は不知。
(5)、(6)の事実は不知。
ニ 被告モンサント
(1)は不知。
(2)のうち被告化成が昭和二六年五月塩化ビニール工場を建設したこと、同被告が同二七年一月モンサント・ケミカル社と被告モンサントを設立し、これが被告化成の前記ビニール工場を引き継いだことは認め、その他は不知。
(3)は不知。
(4)のうち、被告モンサントが、被告化成、同油化、同昭石と相互の結束を固めながら次々と子会社、関連会社を増殖させて別表1記載のごとく大規模な総合石油化学企業群を発展させていつたとの点は否認し、その他の事実は不知。
被告モンサントは子会社、関連会社を増殖させていつたことはない。
(5)、(6)の事実は不知。
ホ 被告中電
(1)ないし(4)の事実は不知。
(5)のうち三重火力建設計画のいきさつ、被告昭石の重油という手近な燃料の利用が可能であることは着目したとの点および三重火力が四日市第一コンビナートにおいて不可欠な存在となつたとの点は否認し、その他は認める。
三重火力の建設計画は原告ら主張の四日市第一コンビナートにおける被告ら工場群の建設操業による電力需要の増大のみを前提としたものではなく、当時、地方自治体の工場誘致の動きもあり、広く四日市およびその周辺の各工場地帯等に対する電灯、電力需要の増大などを見込んだものである。
また、三重火力の建設は被告昭石の石油精製工場建設よりも早く、原告ら主張のように被告昭石の重油という手近な燃料の利用可能に着目したわけではない。
三重火力は、前記のとおり原告ら主張の四日市第一コンビナートに対する電力供給のみを目途したものではなく、また、電力はまさに不可欠であるけれども、三重火力は昭和三八年度以降発電量が減少の一途をたどり、昭和四一年度以降予備火力となり無運転の時期もあり、原告ら主張のコンビナートにおける不可欠な存在というほどのことはない。
(6)のうち被告石原が被告中電から電力の供給を受けていることは認め、その他は不知。
ヘ 被告石原
(1)ないし(5)の事実は不知。
(6)のうち、石原産業海運株式会社四日市工場が昭和一六年一月以降銅製錬および硫酸の製造を開始したこと、昭和二二年四月濃硫酸の生産を再開したこと、同二四年六月石原産業株式会社に改組されたこと、化学肥料を生産するようになつたこと、および同二九年以降酸化チタンの製造を開始したことは認め、その余の事実は否認。
3 請求原因2・イ・(二)・(1)、(2)、(3)・(イ)、(ロ)の事実に対し
イ 被告昭石
(1)のうち、被告昭石四日市製油所で生産されるガソリン溜分をナフサとして被告油化工場に送つていること(ただしその量は被告昭石の製品生産量の約一二パーセントにすぎない)、被告昭石四日市製油所と他の被告ら工場との間に製品受渡し関係については認め(ただし被告昭石から他の被告らへの受渡しは、事実上のものであり、売買等法律上の原因に基づく供給関係はない)、その他は不知。
(2)のうち、被告昭石四日市製油所と他の被告ら工場との間のパイプによる受渡しについては、別図2のうち被告昭石四日市製油所から被告中電三重火力へ重油をパイプで送つていたとの点を否認し、その余は認め他社相互間のパイプの結合等は不知。
(3)の事実は全部不知。
ロ 被告油化
(1)のうち、被告油化工場と他の被告ら工場との受渡しについては後記水蒸気の点を除いて認め、(ただし被告油化から被告昭石に対する窒素、水素の供給を除く)、その余の相被告らに関する部分は不知。
被告油化工場と他の被告ら工場との受渡しは、被告油化の全量取引ではなく、他の需要家にも出荷を行なつており、被告六社間に、技術的関連はない。
(2)のうち、被告油化工場と他の被告ら工場との間のパイプによる受渡しが別図2のとおりであることは認め(ただし被告昭石に対する窒素、水素の供給を除く)るが、パイプによる緊密な結合がみられるとの主張およびパイプによる結合が不可欠であるとの主張は否認。
(3)の冒頭記載の主張は否認。
(イ)のうち三菱三社間で電話施設を共用していることは認め、被告モンサントに関する事実は不知、その余の事実は否認する。
もつとも被告油化設立のころ被告化成から若干の人員が移籍したことはあるが、その後人的交流はない。
(ロ)について、被告油化工場が原告ら主張のごときボイラー施設を設置したことは認め、被告油化工場が三菱三社の水蒸気センターであるとの点は否認する。被告油化に余裕がある場合、被告化成四日市工場および被告モンサント四日市工場に水蒸気を供給したこともあるが、また被告化成四日市工場から供給を受けたこともある。
他の被告らに関する事実は不知。
ハ 被告化成
(1)のうち被告化成四日市工場と他の被告ら工場と別図2の取引があることは認める。右の取引は売買であつて、原告ら主張の技術的関連はない。また右売買は被告の生産する商品の全量取引ではなく、他の需要家とも取引されていた。
他の被告らに関する事実は不知。
(2)のうち、被告化成四日市工場と被告モンサント四日市工場とのカーバイドの取引がパイプによつていたことは否認し、他の被告ら工場との間のパイプによる受渡しが別図2のとおりであることは認めるが、これは輸送の便宜のためにすぎず、原告ら主張のパイプによる緊密な結合はない。
(3)・(イ)のうち、被告化成が被告油化らの一部株式を所有したこと、被地油化設立のころ被告化成から社員が若干被告油化へ移籍したこと、被告モンサンチ幹部社員のうと被告化成から出向した者があること、被告化成では将来被告モンサントの社員として出向することを予定して大学卒業社員の採用が行なわれることおよび電話施設が共用されていることは認め、その余の事実は否認。
(3)・(ロ)のうち、被告油化工場のつくつた水蒸気が被告化成四日市工場へ大量に供給されること、三菱三社の水蒸気センターがあることは否認し、水蒸気の輸送量に関する推測は争い、被告化成以外の事項は不知。
被告化成四日市工場は被告油化工場から水蒸気を買つたことはあるが、それは少量であつて、原告ら主張のような量ではない。
ニ 被告モンサント
(1)のうち、昭和四三年七月現在の被告モンサント四日市工場の原料製品等の需給関係に関する部分は、技術的な関連であるとの趣旨において否認する。
通常の売買であるという趣旨なら認める。
その他の事実は不知。
(2)のうち、被告モンサント四日市工場と他の被告ら工場との間のパイプによる受渡しが別図2のとおりであることは認めるが、被告ら各工場間にはパイプによる緊密な結合がみられるとの点は否認する。
(3)・(イ)のうち、社員の採用、出向に関する被告化成と被告モンサントとの間の関係に関する事実は認めるが、人的構成において関係がきわめて緊密であるとの主張は争う。また被告モンサントと被告油化との間の資本的関連、人的交流の事実は否認する。また被告モンサント、同化成、同油化各工場間で電話施設を共用していることは認めるが、厚生施設の共用、工場敷地の境界線が画然と区別されていないとの点は否認する。その他の事実は不知。
(3)・(ロ)のうち、被告モンサント四日市工場の操業にとつて、水蒸気がエネルギー源として必要であること、昭和四三年七月現在被告油化工場から水蒸気の供給を受けていたこと(ただし、通常の売買)は認めるが、大量に供給されているとの点は否認する。原告ら主張の水蒸気の輸送量は原告らも認めているように計算値であつて現実に輸送した量ではなく、現実に供給を受けた数量はきわめてわずかであつた。
その他の事実は不知。
ホ 被告中電
(1)のうち、被告中電三重火力が被告昭石四日市製油所から重油の供給を受けていることは認めるが、同被告以外の会社から供給を受けることも多く、またパイプによる供給は昭和三六年ころから昭和四〇年二月ころまでの間のことであつて、同月一三日以後その使用を廃止している。また被告中電三重火力の電気が他の被告五社の工場に供給されていることは認めるが、それは中央給電指令所の指令に従つて変電所を通じて送電されるので、三重火力の電気が送電されるとは限らない。
他の被告らに関する事実は不知。
(2)のうち、パイプの使用期間は前記のとおり、昭和三六年ころから同四〇年二月ころまでのことであり、パイプによる緊密な結合がみられるとの主張は否認し、その他の事実は不知。
(3)の事実は全部不知。
ヘ 被告石原
(1)のうち、被告石原四日市工場が被告油化工場から濃硫酸液安を購入していること、被告油化工場に希硫酸を売却していることおよび被告中電から電力の供給を受けていることは認める(ただし、被告油化との取引は継続的なものでない)。被告石原四日市工場が被告昭石から重油の供給を受けているとの点および、被告石原四日市工場が他の被告ら工場との間に密接な結合関係があるとの主張および技術的関連を有するとの主張はいずれも否認する。
その余の事実は不知。
(2)のうち、被告石原四日市工場と被告昭石四日市製油所との間に重油輸送のためのパイプが埋設されていることは認め(ただし、昭和三九年四月以降である)、その余の事実は不知。
(3)の事実は全部不知。
4 請求原因2・イ・(三)の事実に対し、
イ 被告昭石、同油化、同化成、同モンサント、同石原事実は否認し、その主張は争う。
ロ 被告中電
(三)のうち、被告中電三重火力が他の被告五社の工場と場所的に近接していることは認め、その他の事実は否認する。
被告中電は電気を相被告五社に供給しているけれども、それは、被告五社の工場のみならず、その他の多数の工場や家庭に電線を通じて送られているものであつて、水道やガスの供給と同様である。それは、原告らの主張するような機能的・技術的な結合関連性に属するものではないし、そのゆえに有機的な一個の企業集団に三重火力が包摂されるものでもない。ことに注意すべきは、被告中電は、電気事業法上の電気供給義務の履行として、ひとしく需要者(特定少数企業に限らない)に送電しているものであつて、被告中電の意思によつて、特定企業に対し電気の供給を拒絶することはできないのである。いわば法の強制によつて電気の供給を行なつているのであつて、電力供給の一事により他企業との間に結合関連性ができるものではない。原告らの主張する結合関連性や有機的集団を形成するためには、少なくとも一企業と特定少数企業とのきわめて密接な関係が前提であろうと思われるが、電気事業は水道やガス事業と同様その意味においては全く右前提を欠くものである。また、単に場所的に近接していることだけで結合関連性を生ずるものではなく、まして有機的企業集団を形成するものではない。
5 請求原因2・ロ・(一)の事実に対し
イ 被告昭石
(一)のうち、被告昭石四日市製油所が多量のばい煙を発生したとの事実ならびに別表2の1記載以前および以後の各年度の原燃料の使用量に関する原告ら主張事実は否認し、その余の被告昭石に関する事実は認め、他の被告らに関する事実は不知。
ロ 被告油化
(一)のうち、別表2の2については、副生ガス副生油のいおう含有率、第一焙焼炉の硫化鉱の昭和三九年の使用実績を否認し、その余は認める(ただし、排出量1,118,000Nm/Hは川尻分工場の分をも含んだものである)。右副生ガスのいおう含有率は0.00重量パーセント、副生油のそれは0.1ないし0.52パーセント(詳細は乙ろ第二号証のとおり)であり、また右硫化鉱の昭和三九年の使用実績は二万六、六二九トンである。別表3のうち、被告油化に関する部分は、原告らが用いた算出方法によるならば、原告ら主張の数値になることは認めるが、計算どおりのばい煙が大気中に排出されることはなく、旭分工場の化成肥料乾燥炉から発生するいおう酸化物は大気中に排出されない。別表2の2記載以前および以後の各年度の原燃料の使用量に関する原告ら主張事実ならびに廃硫酸、石油スラッジ等を燃焼したとの点は被告油化に関しては否認。
他の被告らに関する事実は不知。
ハ 被告化成
被告化成四日市工場の排出施設等は別表9記載のとおりであるから、別表2の3のうち、別表9と合致する部分は認め(ただし、被告化成四日市工場は石油化学製品の生産にあたりばい煙を排出しているものではない)、その他は否認する。また昭和三五年以前および昭和四二年以降の原燃料の使用実績の主張事実は否認する。別表3のうち、被告化成に関する部分は、原告らが用いた計算方法によるならば原告ら主張の数値になることは認めるが、計算どおりの量が大気中に排出されることはなく、化成肥料乾燥炉の重油燃焼により発生した亜硫酸ガスは、乾燥機内において肥料の粒や肥料細粉と化学反応をおこして肥料の一部となり、さらに化学反応しなかつた亜硫酸ガスもパイプおよびサイクロンにおいて肥料細粉と化学反応をおこし亜硫酸ガスはほとんど消滅し、大気中に排出されることはない。廃硫酸、石油スラッジ等を燃焼したとの点は被告化成に関しては否認。
他の被告らに関する事実は不知。
ニ 被告モンサント
別表2の4および昭和三三年以前および昭和四三年以降の燃料の使用量に関する事実ならびに別表3のうち被告モンサントに関する部分は認め、その他は不知。
ただし多量のばい煙を排出したとの点は否認。
ホ 被告中電
別表2の5および別表3のうち被告中電に関する部分は認め(ただし別表2の5の昭和三四年から同三七年までの重油のいおう含有率は三パーセント以下)、別表2の5記載以前および以後の原、燃料の使用量に関する主張事実ならびに廃硫酸、石油スラッジ等廃物を燃焼したとの点は被告中電に関しては否認し、その他の事実は不知。
へ 被告石原
別表2の6記載の事実は認め、その余の事実(使用重油の比重に関する事実を除く)は否認し、他の被告らに関する事実は不知。
右重油を燃料として使用する過程においても、チタンカルサイナーでは排煙中から亜硫酸ガスを除去しているので大気中に排出せず、化成第一、第二乾燥炉、石膏乾燥炉、硫酸鉄乾燥炉にも防止設備を設け、亜硫酸ガス等が大気中に排出されることを防止している。
6 請求原因2・ロ・(二)・(1)、(2)・(イ)・(ロ)・(ハ)・(ニ)の事実に対し
イ 被告昭石、同油化
不知。
別図4の1、2によつても、北西、北北西風のときに0.2ppm以上の高濃度になつたのは五一回中わずか七回にすぎず、むしろ稀な現象である。逆に右風向以外のときにも磯津地区に高濃度の汚染が記録されているのであり、たとえば昭和四二年一〇月から一二月までの三か月間に磯津地区において北西ないし北北西以外の風向のときに亜硫酸ガス濃度が0.1ないし0.4ppm以上を記録している場合が数多くみられその一例として同年一一月二日と同月一一日の記録が挙げられる。このように北西・北北西以外のときに高濃度汚染がみられることは、原告ら主張の論理に従えば被告ら以外にも高濃度汚染を生ぜしめる排出源が存在しているというべきである。
また、右別図4の1・2は三浜小学校の風速と磯津の亜硫酸ガス濃度とを対比させているが、三浜小学校における風向、風速と磯津地区におけるそれとは同一ではないからこの点でも誤りがある。
ロ 被告化成、同中電、同石原
不知。
ハ 被告モンサント
不知。
磯津地区における二酸化鉛法による亜硫酸ガス濃度の主張は、その溶液導電率法による濃度への換算式が明らかでない限り、右導電率法で定められている人体環境許容値との関係が明らかにならず、ひいては人体にいかなる影響を及ぼすかも不明である。
7 請求原因2・ロ・(三)・(1)・(2)・(3)の事実に対し
イ 被告六社
それぞれ自社に関する部分は否認し、その余の事実は不知、その主張を争う。
大気中に排出されたばい煙はそこにおける主風向に従つて流動する流動現象とその流動のうちで前後、左右、上下に拡散する拡散現象との無数の結合によつて決定される複雑な現象であり、右流動現象は地形地物の影響、地上の気温の分析状態、気温の垂直分布等によつて影響を受け、拡散現象においては、煙突の有効高、風速、大気安定度等の諸条件が考慮されなければならず、原告ら主張のごとき単純な要素によつて定まるものではない。
また原告らは被告ら以外にも四日市市に多数存在するばい煙の排出源を全く無視している。
ロ 被告昭石
被告ら以外の四日市市におけるばい煙排出源を無視している原告らの誤りは次の点からもいえる。すなわち、正月三が日においても被告らはその操業を休止していないが、その間の磯津地区の濃度は他の一月中の濃度に比して明らかに低いのであつて、これは、被告らのばい煙以外にばい煙が磯津地区へ到達していることを証明するものである。
8 請求原因2・ハ・(一)ないし(五)の事実に対し
イ 被告昭石、同石原
事実は不知、その主張を争う。
ロ 被告油化、同化成
黒川調査団報告のあつたことは認め、その余の事実は不知、主張は争う。
ハ 被告モンサント、同中電
黒川調査団報告があつたこと、四日市公害関係医療審査制度が設けられたことは認め、その余の事実は不知、主張は争う。
9 請求原因2・ハ・(六)の事実に対し
イ 被告昭石、同石原
今村善助、瀬尾宮子が死亡した事実は認め、その余は争う。
ロ 被告油化、同化成
今村善助、瀬尾宮子死亡の事実を認め、その死因は不知、その余の事実は否認。
ハ 被告モンサント
今村善助、瀬尾宮子死亡の事実を認め、被告モンサントの稼動による磯津地区の大気汚染を否認し、その余の事実は不知。
ニ 被告中電
原告らの入院および今村善助、瀬尾宮子死亡の事実を認め、原告らの発病および症状増悪の原因を否認し、その余の事実は不知。
10 請求原因3・イ・(一)、(二)・ロ、ハの事実に対し
イ 被告昭石、同油化、同化成、同モンサント、同石原全部争う。
ロ 被告中電
イのうち、足尾銅山、住友鉱業新居浜製錬所移転事件、日立鉱山阿呆煙突事件など戦前からの煙害は、いずれも高濃度亜硫酸ガスの中毒事件であつて、低濃度亜硫酸ガスによる長期暴露の影響とは性質が異なる。また、バターシー発電所の脱硫については石炭火力の例であるのみならず、湿式脱硫で二次公害を惹起するおそれがあり、排煙脱硫としては適切でないし、原告ら主張の調査、勧告、その他内外の知見は環境のより良き保全を目的としたものであつて、それが直ちに人体に対する危害に結びつくものではない。被告中電は、排煙の拡散、低いおう重油の使用、排煙脱硫の研究開発に努力し、環境のより良き保全にできる限りの最善の努力をしてきたものであつて、排煙に対する過失はない。
ロについては、被告中電は三重火力の排煙と原告らの健康障害との間に因果関係が存在しないものと認識しているのであるから、故意は全くない。
ハはすべて争う。
11 請求原因4・イ・(一)の事実に対し
イ 被告昭石
原告らが四日市市公害関係医療審査会により大気汚染関係疾患の認定を受けていることは認め、原告らがいおう酸化物等による大気汚染によつて健康を害したことは否認し、その余の事実は不知。
ロ 被告油化、同化成、同中電、同石原
原告らがいおう酸化物等による大気汚染によつて健康を害したことは否認し、その余の事実は不知。
ハ 被告モンサント
原告らがその主張の時期に四日市市公害関係医療審査会により大気汚染関係疾患の認定を受けていることは認め、その余の事実は不知。
12 請求原因4・イ・(二)・(1)、(2)に対し
イ 被告昭石
(1)のうち原告らが労働に従事し得ない状態にあり今後も疾患が治癒し労働に従事し得る見込みがないとの点は否認し、喪失利益の額、計算の方法、根拠の主張は争う。
(2)のうち原告らが大気汚染によつて健康を奪われたこと、被告昭石が排出するばい煙中よりいおう酸化物等を除去する根本的な対策をとらず、あえて操業を続け加害行為を継続したとの点は否認し、その余の事実は不知、慰謝料の額は争う。
ロ 被告油化、同中電、同石原
(1)および(2)の事実は争う。
ハ 被告化成
(1)のうち原告らの年令および原告らが入院中であることは不知、その余の事実は否認し、喪失利益の算定方法等を争う。
(2)は争う。
ニ 被告モンサント
(1)のうち原告らが入院中であることは認め、その他の事実は不知、計算方法の主張は争う。
(2)のうち被告モンサントが加害行為を継続していることは否認し、その他は不知。
13 請求原因4・イ・(二)・(3)の事実に対し
被告六社
原告ら主張の弁護士報酬契約の存在は認めるが、これが本件不法行為と相当因果関係にある損害であるとの主張は争う。
14 請求原因4・イ・(三)に対し
被告六社
争う。
15 請求原因4・ロ・(一)、(二)・(1)・(2)、(三)の事実に対し
イ 被告昭石、同油化、同化成、同中電、同石原
(一)のうち今村善助が死亡したことは認め、その余の事実は不知。
(二)の事実は不知。喪失利益、慰謝料の額および計算方法は争う。
(三)は不知。
三 被告らの抗弁
1 被告昭石
イ 違法性の阻却
被告昭石の石油精製事業は産業の根幹をなすエネルギーを供給する事業であり、石油業法の下で設備の新設増設等はもちろんその操業についても毎年度策定される石油供給計画に基づいて厳格な指導の下にその運営が義務づけられているのであつて、その公共性については疑いがなく、また精製製造の過程等において必要な重油を燃焼することはいかなる企業も自由になしうるところであり、社会的に相当な行為である。
また被害者側の特殊事情として、仮に原告ら主張の亜硫酸ガスが気管支ぜんそくの発病と関係があるとしても、本件では通常人にとつては全然影響を生ずることなく、原告ら一部の過敏性体質の者のみが罹患したものであり、被告昭石の排煙は旧ばい煙の排出の規制等に関する法律(以下ばい煙規則法という)、および現行大気汚染防止法所定の排出基準をはるかに下回り、磯津到達量も後記のとおり微量である。
以上の被告昭石の行為の公共性ないし社会的相当性、被害者側の特殊事情、公法上の基準の遵守および到達亜硫酸ガスが微量であること等からして被告昭石の排煙は受忍限度内のものというべく、右排煙に違法性はない。
ロ 被告昭石は最善の努力を尽くしてその排出する亜硫酸ガス等が人体に悪影響を及ぼさないようにしてきたのであるから被告昭石はその注意義務を完全に尽くしたものである。
(一) 被告昭石は四日市製油所を建設するに当たり、その属する世界各国に数十の製油所を有するロイヤル・ダッチ・シェル・グループの豊富な技術的経験に基づく最新の技術を採用し、当時として世界最高の技術をもつてこれを建設したものであり、当時公害という言葉はなく製油所で排出した亜硫酸ガスが人体に悪影響を及ぼした実例は皆無であり、またその可能性についても考えられていなかつたのであるが、より万全を期するため、当時製油所としては日本で最も高い六〇メートルの煙突およびボイラー煙突としてはこれも日本で最高の四五メートル煙突を建設して大気汚染防止対策に努めたのである。
(二) 被告昭石は、四日市製油所建設においても、アスファルト製造装置を設けて重油からいおう分の多いアスファルト質を製造除去し、右アスファルト分が除去された重油を使用し、また燃料ガス洗滌装置、水添式脱硫装置を設けてガス中のいおう分の除去や重油の低いおう化をはかり、煙突を一二〇メートルと一〇〇メートルの高煙突に建て替え、新設の煙突もすべて一〇〇メートル以上のものにする等して大気汚染防止の努力を続けているのであり、一企業としてなしうる最善の努力をなし、注意義務を尽くしたものである。
ハ 共同不法行為における被告昭石の排煙と原告らの損害との間の因果関係の不存在
被告昭石四日市製油所の排出する亜硫酸ガス等は磯津地区へ到達せず、または到達したとしてもきわめて微量であつて原告らの健康障害との間に因果関係はない。
(一) 排煙の地上への到達を計算する計算式のうち最も権威あるものとされ、広く使用されているのは煙突の有効高についてはボサンケ式、拡散式についてはサットン式であり、大気汚染防止法もこの式を採用している。
被告昭石の排煙についても右ボサンケ・サットン式により六〇メートルおよび四五メートル煙突につき風速毎秒二ないし六メートルの場合に磯津地区に到達する亜硫酸ガス濃度を計算した。
また右ボサンケ・サットン式を使用するに当たつては、その拡散係数、大気安定度係数として通産省の総合事前調査にも使用された一般的な数値を用い、燃料使用量については六〇メートル煙突を使用した年のうち最も消費量の多かつた昭和三九年の使用量を、いおう含有率については最大値の4.5パーセントと被告昭石の最も不利益な数値を使用した。
このようにしてえられた被告昭石の排煙の磯津到達量の計算結果は十分客観性を有するものである。
(二) 被告昭石四日市製油所の煙突から原告ら居住地までの距離は約六〇〇メートルないし九〇〇メートルであるが、前記ボサンケ・サットン式により計算した右原告ら居住地における被告昭石四日市製油所の亜硫酸ガス濃度は、六〇メートル煙突の場合には風速二ないし六メートルの場合0.0000ppmであり、四五メートル煙突の場合には風速二ないし四メートルでは0.0000ppm、風速六メートルで0.0000から0.0004ppmの間のきわめて微量にすぎない。また四五メートル煙突を合算しても0.0008ppm以下にすぎない。
しかも右の値は風向が常に北西風の場合の値であるが、実際には磯津地区における北西風の頻度は昭和四五年一月から一二月までの間において八パーセントにすぎず、仮に西北西、北西、北北西の三風向を合算しても22.8パーセントにすぎない。
(三) ダウンドラフト現象は煙突が建屋の2.5倍以上の高さを有するときは生じないが、被告昭石四日市製油所の煙突と磯津地区との間および被告昭石の煙突周辺にはダウンドラフトを起こしうべき高さを有する建屋は存しない。
(四) 右のごとく被告昭石の排出する亜硫酸ガスは六〇メートル煙突の場合には全く到達せず、四五メートル煙突の場合にもきわめて微量にすぎず、これが人体に悪影響を及ぼすおそれのないことはきわめて明白である。
のみならず、右の六五メートルおよび四五メートル煙突は昭和四〇年ないし四二年に一二〇メートルおよび一一〇メートルの各集合煙突に建て替えられているのであり、このように建て替えられた後はその排煙は全く原告ら居住地に到達していない。
2 被告油化
イ 被告油化の各ばい煙発生施設は設置当時において世界的に最高のメーカーの製作になり、広く世界各国で使用中のものを設置し、完全燃焼しうるよう配慮した。
右施設に使用する燃料については、いおう含有率がきわめて低く、前記完全燃焼の事実と相まつて、排出ばい煙中のいおう酸化物濃度もきわめて低く、ばい煙規制法、大気汚染防止法等に定める規制基準にも何ら抵触していない。
反面ばい煙中からいおう酸化物を除去する抜本的措置はいまだ実験における知見にとどまり、昭和四六年以前は全く実用化に至つていないし、低いおう重油の入手も産油に対する国際資本の関係上日本への輸入量もきわめて少なく、ひろく石油化学工業の用に供しうる程度には達していない。
これらのことからして、被告油化のばい煙からいおう酸化物を除去する措置としては、そのなしうる最善の方法を尽くしてその設備をなしたものというべく、大審院判例の立場からすれば、結果回避義務を尽くしたことになり、過失を認める余地はないというべきである。
ロ 違法性の阻却
被告油化が四日市地区にその工場を建設したのは昭和二九年五月の衆議院における決議を原動力とする「石油化学工業育成」という当時の政治的世論を背景とする国策のもとに発足したものであり、国、県、市もその地域の経済的発展に役立つところ大であるとして企業誘致につとめ、その優遇策を講じてきたものであり、かつ被告油化はその工場建設以来各種の行政基準の制定および強化にかかわらず、常にこれを遵守し、行政措置にはいささかも抵触することなく、平穏、公然、善意をもつてその事業活動を継続してきたものであつて、このような被告の企業活動は社会的相当性をもつた行為として違法性なきものというべきである。
3 被告化成
イ 違法性の阻却
被告化成の本件係争施設からの排煙中のいおう酸化物は、ばい煙規制法および大気汚染防止法所定の排出基準をはるかに下回り、さらに右いおう酸化物が原告ら居住地に到達するとしても、その場合のいおう酸化物の濃度は最大でも0.0009ppm程度以下であつて、環境基準の二千分の九程度にすぎないものである。
このような極微量のいおう酸化物は社会生活上受忍されるべき限度内のものというべく、その排出には違法性がない。
ロ 被告化成は、カーボンブラック製造設備において、反応室出口および冷却器において水を噴射して亜硫酸ガスを除去し、ジェットコレクターにより廃ガスを水洗する等の措置をとり、化成肥料乾燥機においても、その付属設備たる冷却装置で上から散水してサイクロンで除去されなかつた肥料細粉と共に亜硫酸ガスを除去し、エアタンブラーにおいてさらに右細粉や亜硫酸ガスを除去する等の措置を講じ、可能な最善の大気汚染防止措置および方法をとつているのであるから、同被告に過失はない。
ハ 共同不法行為における被告化成の排煙と原告らの損害との間の因果関係の不存在
(一) 被告化成四日市工場から排出されるいおう酸化物は微量である。すなわち、燃料としての重油使用量が少なく、原告ら主張の別表3によつても同工場の排出量は被告六社工場の総量の千分の七にすぎず、またカーボンブラック製造の原料に重油を使用した場合はいおう酸化物が製品に吸着し、かつ水洗により相当部分除去されて、その排ガス中におけるいおう酸化物濃度は0.0016パーセントないし0.0091パーセントときわめて低濃度になつており、その量は少なく、さらに化成肥料製造の場合にはいおう酸化物は肥料成分と反応して除去され排出されない。
(二) 被告化成四日市工場と原告ら居住地との間は二千数百メートル離れ、その間に多数の構築物が存する。同工場のいおう酸化物の最大着地濃度地点は約一〇〇ないし三〇〇メートルである。
ところで、同工場の右いおう酸化物は同工場の構築物等によるダウンドラフト現象により、右最大着地濃度地点よりさらに発生源近くに巻き落とされ、その後原告ら居住地までの間に存する多数の構築物等によるダウンドラフト現象によつてさらに拡散稀釈され、前記排出量の微量であることと相まつて原告ら居住地には到達しないのである。
(三) 被告化成四日市工場の排出するいおう酸化物が原告ら居住地に到達する量を、サットン式を用い、その式の係数については風向変動型を調べたうえ、最も適切な係数を用いて計算した結果、昭和三六年一〇月から三七年七月まで0.0000ppm、同年八月から三九年六月まで0.0001ppm、同年七月から四一年一二月まで0.0008ppm、四二年一月から四二年七月まで0.0007ppm、同年八月から同年一二月まで0.0009ppmである。
(四) 右計算値の最高値0.0009ppmをとつてみても、環境基準の一時間値0.2ppmに比しわずか二千分の九にすぎないのであつて、原告らの疾患とは何らの関係もない。
さらに右0.0009ppmの濃度は北々西風の場合であるが、昭和三六年から四二年までの平均でみると、北々西風は3.9パーセントと少なく、仮に右0.0009ppmが到達するとしても、それは年間を通じてまれな現象であるから、この点からしても被告化成四日市工場の排煙中のいおう酸化物と原告ら主張の疾患との間に因果関係はない。
(五) 被告化成四日市工場が重油を原料にも燃料にも使用していない時期すなわち昭和三六年一〇月以前に発症した亡今村善助、原告藤田一雄、同石田かつの発症は同工場の排煙と因果関係のないことは明らかである。
また原告中村栄吉、同野田之一、同石田喜知松、亡瀬尾宮子は昭和三七年七月までの発症であつて、それまでの間の右工場の磯津到達濃度は前記のとおり零であるから、右四名の発症についても因果関係はない。
さらに原告塩野、同柴崎の発症は昭和三九年六月までであるが、前記同工場の磯津到達濃度からして右二名の発症についても因果関係はない。のみならず、前記のような微量な到達濃度からして原告らの病状の悪化の原因にもなつていない。
ニ 分割責任の主張
仮に以上の被告化成の主張が認められないとしても、被告化成の負うべき責任は原告らの損害額に対し寄与度に応ずる分割責任の限度にすぎない。
(一) 右分割責任を負う場合の算式は次のとおりである。
右の算式の分母である磯津のSO2濃度は常に変化するからこれに代わるものとして、昭和四四年二月閣議決定の環境基準一時間値0.2ppmをとることとする。
そうすると被告化成のいおう酸化物の磯津地上濃度が0.0001ppmのときは被告化成の寄与度は
また右磯津地上到達濃度が0.0009ppmのときは
となる。
(二) 前記のように、被告化成は、亡今村善助、原告藤田一雄、同石田かつ、同中村栄吉、同野田之一、同石田喜知松、亡瀬尾宮子の七名の発症に対しては何らの寄与もしておらず寄与度は零である。
原告塩野輝美、同柴崎利明に対しては同人らの発症の時期と被告化成の当時の磯津到達濃度からして右発症の寄与度は二千分の一である。
さらに被告化成のいおう酸化物により疾患が増悪した場合は、原告塩野、同中村、同柴崎、同藤田、同石田かつ、同野田、同石田喜知松の疾患増悪による損害額に対し二千分の九、亡今村善助、同瀬尾宮子の疾患増悪による損害額に対し同様二千分の九に相当する額を分割負担するだけである。
4 被告モンサント
イ 違法性の阻却
被告モンサント四日市工場は塩化ビニールその他社会的に役立つ製品の製造に従事しており、その排出亜硫酸ガスは後記のとおり極微量であつて、ばい煙規制法、大気汚染防止法所定の基準値をはるかに下回つており、その重油使用量は昭和三四年から同三八年までは四日市市内の公衆浴場一軒当たりの年平均重油使用量を下回り、昭和四〇年以降でさえようやく万古陶磁器工場と同程度になつたにすぎず、このような微量の重油の使用は社会通念上非難可能性がなく、さらに右亜硫酸ガスの磯津到達量は後記のとおり0.00000ないし0.00014ppmであつて、受忍限度をはるかに下回り違法性がない。
ロ 共同不法行為における被告モンサントの排煙と原告らの損害との間の因果関係の不存在
(一) 被告モンサント四日市工場の重油使用量、亜硫酸ガス排出量および磯津到達濃度
(1) 被告モンサント四日市工場の昭和三四年一月一日から同四二年一二月三一日までの重油使用量は原告ら主張のとおりであり、右期間中最大の量を使用した昭和四二年においてさえきわめて微量であり、ことに原告らのほとんど全員が発病したと主張されている昭和三六年から同三七年にかけての使用量およびそれ以前の使用量は年間約四〇キロリットルにすぎず、ほとんど零に等しい。
右工場の重油使用量を他と比較すると、被告六社を含む四日市地区主要工場の全重油使用量に占める割合は、昭和三八年度が約0.00299パーセント、同三九年度が約0.02022パーセント、同四〇年度が約0.17202パーセントであり、また昭和三四年から同三八年までは公衆浴場なみ、同三九年から重油使用量が増加するのであるが、それでも昭和三九年においては万古陶器工場の平均年間重油使用量よりはるかに少なく、同四〇年以降になつてようやく右工場と同程度に達するにすぎないのである。
(2) 被告モンサント四日市工場の排出した亜硫酸ガスは原告ら主張の別表3のとおりであり、これに尽きるが、昭和三五年から同三八年までの同工場の被告六社工場全体の亜硫酸ガス排出量に対する寄与度は、いずれの年度も0.00パーセントであり、最も寄与度の高い昭和四二年をとつてみてもわずかに0.47パーセントにすぎない。
そして昭和三五年から同四二年までの合計量についてこの寄与度をみれば0.14パーセントにすぎないのである。
そして、原告らの発病時期およびこれに先だつ二年五か月ないし五年七か月間の右工場の排出亜硫酸ガス量はほとんど零に等しかつた。
(3) 被告モンサント四日市工場の排出硫酸ガス量の経年変化と磯津を含む四日市の工業地区の冬期の亜硫酸ガス濃度の経年変化とを比較すると両者は全く無関係又は逆の方向の変化をたどつており、さらに右工場の排出亜硫酸ガス量の経年変化と磯津における閉そく性呼吸器疾患の新患発生件数の経年変化とを比較しても両者は全く無関係又は逆の方向の変化を示している。
(4) 被告モンサント四日市工場の排出した亜硫酸ガスの磯津地区に到達した濃度は次のとおりである。
右濃度の算出方法としては拡散式を用い、同工場の到達濃度を計算するのに最も妥当なサットン式に、最も適切な係数を用いて算出した結果、同工場の排出亜硫酸ガスの磯津到達濃度は、昭和三六年一月から同三九年一二月までは0.00000ppm、昭和四〇年一月から同四二年一二月までは最大限0.00014ppmであり、極度に微少なものである。
したがつて前記原告らの発病時期およびその前後の時期には、右工場は磯津地区に全く亜硫酸ガスを到達させていなかつたものであり、その後昭和四〇年以降最大限0.00014ppmの亜硫酸ガスによつては、すでに発病した原告らの病状が悪化したとは到底考えられないのである。
(5) 右被告モンサント四日市工場の排出亜硫酸ガスの磯津到達濃度を、財団法人日本公衆衛生協会が昭和三〇年一二月一七日に厚生大臣の諮問に答えて同大臣あて答申した亜硫酸ガスの人体環境許容値、生活環境審議会公害部門環境基凖専門委員会の昭和四三年一月に答申した環境基準専門委員会報告書の人の健康を保持するための閾濃度と比較すると、前記最大限到達濃度0.00014ppmは右許容値等のいずれも千分の1.4にすぎない。
(二) 以上の点からして、被告モンサントの亜硫酸ガス排出行為と原告らの被害の発生、増大との間には、他の原因者の行為との関連においてながめても因果関係がなく、共同不法行為は成立しない。
ハ 分割責任の主張
仮に被告モンサントが他の被告らと共同不法行為責任を負うと解されたとしても、被告モンサントはその寄与度を限度としてのみ損害賠償責任を負うものである。
そうすると、まず被告モンサント四日市工場は昭和三九年までは前記のとおり排出亜硫酸ガスを磯津に到達させていなかつたのであるから寄与度は問題にならず、原告らの発病について共同不法行為の成立を論ずる余地はない。
また昭和四〇年以降についても右工場の亜硫酸ガスの磯津到達濃度はあまりにも小さいために単独で被害を起こさないのはもちろんのこと、他の原因と集合することによつて原告らの病状を増悪させたともいえない。したがつて分割責任を負う場合には該当しない。
仮に百歩譲つて、被告モンサント四日市工場の亜硫酸ガスが副達しなければ原告らの病状が増悪しなかつたのにそれが到達したために他の原因と集合して病状が増悪したと認められた場合において、他に単独で許容濃度をこえる濃度の亜硫酸ガスを磯津に到達させている原因者がない場合には、その寄与度を限度として次の割合の責任を負うものである。
すなわち被告モンサントは理論上
被告モンサントが磯津に到達させたSO2濃度/磯津のSO2濃度×病状増悪による認定された損害額
賠償の責任を負うことになる。
しかし、磯津の現実の亜硫酸ガス濃度は常に変動し、一義的に決定することは困難であるから、ひとつの考え方として環境基準値の一時間値0.2ppmを右の式の分母の値とすることであり、そうすると被告モンサントの寄与度は同被告にとつて最も不利な仮定に立つて計算しても
0.00014/0.2
であるから、被告モンサントは原告らの疾病の増悪によつて増大した損害額の一〇〇〇分の0.7をこえない限度でのみ分割責任を負うにすぎない。
5 被告中電
イ 違法性の阻却
被告中電は電気事業法にいわゆる一般電気事業を営んでいるものであるが、右電気事業は産業活動に不可欠な基礎エネルギーを提供する基幹産業であるのみならず、電化の進んでいる現代の国民生活に必要不可欠なエネルギーを供給する事業であつて、強度公益性を有し、したがつて電気事業法により、いわゆる供給義務を課せられ、かつ取引相手方選択の自由も有さないものである。また被告中電三重火力はばい煙規制法および大気汚染防止法の規制を完全に遵守し、かつ後記のように大気汚染防止に関する不断の最善の努力をしているものであるから、右三重火力の排煙は受忍限度内のものというべく、右排煙に違法性はない。
ロ 被告中電は、三重火力建設に当たり、当時における最高水準の科学知識と過去の貴重な経験を生かしてこれを建設したものであり、その施設と排煙の処理については、火力発電事業用重油についての制約の中にあつて、できる限り低いおう重油の入手使用につとめ、電気集じん器、低いおう重油タンク、監視装直等を設置し、煙突を57.3メートルから一二〇メートルに建て替え、さらに脱硫に関する研究開発を積極的に行なうなど大気汚染防止に関する最善の努力を傾注してきたのであつて、三重火力の立地および排煙に過失はない。
ハ 共同不法行為における被告中電の排煙と原告らの損害との間の因果関係の不存在
(一) 被告中電三重火力は原告らの居宅から六三〇メートルないし八三〇メートル離れた所にあつて、その方角は磯津地区の北北西よりやや北寄りに所在する。
そこで三重火力の排煙が磯津地区の方向に流れるのは北北西風ないし北風のときであるが、昭和三六年から同四〇年まで五年間の平均によれば北北西風ないし北風の発生頻度は計一三パーセント以下にすぎず、この風向の点のみからいつでも三重火力の排煙が磯津地区方向にゆく割合はきわめて僅少である。
さらに三重火力の燃料消費量は昭和三八年以降減少の一途をたどり昭和四一年は昭和三八年に比し、約四分の一に激減しているが、磯津地区の亜硫酸ガス濃度は昭和三八年以後増加の傾向にある。
また三重火力が運転を休止しているときでも磯津地区で0.1ppm以上の濃度が検知されている。
これらのことは磯津地区の亜硫酸ガス濃度と三重火力の排煙とは関係がないことを示すものである。
(二) 風洞実験は、大気が中立状態における拡散現象を解明する上できわめて信頼度の高いものであり、熱浮力を入れた拡散実験は実測値と非常に良い相関を示すから、現在の科学的水準では最も信頼度の高いものであるが、被告中電三重火力の排煙の拡散現象を調べるために風洞実験をした。
右風洞実験は財団法人電力中央研究所が大気拡散調査専用に作製した風洞の中に対象とする建屋、地物、煙突等の縮尺模型を入れて、この煙突からトレーサ物質を入れた排煙と相似のガスを排出させて各風速の条件下で模型地形上の各点においてトレーサ物質の濃度を実測して排煙の拡散現象を実験したものであるが、右拡散に関する風洞実験においては、右電力中央研究所がわが国で最も早く実験に着手し、その技術水準はきわめて高く外国のそれと比べて遜色のないものである。
熱浮力を入れた右風洞実験の結果は風速四メートルのときは原告ら居住地区の約一〇〇メートル上空、風速六メートルのときは同じく約七〇メートル上空、風速八メートルのときは同じく約四〇ないし五〇メートル上空を排煙の下限が通過し、原告ら居住地区には着地しない。
なお風速四メートル未満の場合は煙突有効高さがより高くなるため排煙はさらに上昇して拡散するし、風速八メートルをこえる場合は拡散効果が大きくなり、原告らの居住地区に着地することはない。
なおまた右風洞実験に用いた諸元は運転実績を基に設定した機器の性能標準値(ボギー値)であるが、仮に設計値を記載したと思われる甲六九号証の二(その中には一部誤記があると思われるが)の数値を五七メートル煙突の諸元に置きかえた場合でも排煙はいずれも磯津地区の上空を通過し、同地区には着地しない。
以上は五七メートルの煙突の場合であるが、一二〇メートル煙突の場合被告中電三重火力の排煙が原告らの居住地区に着地しないことはいうまでもない。
(三) 以上の次第で被告中電三重火力の排煙と損害との間に因果関係はない。
6 被告石原
イ 違法性の阻却
(一)(1) 行為の社会的価値
被告石原は昭和一三年四日市市の熱心な誘致により同市にその工場建設を決定したのであり、四日市築港株式会社の設立に参加して工場用地の埋立造成を行なうほかその他の埋立工事に協力して四日市港の現在の姿のもとを形づくり、昭和一六年工場操業開始以来現在まで四日市市の社会的経済的発展と繁栄に多大の貢献をしてきた。ことに戦後においては農薬、化学肥料の生産を行なつて当時の欠乏した食料の増産に多くの貢献をなし、酸化チタンの製造はほとんどすべての塗料顔料の製造に不可欠のものであり、その製品による社会的貢献特に輸出による日本経済への貢献は多大である。
(2) 場所的慣行性
他面四日市市は被告ら各工場のほか多数の工場が存在する工業都市であつて、被告ら工場は当時の国、県、市等の産業政策、都市計画により招致されたものであり、その建設にあたつても、また現在の操業もまさに四日市の地域性に適合している。原告ら居住地も建設省告示により準工業地域に指定されているが、四日市市全体としての工業都市的性格は右原告ら居住地区をもおおつている。被告石原は後記のようにばい煙排出設備には最大限の防止措置を講じその排出量は微少であるのであるが、仮に原告らが多少の亜硫酸ガスを受けても、右四日市の地域性、場所的慣行性からしてこれを受忍すべき立場にあるというべきである。ちなみに昭和三九年度のわが国主要産業都市の亜硫酸ガス濃度の統計によれば、四日市は平均濃度において一一位、最高値の比較において八位、最低値の比較においても一一位であるにすぎない。
(3) 法規適合性
被告石原四日市工場はばい煙規制法および大気汚染防止法による排出基準を遵守し、これらの基準値を下回る排出しかしていない。
以上の諸点や後記防止措置等からして被告石原の排煙に違法性はない。
(二) 先住関係
被告石原四日市工場は昭和一六年一月から操業を開始したのであるが、原告塩野は昭和三七年二月一六日、同柴崎は昭和三一年一月一一日、同藤田は昭和一六年七月一一日に磯津地区に居住を開始したものであり、右被告工場の操業開始より後である。元来ある工場がすでに存在し操業している場所に近接した場所に居住を始めた者は将来当該工場から何らかの被害を受けるかもしれないことを予見、認容し、あるいは不便を覚悟しているものといわなければならない。かかる者はすでに存在する危険を自らも進んで任意に引き受けたものであり、その損害賠償請求権は否定さるべきである。
ロ 被告石原はその四日市工場建設に当たつて海面を埋め立て海上に張り出した敷地を造成して近隣に影響を与えないよう配慮して建設され、しかも当時世界最高長といわれた一八五メートルの煙突を建設して排煙の拡散をはかり、これにペテルゼン式薄硫酸工場を併設して銅製錬の排煙中の亜硫酸ガスを回収し、またA・B系濃硫酸工場を建設して銅鉱中のいおう分の回収をはかり、さらに右硫酸の利用を行なうため過隣酸石灰工場の運転を開始するなどして操業当初から環境汚染防止対策に万全を期してきた。このような被告石原の汚染防止努力はその後も受け継がれてきた。
すなわち右四日市工場の各排煙設備についていくつもの防除設備が取り付けられ、それらの防除設備はその設置の各時点において最高水準のものばかりであつた。そして右各種設備の点検基準が定められており、防止設備の点検保守もこれら点検基準に従つて厳重に行なわれ遺漏がない。さらにその使用燃料(重油)についてみれば、従来は低いおう重油入手困難のため約2.7パーセントのいおう含有率の重油を使用してきたのであるが、昭和四五年ころから比較的低いおう重油が入手しやすくなるや直ちにこれに切り替え、現在では1.6パーセントないし2パーセントのものを使用している。
以上のように、被告石原は環境汚染防止のための最善の措置、設備を施してきたのであり、そのために一企業がなしうる限度いつぱいの投資をしてきたものであつて、被告石原に過失はない。
ハ 共同不法行為における被告石原の排煙と原告らの損害との間の因果関係の不存在
(一) 被告石原四日市工場は磯津地区から北北東の海上に張り出して所在するが、磯津地区における風向と亜硫酸ガス濃度との関係を昭和四二年一月一日から同年四月三〇日までの四か月間の記録に基づき統計的手法を用いて検討すると次のとおりである。
(1) 被告石原四日市工場の排煙が最も磯津地区に向かいやすい北北東の風の場合について、右磯津において北北東風が観測された日における磯津の亜硫酸ガス濃度最高値とその北北東観測時中の亜硫酸ガス濃度最高値との対応関係をみてその相関係数を求めると五パーセントの危険率でマイナス0.794で逆相関になつており、また磯津において北北東の風が観測された日における磯津の亜硫酸ガス濃度最高値と全北北東風向観測時における磯津の亜硫酸ガス濃度の現われ方との対応関係をみてその相関係数を求めても、五パーセントの危険率でマイナス0.605で逆相関になつている。
これらによつて、磯津の亜硫酸ガスの一日最高値が高いときには北北東の風が少なく、逆に北北東の風が多いときには磯津の一日最高値が低いという関係が統計的にも確認されたのである。
(2) 右北北東風の場合のほか、北ないし東北東の風向について右と同様の調査を行なつた結果、右風向と磯津の濃度との相関係数はそれぞれマイナス0.823、マイナス0.641と高い逆相関関係にあることが確認され、被告石原の排煙が磯津に対して影響を与えていないことが明らかになつた。
(3) さらに全風向および無風状態ごとにそのときの亜硫酸ガス濃度の度数分布をとり、これを比較すると、北北東風のときにおける磯津の亜硫酸ガス濃度分布は低いほうに属している。のみならず、各風向時の亜硫酸ガス濃度の平均値および磯津における全風向(無風時を含む)時における亜硫酸ガス濃度の平均値と、北北東風向時における亜硫酸ガス濃度の平均値とを比較すると、右北北東風向時の濃度(0.0561ppm)は、原告らが磯津の汚染源として主張しているいかなる風向の場合の平均濃度よりもはるかに低く、かつ全風向時の平均(0.0655ppm)よりも低い濃度を示している。しかも原告らが磯津地区の汚染の原因と主張している風向である西ないし東北東風向における平均をとれば0.0853ppmとなるところ、北ないし東北東の場合の平均は0.0607ppmにすぎない。また北ないし東北東風を除いた全風向時の濃度の平均は0.0665ppmであり、北ないし東北東の平均より高い。
(二) しかも四日市における年間風向中北北東の占める割合は昭和三八年から同四二年までの間を通じて大体五パーセント前後にすぎず、右期間中の平均でも約五パーセントにすぎない。
(三) 以上みてきたように被告石原四日市工場の排煙は磯津地区の汚染に寄与していないことが明らかであり、これは昭和四二年冬期のデータによるものであるが、同工場の石油使用量は昭和四二年に最大量に達しているのであるから、その以前に右にみたよりも多くの亜硫酸ガスを磯津に到達させていないことは明らかである。
そして原告ら主張の発症の原因となつた磯津の亜硫酸ガス濃度からしても、原告らは被告石原の排煙と関係なく発症したものであることは明らかである。
四 抗弁に対する原告らの抗弁
1 被告らの違法性阻却の抗弁(三、1・イ、2・ロ、3・イ、4・イ、5・イ、6・イ)に対し
被告らの主張は争う。
行為の違法性の判断は侵害行為と被侵害利益との相対関係から判断すべきであるところ、本件においては、その被害は原告らの生命身体に関するものであるから、被告ら主張の行為の社会的価値、被告石原主張の地域適合性および土地利用の先後関係、その他被告ら主張のいかなる事情も違法性を阻却するものではなく、また仮に被告らが個々に排出基準を遵守していたとしても、違法性に何らの消長をきたすもものではない。
2 被告昭石、同油化、同化成、同中電、同石原主張のいおう酸化物等の排出防止等につき最善(又は相当)の措置をしたとの抗弁(三、1・ロ、2・イ、3・ロ、5・ロ、6・ロ)に対し
被告昭石、同中電、同石原主張事実のうち、各煙突の高さおよび建替えに関する事実は認め、各いおう酸化物等の排出防止設備の存在は不知、被告ら五社がいおう酸化物の排出防止に最善(又は相当)の措置を講じたとの主張は争う。
被告らがいおう重油を確保できなかつたのはコストの安い高いおう重油を使用することが利益であつたからであり、脱硫装置等の各防除施設はいおう酸化物等を完全に除去するものでないばかりかきわめて不十分なものである。もし被告らが企業としてなしうる最善の努力をしてもなお抜本的防除設備を設けることが不可能であつたとするならば、被害者らが生命までも侵されているという被害の深刻さからすみやかに操業を制限ないし停止すべき義務があるものというべきである。
3 被告昭石、同化成、同モンサント、同中電、同石原主張の各自の排煙と原告らの損害との間の因果関係不存在の抗弁(三、1・ハ、3・ハ、4・ロ、5・ハ、6・ハ)に対し
イ 被告ら主張事実のうち、被告らの排出するいおう酸化物が磯津地区に到達しない又は到達量が少ないとの点は否認する。
ロ 被告昭石、同化成、同モンサントの拡散計算の結果について
右被告らの拡散計算はその目的動機が証拠調の直前にもつぱら訴訟のために作られたものであり、計算の諸元はすべて被告ら自身が選択した自分に都合のよいものでありその計算者も被告自身であるなど到底証拠価値を認めえないものである。また拡散計算そのものが定量的に表現するものでなく計算結果が現実と合致しないことは専門家の認めるところである。したがつて右被告らの拡散計算の結果をもつて被告らの排出するいおう酸化物が原告らに影響を及ぼしていないとすることは到底できない。
ハ 被告中電の風洞実験の結果について
右実験はもつぱら本件訴訟のために被告中電の排出する亜硫酸ガスが磯津の上方を通過するという結論に合わせるために行なわれたものであり、実験の基礎に用いられた各諸元、実験の前提および実験の方法等に問題があり、証拠としての価値はないものである。
ニ 被告石原の風向頻度と相関係数について右風向頻度は被告主張のようにけつして少ないとはいえず、北ないし北東の風向のとき、明らかに磯津に0.5ppmくらいのいおう酸化物を到達させており、しかもこの風向には被告石原のほか存在せず、同被告だけでこれだけの影響を与えているものであり、他の被告会社にまさるとも劣らない重要な汚染源というべきである。
4 被告化成、同モンサントの分割責任の抗弁(三、3・ニ、4・ハ)に対し
被告らの主張は争う。
五 準備書面の引用
1 請求原因を理由づける事実の詳細、法律上の主張、被告らの反論に対する再反論および被告らの抗弁に対する反論
別紙原告ら第一三、第一七準備書面にそれぞれ記載のとおり。
2 請求原因の否認を理由づける事実、法律上の主張および反論、抗弁の詳細、原告らの反論に対する再反論
別紙被告ら共同の昭和四七年一月一八日付準備書面三通(ただし七五枚からなる準備書面の一六項、一八枚からなる準備書面の五項、三三枚からなる準備書面の七項をそれぞれ除く)、昭和四六年一〇月五日付準備書面(第三項を除く)、同年一一月二日付、同年一二月二一日付準備書面、被告昭石の第九、第一〇準備書面、同油化の第一一、第一四準備書面、同化成の第二八(その一、その二)、第三二(二通)準備書面、同モンサントの第一五準備書面、同中電の第一五、第一九、第二〇準備書面、同石原の第一一準備書面にそれぞれ記載のとおり。
第三 証拠<略>
理由目次
第一 当事者
第二 不法行為
一 被告ら工場の設立の経過と稼動の状況
1 設立と稼動の経過
イ 石油化学工業とコンビナート
ロ 四日市における産業の推移――被告化成の四日市進出と被告モンサント四日市工場の設立
ハ 被告油化および被告昭石の設立
ニ 四日市第一コンビナートの発展
ホ 被告中電三重火力の設立
ヘ 被告石原四日市工場の発展
2 被告ら工場相互の関連
イ 被告六社工場の製品・原料等の受渡関係
ロ パイプによる結合関係
ハ 被告油化、同化成、同モンサントの関係
二 磯津地区におけるばい煙(特に、いおう酸化物)による大気汚染とその原因
1 被告各工場によるばい煙の発生
イ
ロ 被告昭石
ハ 被告油化
(三) その他の過程におけるいおう酸化物の排出
ニ 被告化成
ホ 被告モンサント
ヘ 被告中電
ト 被告石原
2 磯津地区におけるいおう酸化物等の濃度の増大とその特徴
イ いおう酸化物濃度の増大
ロ いおう酸化物による汚染の特徴
(一) 風向との関係
(二) 風速との開係
(三) ピーク性汚染
(四) 硫酸ミストの問題
(五) 四日市におけるいおう酸化物の等量線図
ハ ばいじんによる汚染
(一) 降下ばいじん
(二) 浮遊ばいじん
3 磯津地区における大気汚染の原因
三 原告らの罹患と大気汚染との関係
1 四日市市(特に磯津地区)における閉そく性肺疾患の多発とその原因
イ はじめに
ロ 疫学調査
(一) 羅患率調査
(二) 住民検診
(三) 学童検診
(四) 死亡率調査
(五) 磯津検診
(六) 公害病認定制度と認定患者の状況
(1) 公害病認定制度
(2) 認定患者の状況
(七) 医療機関における患者の推移
(1) 塩浜病院内科外来新患の年次変化
(2) 四日市医師会の統計的調査
(八) 転地効果および空気清浄室の効果等
(1) 転地効果
(2) 空気清浄室の効果
(3)
(九) いおう酸化物濃度とぜんそく発作との関係
(1) 三重県立大学公衆衛生学教室の調査研究
(2) 他の機関による同様の研究例
(3) 被告らの反論について
(4)
ハ 低濃度いおう酸化物の人体影響の機序(メカニズム)について
(一) 低濃度いおう酸化物の影響
(二) ばいじん等他物質との相乗効果
(三) 硫酸ミストの影響力
(四) 既有症者への影響
ニ 動物実験
(一) 亜硫酸ガス等の影響を認めた実験例
(1) 産研大島秀彦らの動物実験
(2) 産研今井正之らの磯津飼育実験
(3) 大阪市衛研村山ヒサ子らの動物実験
(4) 京都府立医大陳震東らの野外暴露実験
(5) 三重県立大学公衆衛生学教室北畠正義らのぜんそく実験
(6) 国立公衆衛生院の松村行雄らの亜硫酸ガスの気道感作に及ぼす影響に関する実験
(7) ロバート・フランクらの人体の亜硫酸ガス暴露実験
(8) ロバート・E・スネルらの亜硫酸ガスの健康人の呼出流量等に対する影響の研究
(9) 被告らの前記(1)(2)の実験に対する反論について
(二)亜硫酸ガス等の影響を認めなかつた実験例
(1) ヘイズルトン研究職の実験
(イ) カニクイザルの亜硫酸ガスに対する慢性暴露実験
(ロ) モルモットの亜硫酸ガス長期暴露実験
(2) マリオ・C・バテイゲリらのラットを用いた実験
(3) 国立公衆衛生院の松村行雄らのモルモットのぜんそく実験
(三)
ホ いおう酸化物の環境基準等行政規測について
ヘ 結論
(1) ばいじん説
(2) バテイゲリ論文およびネーゲルボン論文について
(3) 一九六九年クライテリヤについて
2 四日市市の大気汚染による慢性非特異性呼吸器疾患の臨床的特徴
3 原告らの罹患および症状増悪とその原因ならびに亡今村善助、同瀬尾宮子の死因
イ(三)(四) 被告らの反論について
ロ 原告らの個別的検討
(一) 原告 塩野輝美
(二) 原告 中村栄吉
(三) 原告 柴崎利明
(四) 亡 今村善助
(五) 原告 藤田一雄
(六) 原告 石田かつ
(七) 原告野田之一
(八) 原告 石田喜知松
(九) 亡 瀬尾宮子
ハ 亡今村善助、同瀬尾宮子の死亡とその原因
四 共同不法行為
五 被告ら各自のばい煙と結果との間の因果関係不存在の主張について
1 被告 昭石
2 被告 化成
3 被告 モンサント
4 被告 中電
5 被告 石原
第三 被告らの責任
一 過失
1 予見可能性
(一) 戦前における鉱毒事件
(1) 足尾銅山事件
(2) 別子銅山事件
(3) 日立鉱業事件
(二) 亜硫酸ガスによる職業病とその研究
(三) 外国における疫学的研究例および煙害事件
(四) 英国発電所の脱硫の実施
(五) 日本公衆衛生協会の厚生大臣に対する勧告
(六)
(七) 被告らの反論について
2 注意義務違反
(一) 立地上の過失
(二) 操業上の過失
二 故意
第四 被告らの違法性の不存在等の主張について
一 違法性不存在の主張
1 被告 昭石
イ 到達いおう酸化物の微量
ロ 行為の公共性
ハ 排出基準の遵守
ニ 被害者の特殊事情
ホ
2 被告 油化
3 被告 化成
4 被告 モンサント
5 被告 中電
6 被告 石原
イ 場所的慣行性
ロ 先住関係
ハ
二 結果回避不能および最善の防止措置
1
2
イ 立地上の問題
ロ 操業継続上の結果回避可能性および最善の防止措置
(一) 結果回避可能性
(二) 共同不法行為における結果回避可能性
(三) 最善の防止措置
第五 損害
一
二 喪失利益
1
2 イ 原告 塩野輝美
ロ 原告 中村栄吉
ハ 原告 柴崎利明
ニ 原告 藤田一雄
ホ 原告 石田かつ
ヘ 原告 野田之一
ト 原告 石田喜知松
チ 亡 今村善助
リ 亡 瀬尾宮子
三 慰謝料
1
2
イ 原告 塩野輝美
ロ 原告 中村栄吉
ハ 原告 柴崎利明
ニ 原告 藤田一雄
ホ 原告 石田かつ
ヘ 原告 野田之一
ト 原告 石田喜知松
チ 亡 今村善助
リ 亡 瀬尾宮子
3
四
五 弁護士費用
第六結論
理由
第一 当事者
昭和四三年七月二四・二五日施行の検証の結果および<証拠>ならびに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
原告らは、いずれも四日市市の南東部に位置する通称磯津地区(行政区画上は四日市市大字塩浜の一部)の住民であり、同地区は、東部を伊勢湾に面し、南部を三重郡楠町に接する東西約四〇〇メートル、南北約五〇〇メートルの地域であるが、原告らの各住所地を図示すれば、別図1記載のとおりである。
被告らの各工場の所在位置は、同図記載のとおり(ただし各工場の境界の状況は別図10記載のとおり)であり、右磯津地区より鈴鹿川をはさんでほぼ西北西から北東までの間の方角に所在する。すなわち、右磯津地区に対して、被告中電三重火力は、ほぼ北ないし北北西約四〇〇ないし八〇〇メートル(距離は磯津地区の北西端にある四日市南警察署磯津警察官駐在所を基点とする。以下同じ)、被告昭石四日市製油所は、ほぼ北西ないし西北西約四五〇ないし一、三〇〇メートル、被告石原四日市工場は、ほぼ北ないし北東約七〇〇ないし二、一〇〇メートル、被告油化四日市工場および旭分工場は、ほぼ北北西ないし西北西約九〇〇ないし二、〇〇〇メートル、被告化成四日市工場は、ほぼ北西約一、七〇〇ないし二、三〇〇メートル、被告モンサント四日市工場は、ほぼ北西約二、一〇〇ないし二、六〇〇メートルの位置にある。
これら工場において、被告昭石は石油精製、被告中電は火力発電、被告石原は化学肥料や酸化チタン等、被告油化はエチレン等、被告化成は2エチルヘキサノール、カーボンブラック等、被告モンサントは塩化ビニール等の生産等の企業活動を行なつている。
第二 不法行為
一 被告ら工場の設立の経過と稼動の状況
1設立と稼働の経過
イ 石油化学工業とコンビナート
<証拠>によれば、次のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。
第二次大戦後、合成樹脂、合成繊維等の高分子合成化学技術の工業化とその市場の拡大は、原料である基礎化学製品の供給不足をもたらし、特に、カーバイドおよびタールからの誘導製品に関しては、昭和二九年ころにおいてその不足が明らかにみとおされ、新たな給源としての石油化学の開発を迫られるようになつた。
一方、昭和二四年に太平洋岸製油所再開が占領軍によつて許可されて以来、着々と製油所の再建整備を進めてきたわが国石油精製業は、昭和二九年ころにおいて一応の近代化をおえ、石油化学製品の原料、特にナフサの供給を可能にした。
こうした時代的背景のもとに、わが国の石油化学工業は、昭和三〇年にはいり、その企業化の基礎を固め、政府による政策的な支えもあつて、昭和三一年に現実の企業化に着手し、翌三二年には実際にスタートを切るに至つた。
このような経緯からして、日本の石油化学工業は、近代的石油精製施設を前提とし、右精油所から得られるナフサをおもな原料としているのであるが、右石油化学工業の工程は、原料である液状のナフサを分解してエチレン、プロピレン、ブチレンなどいわゆる不飽和炭化水素とよばれるガス状の基礎製品を製造する工程、その製造された各種のガスを固体化または液体化して二次製品たるポリエチレン、塩化ビニール、2エチルヘキサノール等を製造する工程等のように、液体、気体といつた流体物質を原料とするため、経済的にはもちろん、純技術的観点からいつても、同一地域内に原料供給部門から各種誘導品製造部門までが体系的に集約的に建設され、製油所からナフサの供給および各工程間の原料の供給をパイプで直接行なうのが合理的である。
しかし、右各工程を一企業で行なうことは資金的に困難であるので、ここにいくつかの企業が集まつて一つの生産上の体系を形成するところとなつた。
右のように基本原料の連続的加工による企業集団を縦のコンビナートと呼ぶとすれば、副産物の相互利用による多角化は、横のコンビナートということができるが、縦のコンビナート、横のコンビナートが成長をとげ、発展すると、縦が横に広がり、横が縦へと指向するようになり、両者は総合的なコンビナートとしての形態を整えるようになる。そこでは基礎的な原料はもとより、生産過程で生みだされる副産物も無駄なく総合的に利用されるようになる。
このようにして、企業集団――コンビナートの出現は石油化学工業の生成と発展においていわば必然的であつたともいえる。
ロ 四日市における産業の推移――被告化成の四日市進出と被告モンサント四日市工場の設立
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
四日市は、もと万古焼、菜種油、漁網、製紙、製茶などの産業が盛んであつたが、明治一五年に綿紡績工場、同三九年には毛織物工場が設置され、大正、昭和にはいると繊維工場の進出が相つぎ、四日市は繊維工業都市として全国的に知られるようになつた。
この間、昭和九年から一六年にかけて、地元財界の工場誘致運動によつて日本板硝子の板ガラス工場、第一工業製薬の石けん工場、石原産業海運の銅製錬、硫酸工場、大協石油の四日市製油所などが建設され、また、当時わが国最大の製油能力を誇つた第二海軍燃料廠が昭和一四年から一八年にかけて建設された。このようにして四日市はこれまでの繊維・窯業を中心とする軽工業都市から脱皮し、石油と化学の工業都市へと胎動を始めたが、昭和二〇年、米空軍による空襲のため、右海軍燃料廠の施設とともに市内の大半を焼失した。
戦後、前記太平洋岸製油所の再開や石油化学工業の勃興の気運につれて、広大な工場用地と優れた港湾施設をもつ右旧海軍第二燃料廠跡の利用をねらつて、石油国際資本と提携した三菱系会社により石油化学工場群の形成が推進されていつた。
すなわち、被告化成は、昭和三六年ころはコークス、染料、硫安の生産を主体としていたが、そのころから新規化学工業への関心を示しはじめた。特に、経営規模の拡大、生産の多角化をすすめるうえで四日市に着目し、そのころ前記燃料廠跡隣接地に塩化ビニール工場を建設するとともに、同二八年七月、隣接のカーバイドメーカー東邦化学工業株式会社を吸収合併して被告化成の四日市工場となし、さらに、当時すでに同燃料廠跡において稼働していた東海硫安工業株式会社(後に東海瓦斯化成株式会社となり、さらに被告油化となる。)をその系列化においた。
また、被告化成は、昭和二七年一月米国モンサント・ケミカル社との合弁企業モンサント化成株式会社(現、被告モンサント)を設立し、同会社は被告化成の前記ビニール工場を引き継いだ。
一方、昭和石油株式会社と資本提携をもつシェル石油は、昭和二七年三菱石油株式会社と共同して前記燃料廠跡の払い下げを申請したが、このときは国内石油業者の反対にあい失敗に終わつた。
政府は、昭和二八年九月、閣議決定により、いつたん、同燃料廠跡を昭和石油、日本石油、興亜石油、丸善石油、日本鉱業、大協石油、東亜燃料および三菱石油の国内石油業者八社に対し、石油精製事業に供するため合同して払い下げるとの方針を定めたが、その後、被告化成を筆頭とする三菱グループやシェル石油からの働きかけもあつてその方針を変更し、昭和三〇年四月、同地を石油化学工場建設の用に供するため、昭和石油株式会社に払い下げることを内定した。
このため、昭和石油株式会社は、昭和三〇年五月から八月ころまでの間、シェル石油技術者を含む調査団を組織し、数回にわたつて製油所建設のため現地調査をした。
一方、政府は、昭和三〇年八月二六日閣議了解事項として、同燃料廠跡の石油精製に必要な土地および地上施設を昭和石油株式会社に貸し付けおよび払い下げることを明らかにしたうえ、「将来三菱グループとシェルグループによる石油化学が企業化されるときは、本用地内の昭和石油株式会社の精製設備と緊密なる連繋を図らしめるものとする。」として、前記のようなコンビナート化を想定した政策決定を行なうに至つた。
ハ 被告油化および被告昭石の設立
前出甲六四ないし六六号証、証人小西正廉の証言によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右政策が決定するや、被告化成を中心とする三菱グループ各社(三菱レーヨン、旭硝子、三菱商事、三菱金属工業、三菱銀行など)は、昭和三一年四月、共同出資してナフサセンター(前記のようにナフサは、日本の石油化学工業のもつとも基本的な原料であるが、このナフサを分解する工場をナフサセンターとよんでいる。)としての被告油化を設立した。
これと並行して、昭和石油、シェル石油および三菱グループ八社(前記六社のほか二社参加)は、被告油化に原料であるナフサを供給する石油精製会社設立を準備し、昭和三二年一一月、昭和石油とシェル石油とで七五パーセント、三菱グループ二五パーセントの出資割合により被告昭石を設立した。
右被告昭石は、昭和三三年五月、月産四万バーレルの石油蒸溜装置を完成して、直ちに石油精製の操業を開始し、被告油化も、昭和三四年三月、四日市工場第一期工事を完成し、エチレン、ポリエチレン等石油化学原料製品の生産をはじめ、いわゆる四日市第一コンビナートの中核が形成されるに至つた。
なお、被告昭石は販売部門をほとんどもたず、原油および製品の所有権は、前記各出資会社が有し、同被告はもつぱら石油精製を業としている。
ニ 四日市第一コンビナートの発展
前出甲六六号証、成立に争いのない甲一号証によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
被告油化は、ライオン油脂、第一工業製薬とともに昭和三四年には、非イオン界面活性剤の生産を目的とする四日市合成株式会社を、同三七年一月には、バーデイッシュ社とともに発泡ポリスチレンの生産を目的とする油化バーデイッシュ株式会社を、同年六月には、プロパンの販売会社である三菱液化瓦斯株式会社を各設立した。
次いで、同被告は同三八年一〇月には、日本合成化学、鐘淵化学、協和醗酵とともにブタノールメーカーである日本ブタノール株式会社を、同四一年二月には、倉敷レーヨンとともにクラレ油化株式会社を設立した。
また同被告は同四二年六月には、硫安、尿素、硫酸等を生産していた東海瓦斯化成株式会社と合併して、同会社の工場は被告油化旭分工場となつた。
このようにして被告化成、油化、モンサント、昭石は各自の規模を増大するとともに、特に、被告油化において関連会社を増殖させ、大規模な石油化学工場群を発展させていつた。
ホ 被告中電三重火力の設立
次の事実については、原告らと被告中電との間に争いがない。
被告中電は、昭和三〇年に三重火力を現在位置に建設し、同年一二月、六万六、〇〇〇キロワットの発電能力をもつ一号発電機を完成してその操業を開始し、以後、昭和三二年二月七万五、〇〇〇キロワットの二号発電機、同三三年六月七万五、〇〇〇キロワットの三号発電機、同三六年一〇月、一二万五、〇〇〇キロワットの四号発電機と次々に増設した。
右三重火力の建設は、四日市市の臨海地帯に工場が建設され、電力需要の増大が見込まれたことや良港と広大な土地という立地条件に恵まれたこと等による。
右争いのない事実と後記被告ら工場の施設の増大の状況とを対比して考えると、右三重火力の発電能力の増強は主として相被告らを含む四日市第一コンビナート工場群の増大に応えるために行なわれたことが推認されるのである。
ヘ 被告石原四日市工場の発展
次の事実については、原告らと被告石原との間において争いがない。
被告石原の前身である石原産業海運株式会社は、昭和一六年一月以来、四日市工場において銅製錬および硫酸製造を行なつてきたが、戦後の昭和二二年四月には、いち早く濃硫酸を再開した。昭和二四年六月、現在の石原産業株式会社に改組してから化学肥料の分野にも進出し、さらに、昭和二九年以降酸化チタンの製造をも行なつてきた。
ト 前出甲一号証、成立に争いのない甲八号証の七、一〇、一二、一四、二〇および昭和四三年七月二四・二五日施行の検証の結果により、被告ら工場の稼動開始時期および主要製造品目をまとめると別表1の2記載のとおりであると認められ、右認定に反する証拠はない。
もつとも、右主要製造品目は右稼動開始後ただちにすべて製造を開始したものではなく、逐次増加していつたものと認められるが、右製造設備中のばい煙発生施設およびこれに付設された排出施設の稼動開始時期等については、後記二においてあらためて検討する。
2被告ら工場相互の関連
イ 被告六社工場の製品・原料等の受渡関係
<証拠>および昭和四三年七月二四・二五日施行の検証の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
被告ら工場の間には、昭和四三年七月現在において相互に別図2記載の如き製品、原料の受け渡しが行なわれている。
すなわち、その要点は次のとおりである。
被告昭石四日市製油所で原油から生産されるナフサ(原油の約一二ないし一三パーセント)とトップガス(原油の3ないし3.5パーセント)は、全量が被告油化四日市工場と川尻分工場へ送られる。
被告油化の右工場では、これらを原料として、エチレン等を生産するとともに、エチレンにベンゾールを加えてスチレンモノマーを副産する。このスチレンモノマーおよびエチレンは、被告モンサント四日市工場に送られ、スチロール系樹脂、塩化ビニール用のEDC(二塩化エチレン)の原料とされる。
被告油化のエチレン生産の中間製品としてとりだされるP→P溜分は、被告化成四日市工場へ送られて2エチルヘキサノール(オクタノール)、イソブタノールの原料となる。
このうち、2エチルヘキサノールは、被告油化前記工場と被告モンサント名古屋工場に送られている。
また、被告石原四日市工場は、被告油化右工場より濃硫酸、液安の供給を受け、被告油化右工場に希硫酸を供給している。
さらにこのほか、被告油化右工場から、被告化成四日市工場に水素、窒素、オキソガス、蒸気、被告モンサント四日市工場に窒素、蒸気、被告昭石四日市製油所に窒素、水素、抽出残油(ラフイネート)が、被告化成四日市工場から被告モンサント四日市工場ヘカーバイド、アセチレンガス、被告モンサント右工場から被告油化右工場へ苛性ソーダ、塩化水素、被告化成右工場へ水素、苛性ソーダ、被告昭石右製油所へ苛性ソーダが、被告昭石右製油所から被告石原右工場、被告中電三重火力、被告油化右工場へ重油がそれぞれ供給され、各工場の生産工程において利用されており、被告中電三重火力の電力が被告ら各工場に供給されている。
ロ パイプによる結合関係
(一) <証拠>および弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。
化学工業の製造工程において最も重要なものは装置であり、石油化学工業は典型的な装置産業である。すなわち、原料を燃焼させ、あるいは溶解し、分解し、精製し、さらに合成するためには、温度を上げたり下げたり、加圧したり減圧したり、化学反応を行なうための条件を整える必要があり、そのような化学変化を外界から区別して行なわせるのが容器としての装置である。
そして、そのような装置から装置への製品、原料等の運搬の手段は、パイプによつて行なわれる。けだし、右のような原料、製品等の多くは、有毒かつ引火性の強い高温高圧のガス体や液体であるから、このような物質については、安全性と経済性の点からパイプによることが不可欠ともいえるからである。
被告ら工場間の原料、製品の受け渡し関係は前認定のとおりであるが、そのうち、パイプによつて受け渡しがなされているものは別図2記載のとおりである(ただし、被告化成から同モンサントへのカーバイドの供給と被告昭石から同中電への重油の供給を除く)。
被告昭石から同中電への重油の供給がパイプによつてなされていたのは、昭和三六年ころから同四二年二月ころまでである。
(二) 被告らは、右パイプによる受け渡しは輸送の便宜のためにすぎないと反論するが、少なくとも前記のように、パイプによることが不可欠ともいうべき原料や製品の受け渡しについては、当該被告以外の者から、または当該被告以外の者に受け渡すことが不可能または著るしく困難であるから、たとえば、ある工場の操業の中止や、生産設備の大規模な増減は、他社工場の操業に直接大きな影響を及ぼし、他社工場と切り離して自由にこれを行なうことはできないものと認められ、そうであるとすれば、右パイプによる受け渡しは、生産活動の面において、当該被告ら工場が機能的に緊密な結合関係にあることを示すものというべきである。
この観点から、右パイプによる結合関係をみると、とくに被告昭石、同油化、同化成、同モンサントの機能的な結合関係が緊密であると認められる。
ハ 被告油化、同化成、同モンサントの関係
右被告三社工場は、前記のように機能的に密接な結合関係がみられるほか、次の点においても結合関係がみられ、三社の関係は緊密である。
(一) 資本的人的関係
右三菱三社間の資本的結合関係は前記のとおりである。
また、次の事実については当事者間に争いがない。
被告化成から被告油化、同モンサントへ設立当時一部の社員が移籍し、被告化成では、将来被告モンサントの社員として出向、または移籍することを予定して大学卒新入社員の採用が行なわれ、被告モンサントは大学卒新入社員の定期募集を行なつておらず、電話施設は右被告三社工場において共用されている。
また、前記検証の結果によれば、各工場の境界線付近において塀・柵等の囲障が設けられていないことが認められる。
(二) 蒸気の供給
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
石油化学工場では、反応用あるいは蒸溜用の熱源として、各温、各圧の水蒸気が多量に必要である。
被告油化四日市工場は、別表2の2記載のとおり、昭和三三年一〇月稼動のボイラー一号缶から同四三年一月稼動開始のボイラー五号缶まで、ボイラー施設を逐次増設して右水蒸気の増産を続けてきたが、右水蒸気は自社で使用されるのみならず、被告化成四日市工場に対し昭和三五年ころから同工場の2エチルヘキサノール等の製造用に、また被告モンサント四日市工場に対し、昭和三四年四月ころからそれぞれ供給している。
(2) 前記各証拠によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
前記被告油化から被告化成への蒸気の供給量は、昭和三五年ころ当時は一時間当たり一〇ないし二〇トン程度であつたが、その後若干量ずつ増加し、昭和三九年被告化成が廃ガスボイラーを設置するまで継続した。右廃ガスボイラー設置後、同ボイラーによつて一時間当たり四〇トンの蒸気をつくつてまかなつているが、必要に応じ、被告油化から五ないし一〇トンの低圧の蒸気の供給を受けている。
被告モンサントは、前記のとおり、昭和三四年四月以降被告油化から水蒸気の供給を受けているが、昭和四二年一年間の購入実績は中圧蒸気二四万トン、高圧蒸気二万トンである。
(3) <証拠>によれば、次のとおり認められる。
被告油化から被告化成へ送られる蒸気用のパイプは五本であるが、右検証の結果により認められる右パイプの内径および蒸気圧力と、蒸気温度を二二〇度および三〇〇度、蒸気流速を毎秒三〇ないし五〇メートルと想定して、右被告ら間の最大蒸気輸送量を計算式に従つて推定すると、五本の合計で一時間当たり約一八〇ないし九一トンとなる。
また、被告油化から被告モンサントへの蒸気用のパイプは三本であるが、検証の結果より認められる右パイプの内径および蒸気圧力と前記の想定蒸気温度および想定蒸気流速とから、同被告ら間の最大蒸気輸送量を推定すると、三本の合計で一時間当たり約一二五ないし六一トンである。
また、被告油化のボイラーによる蒸気発生能力は、別表2の2記載のとおり、昭和三三年一一月に一時間当たり一〇〇トン、同三五年二月二〇〇トン、同三七年九月三四〇トン、同四三年一月四四〇トンである。
これらのことから原告ら主張のように、右最大量に近い蒸気を送つていたとの推測も可能であるが、右はあくまでも推測に止まり、前記各証拠によれば、現実の輸送蒸気量は前記のとおりと認められるのである。
ニ 以上検討したように、被告ら工場の相互の結合関係には、強弱いろいろの差があつて必ずしも一概に論ずることはできない。問題は、共同不法行為の要件の充足性を判断するうえでの関連性の内容であるが、それは被告ら工場の排煙や、原告らの罹患等を調べたうえであらためて検討する。
なお、被告石原は、同被告四日市工場は第一コンビナートに属さないと主張し、前出甲一号証の一部、乙へ一ないし五号証の各一、二によれば、同被告を右コンビナートに含ませない公的資料もあることが認められる。しかし、右一号証の他の部分にはコンビナートに含ましめる記載もあるのであつて必ずしも判然としない。
これは、コンビナートなる用語の多義性にもよるが、四日市第一コンビナートという呼称が原告らのいうように通称であるとすれば、右コンビナートに包含される工場の範囲は、いわば自然発生的に地域住民等によつて指称されて定まつてきたものというべく、このような事情が右石原の所属を不明確ならしめる他の理由であると解される。
いずれにせよ、コンビナートが前記1・イのように縦から横へ、さらに横から縦へと総合的に生成発展を遂げてくると、その包含される工場の範囲は必ずしも明確ではなくなるものというべく、さらに、前記のように同じコンビナートの構成員と指称されていても、その結合の程度はそれぞれ異なるのであるから、コンビナート工場群に属すると指称されることは、共同不法行為の関連共同性を検討するうえでひとつの指標たるを失わないと解されるが、そのことだけから直ちに共同不法行為の関連共同性を有すると速断しえないとともに、コンビナートに属さないからといつて、関連共同性なしともいえないのであつて、右関連共同性の有無は具体的な結合関係に即して判断さるべきものである。
二 磯津地区におけるばい煙(特に、いおう酸化物)による大気汚染とその原因
1被告各工場によるばい煙の発生
イ 大気汚染防止法二条は、大気汚染の原因となる物質のうち同法の規制その他の措置の対象となるばい煙、粉じん、自動車排出ガスの定義を掲げ、ばい煙については同条一項で
一 燃料その他の物の燃焼に伴い発生するいおう酸化物
二 燃料その他の物の燃焼に伴い発生するばいじん
三 ……(省略)
と定め、粉じんについては、同条四項で物の破砕選別その他の機械的処理、または、たい積に伴い発生し、または飛散する物質をいうと定めている。
右一項一号においていおう酸化物を燃料その他の物の燃焼に伴い発生する場合としたのは、ばい煙発生施設において多量に発生しかつ大気汚染の原因となるいおう酸化物は、通常、物の燃焼過程で発生するもののみであるので、これに限つたものと解される。
右のうち燃料の燃焼に伴い、いおう酸化物を発生させた場合、燃料中のいおう分がいおう酸化物(大部分の亜硫酸ガスと少量の三酸化いおう――<証拠>によれば、その生成比は、前者の二五ないし三〇に対し後者一の割合といわれ、または後者は全体のいおう酸化物の0.5ないし1パーセントであるともいわれている―)となり、特段の除去設備等がなければ、そのまま大気中に排出されることは明らかであり、その量については原告ら主張の方法によつてほぼ算出しうる(この算定は、いおう分がすべて亜硫酸ガスになつたとした場合の計算であるが、右に述べたように大部分が亜硫酸ガスであるから実際の値と大きな誤差はない)ことは、被告昭石、同モンサント、同中電において右方法により算出した数量につき争わないことからも明らかである。
ロ 被告昭石
(一) 前認定のとおり同被告四日市製油所の稼動開始時期および業種は、別表1の2記載のとおりである。
そして次の事実については、原告らと被告昭石との間において争いがない。
同被告四日市製油所は右石油精製にあたり別表2の1記載のとおりの施設を稼動して原料や燃料を使用し、そのうち昭和三五年から同四二年までの間に使用した原・燃料の種類および使用実績は、同表記載のとおりであり、同製油所が重油を燃料として使用した過程のみにおいても、同製油所は別表3記載のとおりのいおう酸化物を大気中に排出してきた。
(二) また、<証拠>によれば、同被告四日市製油所は石油精製の過程で副生する産業廃棄物たる石油スラッヂ(いおう含有率約二〇パーセント)を、昭和三四年ころから被告石原がこれを引取る昭和三八年ころまでの間燃焼していおう酸化物を大気中に排出していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
ハ 被告油化
(一) 前認定のように同被告四日市工場および旭分工場の稼動開始時期および主要製造品目は、別表1の2の同被告工場欄記載のとおりである。
そして、次の事実については原告らと被告油化との間に争いがない。
被告油化四日市工場および旭分工場は右石油化学製品や化学肥料等の生産にあたり、別表2の2記載のとおりの施設(ただし排出量欄の記載を除く)を稼動して原料や燃料を使用し、そのうち昭和三五年から同四二年までの間に使用した原・燃料の種類および使用実績は、同表記載のとおり(ただし副生ガス、副生油のいおう含有率および第一焙焼炉の硫化鉱の昭和三九年の使用実績の記載を除く)である。
<証拠>によれば、右昭和三九年の硫化鉱の使用実績は二六、六二九トンであると認められる。
(二) 重油および副生油を燃料として使用した過程におけるいおう酸化物の排出
(1) 別表2の2記載のC重油、副生油、副生ガスのいおう含有率については、前出甲八号証の七、一〇と前出乙ろ二号証の三、成立に争いのない乙ろ五号証の二、乙ろ八号証の一との間に差異があるのであるが、仮に右乙ろ各号証のいおう含有率によつて計算しても、同被告工場が重油および副生油を燃料として使用した過程のいおう酸化物排出量は、別表3記載のとおりである。
(2) 被告は、化成肥料乾燥炉において重油等を燃料に使用してもそこから発生するいおう酸化物は大気中に排出されない旨主張し、成立に争いのない乙ろ二号証の四には、右いおう酸化物は洗滌塔にてすべて捕集され、大気中に排出されない旨の記載があるけれども、右洗滌塔の機構、性能等が明らかでない以上、右記載をにわかに採用していおう酸化物が捕集され大気中に排出されないものとは断定し難く、他に前記イに説示した燃料の燃焼過程で発生したいおう酸化物が除去される特段の設備等の主張、立証はない。
(三) その他の過程におけるいおう酸化物の排出
(1) <証拠>によれば、同被告旭分工場の硫酸製造工程(昭和四四年一二月廃止)は、原料である硫化鉱を焙焼して亜硫酸ガス含有ガスを発生させ、触媒を用いてこれを三酸化いおうに転化(変性)させたうえ吸収塔で吸収するのであるが、右過程のうち、三酸化いおうに変性されない亜硫酸ガスおよび吸収塔で吸収されない硫酸ミストが、いわゆる排ガスロスとして大気中に排出され、被告ら提出の右証拠によるも、その量は、いおうに換算して年間約五二三ないし六九七トンであつたことが認められる。
(2) <証拠>によれば、旭分工場の加圧ガス発生装置は、原油を原料として水素と一酸化炭素とを製造する装置であるが、同時に排ガスとして硫化水素が発生すること、この硫化水素は昭和四〇年三月一八日硫化水素回収設備が設置されるまでフレヤスタックで燃焼され、いおう酸化物として大気中に排出されていたことが認められ、<証拠判断・略>。
ニ 被告化成
(一) 前認定のように同被告四日市工場の稼動開始時期および主要製造品目は、別表1の2記載のとおりであるが、<証拠>によれば、カーバイドは昭和二八年から、2エチルヘキサノール、イソブタノールは同三五年から、カーボンブラックは同三六年一〇月から、それぞれ製造し、さらにホルマリンの製造を開始し、同四二年八月から化成肥料を製造していることならびに右2エチルヘキサノール、イソブタノール、ホルマリンの各製造に必要な熱源としては、蒸気を使用していることが認められ、右認定に反する証拠はない。
そして次の事実については、原告らと被告化成との間に争いがない。
被告化成四日市工場は、右カーボンブラック製造および化成肥料製造に当たり、別表2の3記載のとおりの施設(ただし、試験炉の稼動開始時期、排出量、排出濃度成分の各記載を除く)を稼動して原料や燃料を使用し、そのうち昭和三六年から同四二年までの間に使用した原燃料の種類および使用実績は、同表記載のとおり(ただし、化成肥料乾燥炉のC重油のいおう含有率を除く)である。
<証拠>によれば、右化成肥料乾燥炉のC重油のいおう含有率は約2.9パーセントであると認められ、<証拠判断・略>。
(二) 重油を燃料として使用した過程におけるいおう酸化物の排出
被告は、化成肥料製造工程の乾燥機の燃焼炉で発生するいおう酸化物は肥料粒子や肥料細粉と化学反応を起こして肥料の一部となり、大気中に排出されないと主張し、これにそう証人小川孝男の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙は三六号証もある。
しかし、<証拠>によれば、化成肥料製造工程でいおう酸化物が大気中に排出されないとすれば、それは洗滌塔における捕集その他の防除設備によるものであるが、それぞれの箇所で説示するように右大気中に排出されないとの事実は必ずしも認め難く、また、右証人朝比英幸の証言によれば、右工程で排出基準をはるかに下回るいおう酸化物しか排出しないのは、結局、右工程では少量の重油しか使用せず、かつ、多量の空気によつて薄めた排ガスを排出しているからであることが窺われ、これらの事実に前記乙は三六号証の測定の時期や回数が、昭和四六年一月五日から同年二月六日までの約一か月間計八回のそれにすぎないことおよび右測定が会社内部の測定であることなどを合わせ考えると、前記各証拠のみから、被告主張事実をにわかに断定し難く、他に前記イに説示した特段の除去設備等を認めるにたりる証拠はない。
そうすると、被告化成四日市工場が、重油を燃料として使用した過程において排出したいおう酸化物の量は、別表3のとおりと認められる。
(三) その他の過程におけるいおう酸化物の排出
被告化成四日市工場がカーボンブラック製造過程において原料から発生したいおう酸化物の一部を大気中に排出していることについては、被告化成の認めるところである(引用の同被告二八準備書面その一)。
ホ 被告モンサント
前認定のように、同被告四日市工場の稼動開始時期および主要製造品目は、別表1の2の同被告欄記載のとおりである。
そして次の事実については、原告らと被告モンサントの間に争いがない。
同被告四日市工場は、別表2の4記載の施設を稼動して燃料を使用し、そのうち昭和三四年から同四二年までの間に使用した燃料の種類および使用実績は、同表記載のとおりであり、昭和三三年以前は昭和三四年と、昭和四三年以降は昭和四二年と同量またはそれ以上である。
そして同被告工場は、別表3記載のとおりのいおう酸化物を大気中に排出してきた。
ヘ 被告中電
前認定のように、被告中電三重火力の稼動開始時期および業種は、別表1の2記載のとおりである。
そして、次の事実については、原告らと被告中電との間に争いがない。
被告中電三重火力は、火力発電に当たり、別表2の5記載のとおりの施設を稼動して燃料を使用し、そのうち昭和三四年から同四二年までの間に使用した燃料の種類および使用実績は、同表記載のとおりである。
そして三重火力は、別表3記載のとおりのいおう酸化物を大気中に排出してきた。
ト 被告石原
(一) 前認定のように、同被告四日市工場の稼動開始時期および主要製造品目は、別表1の2記載のとおりである。
そして、次の事実については、原告らと被告石原との間において争いがない。
同被告工場は、右化学肥料、石膏、硫酸、酸化チタンの製造に当たり、別表2の6記載の施設を稼動して原料および燃料を使用し、そのうち、昭和三五年から同四二年までの間に使用した原・燃料の種類および使用実績は、同表記載のとおりである。
(二) 重油を燃料として使用した過程におけるいおう酸化物の排出
(1) 被告は、右過程において種々の脱硫措置を講じていおう酸化物を除去している旨主張するので検討する。
(イ) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
被告石原の酸化チタン製造工程は、原料のイルミナイトを粉砕してこれに硫酸を加えて蒸解するA工程、これを加水分解させて水酸化チタンの沈澱をつくり、これを洗滌するB工程、右水酸化チタンを焼きあげて酸化チタンに変えるC工程、さらにでき上つた酸化チタンを粉砕し、化学処理をするD工程に分けられる。
重油を燃料として使用するのは、このうちC工程のチタンカルサイナーにおいてであり、この工程においては、各種のスクラバー、コットレル(電気集じん器)等の集じん装置を設置したが、いずれもあまり効果がなく、昭和四一年七月に一号、二号チタンカルサイナーに新たに設置したコットレル、同四二年七月に三ないし五号チタンカルサイナーに設置したコットレルによつて、はじめて酸化チタンダストやミストの防除に所期の効果を収めることができた。
しかし、亜硫酸ガスについては、右コットレルもこれを除去する能力はなく、その前段に付設されたクーラーによつて一部これを除去しうるにすぎない。
ところで、証人山室利男の証言中には、右除去しうる亜硫酸ガスの量は三分の二以上であり、残余についてはアンモニヤ水で中和して大気中に排出しない旨の部分があるけれども、同証人および証人朝比英幸の各証言によれば、右クーラーはガスの温度を下げ、コットレルの集じん効果を高めるのが本来の機能であること、水洗という点ではクーラーと共通の原理にたつと認められるスクラバーにおいて、亜硫酸ガスの除去にはそれほど大きな効果がないことが認められ、これらの事実に右クーラーによる捕集率が果して測定分析された結果か否かも判然としない点を合せ考えると、右クーラーによる除去率に関する証言部分は、にわかに採用し難く、右クーラーによる除去およびアンモニア水による中和が一号から七号まであるチタンカルサイナーのいずれにいつから開始されたかについても、これを認めるにたりる証拠がない。
(ロ) また、被告は、化成第一、第二乾燥炉、石膏乾燥炉、硫酸鉄乾燥炉にも各種の防除設備を設け、亜硫酸ガス等の排出の防止につとめた旨主張し、<証拠>によれば、右化成第一、第二乾燥炉、石膏乾燥炉について、ばいじんの除去については効果を挙げたことは認められるけれども、亜硫酸ガスの防除効果については右各証言もこれを認めさせるに十分ではなく、他にこれを認めるにたりる証拠はない。
(2) そうすると、同被告工場は、前記イの理由でほぼ別表3のとおりのいおう酸化物を大気中に排出したものと認められ、前記のように、チタンカルサイナーで発生したのについては、一部除去されると認められるが、その割合等については明らかではない。
(三) その他の過程におけるいおう酸化物の排出
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
同被告工場の硫酸製造工程の概略は、前記被告油化の硫酸製造工程と同じであるが、右工程において、いわゆる吸収ロスとしていおう酸化物が大気中に排出され、その排出量は、昭和四五年初めころTCAという除害塔が設置されて除去されるまで、右中谷証言によるも、いおう分にして一か月概算六〇トンくらいであつた。
(2) また、<証拠>によれば、前記酸化チタン製造工程のA工程において、いおう酸化物が装置外に漏出していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
2磯津地区におけるいおう酸化物等の濃度の増大とその特徴
イ いおう酸化物濃度の増大
(一) 四日市におけるいおう酸化物濃度の測定と磯津地区における濃度
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するにたりる証拠はない。
四日市市においては、昭和三五年ころから、大気汚染による公害問題が市政の中に意識的にとり入れられるようになり、同年一〇月、四日市市公害防止対策の基礎資料を得る目的で、大気汚染状況等の基礎調査を三重県立大学医学部公衆衛生学教室に委託し、同教室において同年一一月から市内一一か所(その後三重県衛生部からの委託箇所七か所が加わり、計一八か所)の降下ばいじんおよびいおう酸化物の測定を開始した。
この測定結果のうち、磯津地区におけるいおう酸化物の濃度(二酸化鉛法による)は別表10(イ)欄記載のとおりである。
また、三重県が設置した導電率法自動測定器により、右磯津地区における0.2ppm以上のいおう酸化物の総測定回数に対する出現頻度を調査した結果は、昭和三九年13.1パーセント、同四〇年12.7パーセント、同四一年6.2パーセントと漸次減少の傾向を示しながら高水準を保つている。
(二) 二酸化鉛法による測定値と導電率法による測定値との関係
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右二酸化鉛法による測定値は、亜硫酸ガスその他のいおう酸化物を測定するものであるが、酸化捕集であるため、湿度、温度、風速等の影響を多分に受ける。したがつて、右二酸化鉛法の測定値と導電率法による測定値の比は各都市によつて異なる。
右大学において、昭和三九年から同四〇年まで一〇回にわたり、磯津地区等で両測定法による同時測定を行なつた結果両者の比は平均して1.93mg/day/100cm2=0.1ppmである。
この値は、他都市での報告例、たとえば、3mg/day/100cm2=0.1ppm(川崎、堺)にくらべて二酸化鉛法による値が低い傾向があることを示すが、その理由としては、後記のように磯津における汚染が比較的風速の速いときに高低の差の大きいピーク状の濃度を示すためであると説明されている。
右磯津地区における各測定法の測定値の比にしたがつて二酸化鉛法による測定値を導電率法による測定値に換算すると、別表10(ロ)欄記載のとおりとなる。
(三) 基準値等との比較
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
生活環境審議会公害部会の環境基準専門委員会は、昭和四三年一月報告書において、人の健康を保持するための亜硫酸ガスの閾濃度(ただし、現行の測定法では亜硫酸ガス濃度示数として解すべきもの)として、二四時間平均値で0.05ppm一時間平均値で0.1ppmを勧告している。
また、昭和四四年二月二一日の閣議決定は、いおう酸化物の環境基準を、次のいずれをも満たすべきものと定めている。
①(ア) 年間を通じて一時間値が0.2ppm以下である時間数が、総時間数に対し九九パーセント以上維持されること。
(イ) 年間を通じて一時間値の一日平均値が0.05ppm以下である日数が、総日数に対し七〇パーセント以上維持されること。
(ウ) 年間を通じて一時間値が0.1ppm以下である時間数が、総時間数に対し八八パーセント以上維持されること。
② 年間を通じて一時間値の年平均値が0.05ppmをこえないこと。
③ いずれの地点においても、年間を通じて、大気汚染防止法に定める緊急時の措置を必要とする程度の汚染の日数が、総日数に対しその三パーセントをこえず、かつ、連続して三日以上続かないこと。
右閣議決定の環境基準値の年平均値0.05ppmと、右別表10(ロ)欄記載の濃度とを比較すると、五月から一〇月までの期間平均値においても、右磯津地区の濃度は、基準値を上まわり、一一月から翌年四月までの平均値は二ないし三倍近い値を恒常的に示している。
(2) 被告石原らは、四日市市におけるいおう酸化物の濃度は全国的にみてそれほど高くはない旨主張し、<証拠>によれば、昭和三九年における全国主要都市のいおう酸化物濃度において、四日市市は全市平均で一一位であることが認められる。
しかし、右は二酸化鉛法による測定の比較であると認められるが、前記のように二酸化鉛法による測定は、気象条件によつて左右されるところが大きく、そのまま比較することは事実を誤認する危険があるとされているのであり、仮にこの点を暫く措くとしても、右乙号各証によれば、磯津地区の平均値は1.70mg/day/100cm2で、全国三位であることが認められるのである。
(四) <証拠>によれば、前記のように二酸化鉛法は、湿度、風速等の影響を多分に受け、季節による変動(比較的夏期に高く冬期に低く表われる傾向がある)、あるいは、地域の著るしく異なる場所の間の測定結果を比較する場合は不適当であり、本法によつて得られた数値をただちに大気汚染度を示すものと考えると実態を誤認する危険があるとされ、導電率法は、いおう酸化物のほかに他の導電性物質の影響も受ける可能性があることが認められる。
しかし、次の理由によつて前記磯津地区におけるいおう酸化物濃度の測定結果は、信憑性を認めることができる。
(1) 前記のように、二酸化鉛法の測定値については、導電率法による同時測定をしてその比を調査し、さらに、前出甲三一号証の八によれば、アルカリろ紙法による測定値との比較も行ない、両者の値は、誤差の範囲でよく一致する傾向があることを確かめていることが認められる。
(2) 二酸化鉛法が気温、風速、湿度等によつて影響を受けるとしても、本件の場合は、四季を通じて数年にわたり測定したものである。
(3) 本件の場合は、磯津地区における経年変化や同じ四日市市内における他地区との比較、および右数値が、原告らの健康を侵害するにたりる濃度であるか否か等を主としてみようとするものである。
以上を要するに、本件測定結果は、亜硫酸ガスのみならず、硫酸ミストをも含んだいおう酸化物の測定値であり、導電率法にあつては、他の導電性物質の影響をも受け、二酸化鉛法にあつては気象条件の異なる他都市とそのまま比較することはできないことを留意すればたりるというべきである。
ロ いおう酸化物による汚染の特徴
(一) 風向との関係
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
四日市市においては、年間を通じて最多風向は北西風であり、同風向の昭和三六年から同四〇年まで五か年間の平均頻度は、二七パーセントを占め、また、北北西ないし北東風が一九パーセントであり、結局北西ないし北東の風向頻度は、四六パーセントを占める。
これを右期間の平均によつて季節別にみると、冬期(一一月から翌年三月まで)は、鈴鹿山脈を越す北西風寄りの季節風の影響を受け、特に、一月から三月までの間は北西ないし北東風が全体の約六〇ないし七〇パーセントを占め、また、夏季(五月から九月まで)は南からの季節風の影響を受け、南西ないし南東の風が全体の約三七ないし五五パーセントを占めている。
(2) 前記別表10によれば、磯津地区においては被告ら工場の主たる風向下に位置する冬期において、いおう酸化物濃度の増大が顕著となることが明らかである。
また、<証拠>によれば、昭和三五年一一月から同三七年一〇月までのいおう酸化物濃度と風向頻度との測定結果により両者の関係を調べてみると、磯津における右濃度は北ないし西風の場合順相関の関係があり、南ないし南東風の場合逆相関の関係があることが認められ、以上の認定に反する証拠はない。
(二) 風速との関係
<証拠>によれば、磯津地区においては、風速が比較的速い四ないし八メートル程度のときに高濃度の出現頻度が比較的多くなることが認められ、右認定を左右するにたりる証拠はない。
(三) ピーク性汚染
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
磯津地区におけるいおう酸化物による汚染の特徴として、右濃度記録に振幅の大きい鋸歯状のピーク濃度が現われることが挙げられる。たとえば、昭和三七年一二月二一日から同三八年三月二三日までの間、導電率法により連続測定した結果は、別図3記載のとおりであつて、最高1.1ppmから最低〇まできわめて大きな変動を示している。昭和四一年一月二九日から同年二月八日までの連続測定の結果は、別図4の1、2のとおりであり、これまた、右ピーク汚染の特徴を示している。
(2) そして、右甲号各証によれば、右ピーク性高濃度の出現は、風向が西ないし北東の場合に多く、特に、北西および北北西風の場合に多くみられ、また、風速が比較的速いときに比較的多く現われることが認められる。
(3) <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
通常の都市型汚染にみられるいわゆる静穏スモッグは、風速三メートル以下のときに高濃度が観測されるのに対し、前記のように風速が比較的速いときに濃度が高くなるのが本件汚染の特徴の一つである。
また、他の工業地帯における大気汚染は、広域的恒常的であるのに対し、右のように一時的な高濃度の汚染が生ずるという点が特徴である。たとえば、大阪市西淀川区福小学校のいおう酸化物濃度は、平均0.17ppmのとき、最高0.4ppm・最低0.1ppmであるのに対し、磯津地区のそれは平均0.16ppmのとき、最高0.7ppm・最低0ppmを示している。
そして、このピーク性汚染の問題は、四日市地区大気汚染特別調査会(いわゆる黒川調査団)でもこれをとり上げ、四日市においては、広域的・恒常的な汚染のほか局所的に一時的な高濃度のいおう酸化物を中心とする大気汚染が生ずるという特色があり、このため、他の工業都市にみられない特異な公衆衛生上の危害などが生じているとしている。
(四) 硫酸ミストの問題
(1) <証拠>によれば、次のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。
前記のように、重油等の燃焼過程において発生する三酸化いおうは通常ごく少ない。
また、亜硫酸ガスは、大気中で光酸化され、三酸化いおうとなるが、この速度は一時間に0.1ないし0.2パーセントぐらいの割合といわれ、かなり遅い。しかし、大気中に触媒作用をもつ微粒子が共存するときは、その転換の速度は速くなる。
三酸化いおうは水と非常に速く反応し、硫酸を形成する。大気中では、通常この硫酸ミストの状態で存在する。
右硫酸ミストの量は、通常、都市大気中では全いおう酸化物の二〇パーセント以下であるといわれている。
もつとも<証拠>によれば、ロンドンでは亜硫酸ガス一に対する硫酸の重量比は0.011ないし0.013、霧の深い日で0.023というきわめて少ない価が観測されたことが認められるが、同時に右乙号証によれば、同じロスアンゼルス地区においても、時期によつて右硫酸ミストの割合は大幅に変動することが認められるのである。
(2) <証拠>によれば、三重県立大学医学部において、昭和三九年四月二〇日から同四〇年一一月二七日までの間七五回にわたり、磯津地区およびその周辺において、パラロザリニン法およびフクシン法とトリン法および酸度滴定法とを用いて、亜硫酸ガスと硫酸ミストとを同時に測定した結果を加重平均すると、前者の一に対し後者が0.53の割合で認められる結果が得られたことが認められる。
このことは、後記のように、硫酸ミストの人体に対する影響が亜硫酸ガスより大きいと考えられていることからすると、重要な結果であるが、右甲号各証によれば、各測定によつて亜硫酸ガスと硫酸ミストとの割合が、前者の一に対して後者の0ないし5.08ときわめてばらつきが大きいことが認められ、前出乙は九号証によれば、右硫酸ミストの測定値の正確さについては問題があると認められるので、磯津地区における両者の割合を定量的に断定することはできないと考える。しかし、少なくとも他の汚染都市にくらべて亜硫酸ガスに対する硫酸ミストの割合が多いことは、右甲号各証及び前記(1)の事実からも窺われるのである。
(五) 四日市におけるいおう酸化物の等量線図
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
前記のとおり、市内一〇数か所において二酸化鉛法によりいおう酸化物の測定を行ない、各測定点ごとに一定期間の平均濃度を算出し、これをもとにして四日市の地図の上に右平均濃度の分布を表わした等量線図は、別図5の1ないし6のとおりである(ただし、別図5の5はアルカリろ紙法による測定結果である)。
そして、同図および前出甲三一号証の六の昭和三九年五月から一〇月平均の亜硫酸ガス(いおう酸化物)等量線図によれば、次の事実が認められる。
四日市市におけるいおう酸化物の濃度は、磯津地区など被告ら工場所在地に近接した地域が、冬期・夏期とも高濃度を示し、そこから遠ざかるに従つて濃度がてい減している(ただし、昭和三八年ころから四日市市中東部に一部高濃度が認められるようになつたが、右の基本的な傾向は変わらない)。
また、夏期には、冬期にくらべ、最高濃度が被告ら工場所在地から北西の方向に深く屈曲して伸びている。
ハ ばいじん(大気汚染防止法二条四項の粉じんを含む。以下同じ)による汚染
(一) 降下ばいじん
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
前記イ・(一)のような経過で四日市市から三重県立大学医学部公衆衛生学教室が委託を受け、降下ばいじんを英国理工局標準法によるデボジットゲージを用いて測定した結果は、別表11記載のとおりである。
(二) 浮遊ばいじん
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
右大学公衆衛生学教室において、昭和三八年一二月末から同三九年三月末までの三か月間、浮遊ばいじんを一分間一〇リットルの割合で通気し、一時間ごとに一こまずつ移動させたテープ状ろ紙の汚染濃度を透過率で記録させたものを吸光度に換算して表わす方法により測定した。その結果、右吸光度の三か月平均値は0.07である。
3磯津地区における大気汚染の原因
イ 磯津地区と被告ら工場との位置、距離
前記第一のとおり、被告ら各工場は、磯津地区のほぼ西北西から北東までの方角にわたつてこれに近接して所在している。
ロ 磯津地区における汚染と被告ら工場の稼動の時期的関係
(一) 前認定の被告ら工場の稼動開始時期および別表2の1ないし6記載の各施設の稼動開始時期ならびに前出甲一号証によれば、被告ら工場を中心とするいわゆる四日市第一コンビナート工場群が、本格的な操業にはいつたのは、おおよそ昭和三三年ないし三五年ころであると認められる。
前記のように四日市における大気汚染問題が市政の中にとりあげられ、磯津地区等において大気中のいおう酸化物の濃度が異常な高値を示しているのを確認されたのが昭和三五年であり、両者は時期的にほぼ対応している。
(二) その反面、右甲一号証、成立に争いのない甲二号証によれば、昭和三五、六年以前において、被告ら工場群に比肩しうるばい煙(特に、いおう酸化物)排出源が他にないことが認められ、右認定に反する証拠はない。
すなわち、右甲号各証によれば、いわゆる午起地区の第二コンビナートが稼動を開始したのは、昭和三八年であると認められ、また、甲一号証により稼動開始時期において問題になると認められる被告ら以外の工場も、右甲二号証によれば、燃料としての重油使用量が被告らの合計数量に比べてきわめて少ないことが認められるのである(右重油使用量は昭和三八年ないし四〇年の数量であるが、これをもつて昭和三五、六年当時のばい煙排出量の比較をしても大きな誤差は生じないと思われる)。
ハ 磯津地区におけるいおう酸化物濃度の経年変化と被告ら工場の排出するいおう酸化物量の経年変化との関係
前記別表10(ハ)欄に別表3の被告らのいおう酸化物排出量の合計数量を記入して両者を対比させ、また、別表10のうち冬期(一一月から翌年四月まで)の濃度と右排出量との関係を図表化すると、別図11のとおりとなるが、これらによれば、右被告らのいおう酸化物の排出量の合計の経年変化と磯津地区におけるいおう酸化物濃度の経年変化とが、資料の存する昭和三六年から同四二年までの間において、よく対応していることが認められる。
ニ 風向と濃度との関係
(一) 前記2・ロ・(一)・(2)のとおり磯津地区においては、被告ら工場の主たる風向下になる冬期において、いおう酸化物の濃度が顕著となり、同地区におけるいおう酸化物濃度と、北ないし西風の風向頻度との間には、順相関の関係が認められる。
また、前記別表10により冬期(一一月から翌年四月まで)の濃度を一〇〇として夏期(五月から一〇月まで)の濃度の指数を求めると、別表10の2のかつこ内の数字となり、冬期は夏期にくらべて平均して約五〇パーセント濃度が高くなることが認められる。
(二) <証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
前記2・イ・(一)による昭和三五年一一月以降の大気汚染調査において、三浜小学校における二酸化鉛法によるいおう酸化物濃度の測定結果は、別表10の2記載のとおりであり、前同様冬期の濃度を一〇〇として夏期の濃度の指数を求めると、同表のかつこ内の数字となり、夏期は冬期にくらべて平均約八〇パーセント濃度が高くなる。
また、昭和三五年一一月から同三七年一〇月まで測定資料に基づいて同地区におけるいおう酸化物濃度と東ないし南東の風向の頻度との相関をみると、両者は順相関の関係にある。
(三) <証拠>によれば、右三浜小学校は、磯津地区から北西方約2.8キロメートルの所にあつて、被告ら工場のおよそ北ないし西方にこれに近接して所在することが認められ、右認定に反する証拠はない。
右磯津地区、被告ら工場および三浜小学校の位置関係と右(一)、(二)の事実、すなわち、磯津地区においては、被告ら工場の風下に当たる北ないし西風の多いときおよび同風向の多くなる冬期に汚染が高くなり、三浜小学校においては、被告ら工場の風下に当たる東ないし南東風の多いときおよび同風向が多くなる夏期に汚染が高くなることを合わせ考えると、被告ら工場の排出したばい煙(主としていおう酸化物)が、両地区に汚染をもたらしていることを推認することができる。
ホ 前記2・ロ・(五)のとおり四日市におけるいおう酸化物の等量線図は、磯津地区など被告ら工場に近接した地域に高濃度を示し、そこから遠ざかるに従つて濃度がてい減している。
ヘ 前出甲三〇号証および証人伊東彊自の証言によれば、次の事実が認められる。
前記のように、磯津地区における大気汚染の特徴として、比較的風速の速いときにピーク状の高濃度汚染が認められるのであるが、その理由としては、次のように説明できる。
コンビナート関係工場には、大容量燃焼施設が集中して設置されているため、いおう酸化物を含む多量のガスが排出され、それらがあまり拡散稀釈されないまま主風向に従つて競合して風下に流れる。特に、比較的風速の速いとき、建屋等の風下側に減圧空間を生じ、そこに右各工場の排煙が上方および左右から巻き込まれ、巻き込まれた煙が排出源のより近傍に集中的に流れ出て高濃度の汚染をもたらす。
ト 以上のイないしへの事実に前出甲一、三〇号証、証人伊東彊自、同吉田克己(第二回)の各証言を合わせ考えると、磯津地区の大気汚染の主たる原因は、被告ら工場の排出するばい煙(特にいおう酸化物)によるものであることが明らかである。
チ 被告らの反論について
(一) 被告昭石は、磯津地区におけるいおう酸化物濃度と風向との関係について別図4の1、2によれば北西および北北西風のときに0.2ppm以上の高濃度を示したのは、総測定回数五一回中七回にすぎないと主張するが、右図によつても右事実は認め難く、かえつて、0.2ppm以上の測定回数は計約二三回であるが、そのうち北西および北北西風のときは約八回であり、その他の風向は不明であるが、その一時間前後の風向が北西または北北西風である場合が大多数を占めていることが認められるのである。
(二)(1) また、被告昭石らは、北西および北北西風以外のときにも磯津地区に高濃度が記録されており、原告らの論法によれば、被告ら以外にも高濃度汚染源があることになる旨主張し、<証拠>によれば、昭和四二年一〇月から同年一二月まで三か月間において磯津の風向が北西および北北西以外のときにも磯津に高濃度が観測されたことが認められる。
(2) しかし、証人伊東彊自の証言によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
ある地区で、一般に観測される一般風の風向(一般流)と地表面近くの風向とは、後者が地形、地物の影響を受けて乱れを生ずるため、必ずしも一致しない。そして、右地表面近くの乱れの領域も全般的には、一般流に従つて風下方向に流れていく。
したがつて、ある観測時刻だけのものを拾つてみると、かなり風向は異なつているが、長時間の平均的なものを考えると、一般流に引きずられて流れていくと考えられる。
四日市の場合、四日市中消防署の気象観測が地上約三〇メートルで行なわれているため、その観測結果は比較的よく右一般流を示すものと考えられる。であるから、もし同時刻に磯津地区や三浜小学校で異なつた風向が観測されるとすれば、それは乱れの領域の風向の観測と考えられる。そして、磯津地区の汚染源という観点から磯津地区の濃度と風向との関係をみるとすれば、磯津地区の風向だけをみるのは、片手落ちであつて、右一般流および汚染源の風向とをみなければならない。
(3) 右認定事実および前出乙い一号証の資料が四か月計二、一六〇時間のうち八五時間の記録にすぎないことを合わせ考えると、右(1)の事実も前記ニの磯津の汚染と風向との関係に関する認定事実をくつがえすにたらず、また、右(1)の被告主張立証のみをもつて他に汚染源があるものと推定することも到底できない。
(三) また、被告昭石らは、別図4の1、2について三浜小学校の風速と磯津における濃度とを対比することは誤りである旨指摘し、<証拠>によれば、昭和四二年一月、二月の二か月間において三浜小学校と磯津地区における風向とが一致しない場合が多いことが認められる。
しかし、前認定のように大気汚染と風向との関係をみる場合は、汚染源における風向や一般流をもみなければならないと解されるところ、前出甲三号証によれば、別図4の1、2は風向については右三浜小学校の風向だけではなく、前記中消防署の風向や被告中電三重火力、同昭石、同化成、訴外日本合成ゴム等の観測資料をも参考にし、中消防署と三浜小学校との風向はおおむね一致することが確認されて作成されたことが認められるので、右別図4の1、2の信用性をくつがえすにたりない。
(四) 被告らは、大気中のばい煙は、流動現象と拡散現象との場合によつて決定される複雑な現象であつて、原・被告の位置関係や風向によつて単純に割り切れるものではない旨主張する。
しかし、右流動現象や拡散現象を明らかにしなければ被告らの排煙と磯津地区の汚染との因果関係を確定しえないというものではなく、前記イないしホによれば、被告ら全体としての排煙と磯津地区の汚染との因果関係は明らかにこれを認めることができ、被告らが、各自単独の排煙が右流動拡散等により磯津地区に到達しない、したがつて、因果関係がないとの点は、被告らにおいてこれを明らかにする責任があると解すべきである。
のみならず、右流動現象については、前記(二)のとおり地表面近くの風向は、被告ら主張のとおり地形、地物の影響等により乱れを生じて複雑な動きを示すが、長時間の平均的なものを考えると、一般流に引きずられて流れていくと考えられるのであるから、前認定の妨げとなるものではない。
(五) 被告らは、被告ら以外にも四日市市にばい煙排出源が多数あるのにこれを無視して磯津の汚染の原因を論ずるのは不当であると指摘する。
しかし、前記3・ロのとおり昭和三五、六年以降において被告ら工場に比肩しうる排出源が他にないことが認められるのみならず、前出甲二号証、五六号証によれば、昭和三八年ないし四〇年の重油の燃料消費量(四〇年は予定)において比較的多量と認められる訴外大協石油、同大協和石油化学の各四日市工場、中電四日市火力発電所はいずれも磯津地区からおおよそ四、〇〇〇メートル以上離れていることが認められ、また、原告らが、被告ら工場と同じ第一コンビナートに属すると主張することから、磯津地区と距離関係において問題になると認められる別表1記載の被告ら以外の工場群については、被告ら工場の重油の燃料消費量の合計とくらべてきわめて少ないと認められ、これらの事実に前記3・ハの磯津地区におけるいおう酸化物濃度の経年変化と被告ら工場の排出するいおう酸化物量の経年変化との比較、前記3・ホの等量線図等を合わせ考えると、磯津地区の大気汚染に対して、被告ら以外の工場の影響は仮にあるとしても少ないと認められ、同地区の汚染は、被告ら工場の排煙が主たる原因であるという前認定を左右するにたりないというべきである。
三 原告らの罹患と大気汚染との関係
1四日市市(特に磯津地区)における閉そく性肺疾患の多発とその原因
イ はじめに
いわゆる公害事件においては、その事件のもつ特殊な性格から疫学的見地からする病因の追究が重要な役割をになつているといわれている。
本件においても、原告らの罹患と大気汚染との関係について当事者の主張立証は、まずこの点に集中しているので、以下四日市市特に磯津地区における閉そく性肺疾患の増加と大気汚染の関係の有無を疫学的観点から検討するが、その前に、ここで疫学の方法をごく簡単にみておくことにする。
なお、右閉そく性肺疾患とは、アメリカのゴールドスミスが工業国家において大気汚染により気管の気道を通過する空気量が制約されてくる現象を共通的な問題として捕え提唱した呼称であつて、慢性気管支炎、気管支ぜんそくおよび肺気腫が含まれる(成立に争いのない甲七号証、証人吉田克己の証言、なお弁論の全趣旨によれば、以下本件各証拠中に用いられている閉そく性吸収器疾患なる用語も上記閉そく性肺疾患と同義のものと解せられる)。
<証拠>によれば、次のとおり認められる。
疫学における問題の原因研究の方法としては①記述疫学的方法②分析疫学的方法および③実験疫学的方法とがある。
記述疫学的方法とは、自然界における流行のありのままの姿を観察し、流行の特性を観察、記録、考察する方法である。
分析疫学的方法は、記述疫学的方法によつて考察された諸事項から作られた疫病の発生原因に関する仮説を吟味検討する方法である。
実験疫学的方法は、分析疫学で吟味検討された仮説を実験によつてさらに確認するとともに、特に、原因の作用機序をを探究する目的で行なわれる。
そして、記述疫学的および分析疫学的方法で相関性の高い因子が浮かんできたならば、その因子と疾病との間に因果関係があるかどうかを観察諸成績を総括的に吟味検討して結論することになるが、ある因子がある疾病の原因であるためには、次の四条件が必要である。
その因子は発病の一定期間前に作用するものであること
その因子の作用する程度が著るしいほど、その疾病の罹患率が高まること(Dose and effect relationship)
その因子の分布消長の立場から、記載疫学で観察された流行の特性が矛盾なく説明されること(その因子がとり去られた場合その疾病の罹患率は低下すること、その因子をもたない集団では、その疾病の罹患率がきわめて低いことなど)
その因子が原因として作用する機序(メカニズム)が生物学的に矛盾なく説明されること
右四原則のうち、第二の原則が中心的な問題になるが、通常量と効果との関係と表現され、作用する量が強いほど疾病の罹患率が高くなるということを示す。したがつて、第二の原則を広義に解すれば、第三の原則もその中に含まれることになる。
第四原則は、その因子が原因として作用する機序(メカニズム)が生物学的に説明可能であるということであつて、実験的方法を用いてよいが、必ずしも実験による証明を要するものではない。
実験疫学的方法とは、設定された条件のもとである疫学的な事実を検証する方法である。
以上のように認められるのであるが、ここでわれわれが検討しようとしているのは、いうまでもなく法的因果関係の有無であり、その前提としての自然的因果関係の有無である。したがつて、自然的因果関係の有無の検討も、右法的因果関係の有無の判断に必要にして十分な程度に止まるべきであることはいうまでもない。
ところで、実験疫学的方法が前記の方法、目的のごときものであるとすれば、まず、原因の作用機序を明らかにするという意味では、法的因果関係の有無の判断のためには、必ずしも必要ではないと解される。
けだし、右判断には、当該因子が原因であることを確定すればたり、その作用の機序まで明らかにしなければならないものではないからである。
また前記分析疫学によつてえられた仮説を確認検証するという意味での実験は、法的因果関係の確定に当たつても原則として必要であると解されるが、どの程度必要であるかは、具体的に事件ごとに判断されるべきものであり、その場合、記述疫学的および分析疫学的方法によつてえられた仮設の確実性の程度等と総合して決定されるべきものと思われる。
ロ 疫学調査
(一) 罹患率調査
<証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
(1) 昭和三七年ころから三重県立大学医学部公衆衛生学教室または同学部付属産業医学研究所(以下「産研」という)は、四日市地区大気汚染対策協議会(昭和三七年九月末に三重県と四日市市との協調機関として設置され、県、市関係部局の担当者が参画している)の委託、又は厚生省の委託にもとづき、同大学吉田克己および大島秀彦を中心に四日市市における大気汚染の疫学調査として、昭和三六年四月以降会計年度を単位として、四日市市内の種々の汚染段階にある一〇地区又は一三地区を選んで、国民健康保険の請求支払明細書(以下「国保請求書」という)により、呼吸器系、循環器系その他の疾病の罹患率を調査した。
右調査対象一〇地区は、原告ら居住の磯津地区を含む塩浜をはじめ、港、東橋北、海蔵、日永、浜田、共同、三重、四郷、保々であり、昭和三八年度分以降は、午起の第二コンビナートの影響をも考慮して、常磐、羽津、桜の三地区を加えて一三地区とし、調査の前提となる大気汚染度については、前記のように市内十数か所におけるいおう酸化物濃度や降下ばいじん総量の測定の結果の年間平均値によつて等量線を作成し、これによつて各地区のいおう酸化物濃度と降下ばいじん総量とを推定している。
右調査に際しては、前記のように呼吸器系、循環器系その他の疾患について毎月の国保請求書により受診件数を求め、各月の受診件数を一年間集計し(したがつて、同一人が同一疾患で三か月にわたつて受診したときは、三件として計上される)一方、国民健康保険加入者台帳により国保加入者の人口構成(地区別、性、年令別等)を調べ、右年間受診件数の加入者に対する割合を年間罹患率(以下「累積罹患率」という)としている。
(2) 右累積罹患率の調査結果のうち、昭和三七年度の結果は別表12ないし15のとおりであり、右別表12は疾病発生率を年間一〇〇人当たりで表わしたものである。
感冒、気管支ぜんそく、咽喉頭炎、気管支炎等の呼吸器疾患率は、塩浜地区では、三重、四郷、保々地区に比して約二―三倍(三重地区の気管支炎を除く)を占め、累積罹患率と降下ばいじん総量およびいおう酸化物濃度との相関関係(右累積罹患率を縦軸にとり、降下ばいじん総量およびいおう酸化合物濃度をそれぞれ横軸にとつた各グラフ上に前記調査結果にもとづく数値をプロットし、相関係数をもつて数量的に表わす。以下同じ)を調べると、全年令層においては、いおう酸化物濃度と感冒の累積罹患率とが0.87、気管支ぜんそくの累積罹患率とは0.82、〇才ないし四才および五〇才以上の幼・高年令層では、いおう酸化物濃度と感冒とは0.88、いおう酸化物濃度と気管支ぜんそくとが0.87、咽喉頭炎とは0.80である。
また、昭和三八年度の調査結果は、別表16ないし20のとおりであり、塩浜と非汚染地区(桜、保々)で著明な差のみられるのは、上気道炎症性疾患、気管支ぜんそく等で、前者は、汚染地区においては約三倍、気管支ぜんそくは約四倍に上り、累積罹患率と降下ばいじん総量およびいおう酸化物濃度との相関関係は、全年令層において、上気道の炎症性疾患の累積罹患率といおう酸化物濃度とが0.68、気管支ぜんそくの累積罹患率と降下ばいじん総量およびいおう酸化物濃度とがそれぞれ0.82および0.88、五〇才以上では、上気道炎症性疾患の累積罹患率といおう酸化物濃度とが0.76、気管支ぜんそくの蓄積罹患率と降下ばいじん総量およびいおう酸化物濃度とがそれぞれ0.80および0.88である。
昭和三九年度の調査結果は、別表21ないし26のとおりであり、咽喉頭炎、感冒、気管支ぜんそくの累積罹患率を塩浜と非汚染地区(桜、保々)とで比較すると、全年令層で汚染地区は非汚染地区の約二ないし三倍を占め、五〇才以上では気管支ぜんそくは六倍以上に上つている。右累積罹患率と降下ばいじん総量およびいおう酸化物濃度との間の相関関係は、全年令層において、いおう酸化物と咽喉頭炎、感冒、気管支ぜんそくとがそれぞれ0.77、0.71、0.70、降下ばいじんと気管支ぜんそくとが0.73であり、五〇才以上では、いおう酸化物と感冒および気管支ぜんそくがそれぞれ0.82および0.83、降下ばいじんと感冒および気管支ぜんそくとが0.75および0.88である。
昭和四〇年度の調査結果は、別表27のとおりであり、累積罹患率といおう酸化物濃度および降下ばいじん総量との相関関係は、全年令層において、いおう酸化物と感冒気管支炎および気管支ぜんそくとでそれぞれ0.72および0.83、降下ばいじんと気管支ぜんそくおよび前眼部疾患とがそれぞれ0.72および0.69である。
昭和四一年度・昭和四二年度は、汚染地区の塩浜、非汚染地区の三重、保々を選び、前同様の調査をしたが、その結果は別表28、29のとおりであり、昭和四二年度における感冒気管支炎および気管支ぜんそくについて、年令別罹患率の汚染地区と非汚染地区との比較を図示すると別図12のとおりである。
(3) 右昭和三六年度から昭和三九年度までの咽喉頭炎、気管支ぜんそく、感冒気管支炎の月別罹患率の年次別、月次別変動を汚染地区(塩浜)と非汚染地区(三重、保々)とを対比させて図示すると、別図13および14のとおりであり、昭和三六年度から同四二年度までのおもな疾患の累積罹患率の経年変化を汚染地区(塩浜)と非汚染地区(三重、保々)とを対比させて示すと別表30および別図15および別図6のとおりである。
以上の結果よりすると、いおう酸化物濃度と前記感冒(+気管支炎)、咽喉頭炎、気管支ぜんそくの各罹患率の相関係数は、いずれも昭和三七年以降昭和四〇年にいたるまで、毎年ほぼ同程度の高い数値を示している。
また、右経年ないし月別比較における汚染・非汚染の各折線は、心臓病あるいは呼吸器疾患のうち、肺炎、肺結核および肺気腫等では、ほとんどへだたりがみられないのに対し、咽喉頭炎、感冒および気管支炎、気管支ぜんそく(ただし、〇〜四才の気管支ぜんそくを除く)等においては、年次別、月別いずれも昭和三六年以降相当の間隔を保ち、かつ、その差を開きながら上昇していることが明らかに看取される。
また、年令別についてみると、幼・高年令層は大気汚染の影響がより大きく、気管支ぜんそくについては、五〇才以上くらいの高年令層の汚染地区と非汚染地区との差がもつとも顕著である。
なお、原告らは、前記累積罹患率といおう酸化物濃度等との相関関係について、有意水準を示して主張し、前記甲号各証にはこれにそう記載部分もあるけれども、証人吉田克己(第一回)の証言によれば、被告ら主張のように、右有意性の検定が可能な前提条件として、母集団が二次元の正規分布をとる必要があると認められるところ、右前提要件を満たすかどうかについては、これを認めるにたりる的確な証拠がない。
しかし、前認定のごとく前記各相関係数は、累年にわたつてはほぼ同程度の高い数値を示しているのみならず、さらに汚染・非汚染地区別の経年・月別比較の傾向線の間に、顕著な差が認められることをも合わせ考えると、いおう酸化物濃度と右罹患率との間にいわゆる量と効果の関係を認めうるものと解して妨げない。
(4) 被告らの反論について
(イ) 被告らは、疾病頻度の算定法のなかで、もつとも重要なものは罹患率(Incidence rate)、時点有病率、期間有病率の三者であるが、前記産研らの累積罹患率は、右三つの算定法のいずれにも該当せず、したがつて、疫学的因果関係成立の条件として必要とされている罹患率に該当せず、また、これに代わりうる期間有病率でもなく、このような累積罹患率では、当該地区における当該疾患の新症例の発生頻度を知ることができず、他の地区と比較することもできないと主張する。
よつて検討するに、<証拠>によれば、右累積罹患率が通常疫学で用いられる罹患率、時点有病率又は期間有病率と異なるものであることが認められ、かつ、累積罹患率では、通常の罹患率と異なり、新患発生の割合を知ることはできないが、右累積罹患率は、一か月の期間有病率を一年間累積したものであるから、それはそれとして、前記疫学四原則の第二、第三原則で問題にされている量と効果との関係を測定する一方法として支障はないと解されるから、この点に関する被告らの主張は理由がない。
なお、別図13、14は、累積罹患率の年次別、月次別変動であるが、右図によつて、被告主張の一か月の期間有病率が判明するわけであるが、これによつても汚染地区と非汚染地区との差を明らかに認めることができる。
(ロ) 被告らは、調査対象者が国保加入者に限定されており、全住民の代表性がなく、また、患者が罹患したとき医者にかかるかどうかはいろいろな事情に左右されると主張し、かつ、国保請求書を統計調査に利用するについての問題点を指摘する<証拠>もあるが、<証拠>によれば、右国保の記録も疫学的検討の材料となる資料として通常使用されていることが窺われ、この場合、当該地区の国保加入率が問題になると思われるが、右加入率は前記各表に掲記のとおりであつて、右加入率を考慮したうえでその調査結果を評価すればたり、国保加入者が地域住民全体の傾向と著るしく異なつている特段の事情があれば格別、さもなければ、右国保請求書による調査の価値を否定するにはたらず、また、患者の受診事情の差異も、多数のデータをとつた場合、地区間の誤差は消去されると考えられるので、これまた右調査の価値を否定するにたらないというべきである。
(ハ) 被告らは、昭和三六年四月以前については、国民健康保険制度がなく、したがつて、罹患率の調査もなされていないところ、たとえば、別図14の五〇才以上の気管支ぜんそくの経年比較をみても、昭和三六年ころから気管支ぜんそく患者が増加しているとはいえないと主張するが、同図によるも、被告ら主張の右累積罹患率が増えていることを看取しうるのみならず、別図6、7によれば、気管支ぜんそく患者が昭和三六年ころから増加していることは明らかである。
(二) 住民検診
(1) 厚生省ばい煙等影響調査
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(イ) 厚生省は、わが国で大気汚染が著るしく、かつ、特徴的な性質をもつと考えられる大阪府および三重県四日市市を調査対象地区に選定し、大阪府および三重県に委託し、大阪府立成人病センター、三重県立大学医学部を中心として調査班を組織し、右調査機関と厚生省、大阪府、三重県の代表者および国立公衆衝生院部長、国立衛生試験所部長らを含めて企画判定委員会を設置し、これらの調査組織により、昭和三九年ころ、ばい煙等の影響調査を行なつた。
その調査方法は、大阪、四日市において汚染の比較的著るしい汚染地区と汚染の少ない非汚染地区とを選定し、各調査地区に居住する四〇才以上のすべての一般住民を調査対象者として、企画判定委員会で採用された共通の質問調査表(甲四八号証)を配布し、各自記入したものを回収する。さらに右質問調査結果にもとづいて、三か月以上のせき又はたんのある者およびぜんそく様発作、息切れのある者などを対象として選び出し(以下「有訴症者」という)、右有訴症者について、医学的検査を実施した。医学的検査は、B・M・R・Cの様式を若干修正したものによる問題、Vitalorによる努力性肺活量などの測定、X線検査など呼吸機能検査を主眼としたものである。
これら質問調査および医学的検査と併行してその時期の気象観測とともに、それぞれの方法による降下ばいじん、浮遊ばいじんおよびいおう酸化物の測定を行なつた。
四日市では、汚染地区として塩浜北(三浜、曙を含む)、塩浜南、磯津の三地区、非汚染地区として四郷、桜、富州原の三地区を選び、前記のようにこれらの地区の四〇才以上の全住民約九、〇〇〇名について、昭和三九年七、八月(塩浜北、塩浜南、および四郷、桜地区)と、昭和四〇年二月(磯津、富州原地区)に実施した。
(ロ) 右調査の結果は次のとおりである。
前記質問調査の回答者は、汚染地区三、六七五名、非汚染地区三、七五七名で、全住民のそれぞれ79.2パーセント、82.8パーセントに当たり、その調査結果のうち慢性気管支炎有訴症者(せき・たんともに三か月以上続く者)については、別表31、ないし33および別図16のとおりであり、慢性気管支炎症状の発現には、性、年令、喫煙の有無などによる影響を受けることが認められるが(女性より男性が多く高令になるほど増加し、喫煙者が非喫煙者より多い)、性別、年令階級別、喫煙の有無別に分けてそれぞれについて汚染、非汚染地区間の比較を行なつても、いずれも汚染地区において高い有訴症率を示した。また、これらの因子の地区差を除くため、昭和三五年国勢調査による年令別標準人口構成および全調査対象者の平均喫煙率等によつて、地区間の差を補正して慢性気管支炎症状の有訴症率を求めたのが右別表33であり、男女とも非汚染地区に比して汚染地区の有訴症率が高く、統計上有意の差が認められた。
また、息切れについては、別表34のとおりであり、汚染地区に高い有訴症率を示し、大阪よりも四日市が高い。ぜんそく様発作の頻度については、別図17のとおりであり、明らかに地区差が認められ、汚染地区の磯津、塩浜北、塩浜南に高く、非汚染地区の四郷、富州原、桜は低率である。
前記医学的検査は、有訴症者のうち、受検者四〇ないし五〇パーセントに対して行なわれたが、地区別に著明な差はみられず、閉そく性障害者率では、特定の症状群においては汚染地区より非汚染地区に高率であつた。
(ハ) ちなみに、大阪における調査は、汚染地区として此花区梅香町を、非汚染地区として池田市呉服町を選定し、四〇才以上の全住民約六、九〇〇名を対象にして行なつたものであるが、その調査結果は、前記別表31ないし34、別図16のとおりであつて、大気汚染の影響はここでも明らかに認められている。
(2) 産研、四日市市共同調査
<証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
昭和四〇年以降において、産研と四日市市衛生部とが共同で右厚生省の調査に準じた方法で四日市市の住民検診を実施した。
対象地区は、汚染地区としての港、浜田、同和、中央、共同、海蔵、西橋北、羽津の九地区を選定し、四〇才以上の住民を対象者として行なつた。
質問調査に対する回答率は七〇ないし八〇パーセントである。
右調査結果を前記(1)の調査結果と総合すると、別表35(塩浜北、塩浜南、磯津は塩浜と一括して表示)のとおりである。
ただし、慢性気管支炎は、一年に三か月以上せきおよびたんが継続し、その状態が二年以上続いている者(フレッチャーの定義)にしぼつたので、その有訴症者および有訴症率は別表31、32より少なくなつている。
右質問調査の結果の慢性気管支炎およびぜんそく様発作の有訴症率と、当該地区の昭和三七年より同四〇年まで四年間の平均いおう酸化物の濃度および降下ばいじん量との関係をみると、いおう酸化物と慢性気管支炎およびぜんそく様発作、降下ばいじんと慢性気管支炎およびぜんそく様発作とは、いずれも高い相関関係が認められた。
また、慢性気管支炎と喫煙との関係では、各地区とも喫煙者の方が慢性気管支炎有訴症率が高く、非喫煙者の1.5ないし4.2倍であるが、汚染度が高くなるに従つて非喫煙者ともに慢性気管支炎有訴症者が多くなり、喫煙、非喫煙の差が接近し、慢性気管支炎の増大因子中大気汚染の占める割合が高くなることが窺われた。すなわち非喫煙、喫煙者それぞれ相互の比較では、非喫煙者群では汚染地区の有訴症率が非汚染地区のそれの5.9倍、喫煙者群では汚染地区の有訴症率が非汚染地区のそれの2.7倍、全対象者で3.8倍であり、特に、磯津地区では有訴症率はさらに高くなり、非汚染地区に対し非喫煙者で約8.3倍、喫煙者群で3.8倍、全対象者で約5.3倍となつている。
医学的検査の結果は、別表36のとおりであつて、慢性気管支炎有症率(調査表回答者数に対する割合)では、汚染地区の中でも、港、浜田地区など昔からの商工業地区で、ばいじん量の比較的多い地区が塩浜地区より若干多い傾向がみられ、気管支ぜんそく有症率および閉そく性障害者率(いずれも調査表回答者数に対する割合)は、塩浜地区が他の汚染地区よりさらに多い傾向を示し、非汚染地区の約二倍を示している。
ぜんそく有訴症者については、汚染地区では調査時(前記のとおり昭和三九年から昭和四二年ころまで)から過去五年以内に発病したものが、有訴症者全体の59.2パーセントであるのに対し、非汚染地区では63.8パーセントが五年以上前から気管支ぜんそくに罹患していた。
また、ぜんそく発作の起こる時期については、磯津地区の有訴症者は、前記汚染度の高くなる冬期において49.2パーセントを占めるのに対し、非汚染地区では冬期25.3パーセント、季節の変わり目16.9パーセントである。
(3) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
右住民検診の際、別途に汚染地区として磯津南町の四〇才以上の住民一六一名、非汚染地区として富田本町の四〇才以上の住民一一三名を対象にして有訴症者に限定することなく、右全員を家庭訪問して検診をした。
その受検率は、それぞれ九五パーセント以上であつたが、右検診の結果は、別図18のとおりであつて、これによれば、汚染地区において慢性気管支炎、気管支ぜんそく、閉そく性障害者のほかに、せき、たんの自覚症を訴えるものがかなり増加しており、まつたく自覚症状のないものは非汚染地区では六八パーセントであるのに対し、汚染地区では四二パーセントであり、半数以上のものが、せき、たん、ぜんそく発作のいずれかの自覚症を訴えていることが判明している。
(4) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
吉田克己が前記住民検診の結果や、大阪府立成人病センターのデータ等をまとめて、いおう酸化物濃度と慢性気管支炎の有症率との関係を図示すると、別図19のとおりとなるが、これによるといおう酸化物濃度が増加するのに比例して慢性気管支炎症状が増加していることが認められる。
(5) 被告らの反論について
(イ) 被告らは、前記医学的検査を実施したのは、結局調査対象住民の7.6ないし16.6パーセントにすぎないのであるから、果して当該地域における調査対象疾患の実態を把握するにたりるかどうか疑問である旨主張するが、前記のように、調査は二段階で行なわれ、まず、四〇才以上の地域住民全員に対して質問調査をして、大気汚染の影響を観察し、さらに、右質問調査の結果にもとづいて医学的検査の対象者を選別しているのであるから、最初から、7.6ないし16.6パーセントの者に対して実施したのとは趣を異にするといわなければならない。
(ロ) 被告らは、質問調査の回答者に標本としての母集団代表性があるかどうかについて何ら検討がなされていないから、右調査の結果も砂上の楼閣にすぎない旨主張する。そして成立に争いのない乙ろ一五号証の一ないし五によれば、厳密に調査を行なうとすれば、被告主張のごとき調査検討を要することが認められる。
たしかに、本件調査において、未回答者に対する追跡調査がなされていないことは被告らの指摘するとおりであるが、前記のように本件調査においては、回答率は約七〇ないし八〇パーセントに達し、かつ、地区差を除くために標準化有症率をもとつて検討しているのであるから、その結果前記結論を導き出しても不当ではないと認められる。
(ハ) また、被告らは、質問調査の有訴症者と健康障害者とは必ずしも一致しないから、医学的検査の対象を有訴症者に限定することは、不正確である旨主張するが、前出甲一六号証の二によれば、前記のように同一方式による調査を行なつた大阪府立成人病センターにおいて、質問調査と面接調査とで、同一人でどれだけくい違いがあるかという付帯調査を行なつたところ、約九〇パーセントの合致率があつたことが認められ、右事実に、本件調査方法が前記のごとき、わが国の疫学関係の専門家を集めた企画判定委員会により策定されたものであることおよび大数調査であること等を合わせ考えると、右被告らの主張も必ずしも前認定をくつがえすにたりない。
(三) 学童検診
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
厚生省から委託を受けて、産研が昭和四〇年から四日市市内の学童の検診を実施した。昭和四〇年においては、汚染地区にある塩浜小学校、三浜小学校(汚染校という)と非汚染地区にある桜小学校、神前小学校(非汚染校という)を対象校として選び、低学年で三年生(汚染校二七五名、非汚染校九七名)、高学年では六年生(汚染校二六九名、非汚染校一一五名)について質問調査、問診、身体計測、聴打診、呼吸機能検査をしたが、呼吸機能検査としてはマッケンソンのVitalorによる時間肺活量の測定を年三回行なつたほかに、塩浜小学校(汚染校)および神前小学校(非汚染校)の各六年生につき、ボディープレチスモグラフによる気道測定をした。
右調査の結果、前病症(既往症)としては、気管支ぜんそくの前病症率が汚染校では非汚染校の二倍近いことが認められ、また問診による自覚症としては、汚染校において、眼痛、咽喉痛、はきけ、せき、たんを訴えるものが多く、その有訴症率は非汚染校のそれのいずれも約二倍以上に達している。
また、呼吸機能検査では、汚染校では非汚染校に比して時間肺活量、努力性肺活量ともかなり劣つていることが認められたが、有意の差はなかつた。
ボディープレチスモグラフによる気道抵抗の測定の結果は、汚染校のほうが気道抵抗が高く、有意の差が認められた。そして、汚染校である塩浜小学校に通学している六年生で磯津居住者と他地区居住者とを分けて集計すると、磯津通学者が他に比較して気道抵抗が高いことが認められた。
また、質問調査に併行して塩浜小学校(汚染校)と桜、神前小学校(非汚染校)について欠席率の調査を行ない、感冒、気管支炎、咽喉頭炎、扁桃腺炎などの急性呼吸器疾患によるものとそれ以外による欠席率は汚染校で0.87パーセント、非汚染校のそれは0.53パーセントで、汚染校が高率であり、急性呼吸器疾患以外による欠席率は汚染校と非汚染校の率がほぼ等しいか、むしろ非汚染校がやや高率であつた。塩浜小学校の学童で磯津から通学している六年生八四名を対象に欠席率と大気汚染との関係を調査すると、前一週間のいおう酸化物濃度の平均値(磯津に設置してある大気汚染自動測定器((導電率法))による)との間に関連性がみられ、前一週間の平均値が0.06ppm未満のときと、それ以上のときの急性呼吸器疾患による欠席率は五パーセントの危険率で有意の差があり、0.09ppmで分けると一パーセントの危険率で有意の差があつた。
浮遊ばいじんとの関係では前日の平均値との間に関係が強く、吸光度0.087で分けると一パーセントの危険率で有意の差がみられた。
(2) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
四日市市内の汚染校として塩浜中学校、非汚染校として三滝中学校を選び、昭和四〇年四月と同年六月に問診、身体計測、呼吸機能検査等を行なつた。なお二年男子については、同年七月から同四一年三月まで同様の調査を行なつた。
問診は、塩浜中学校学童七三二名(男子三六三名、女子三六九名)、三滝中学校学童三九九名(男子一九一名、女子二〇八名)につき、一定の問診表を作成して行ない、呼吸機能検査は塩浜中学校七〇一名(男子三四六名、女子三五五名)、三滝中学校二四二名(男子一二四名、女子一一八名)に対してVitalorを用いて行なつたが、その結果、汚染校では、たん、せきなどの自覚症を訴える者が多く、上気道感染によると思われる扁桃腺肥大が全国中学平均の約二倍近くあり、呼吸機能では、男子において一秒率0.5秒率の低下傾向が認められ、二年男子の年間四回の測定では、一秒率は非汚染校のそれに比し三回、危険率五パーセントで有意の差が認められた。
(3) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
産研で調査時期は必ずしも明らかではないが、前記塩浜中学校(汚染校)と松阪市殿町中学校(非汚染校)の全学年児童について、ピークフローメーターによる呼吸機能検査をした結果、汚染校学童のピークフロー値がいずれの学年でも男女共に低く、二、三年生男子で統計的に有意性が認められた。
(4) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
三重県立大学医学部小児科学教室においても、昭和三九年から一年間、前記塩浜小学校(汚染校)と桜小学校(非汚染校)の全学童につき、換気機能検査を行なつた結果、汚染校の学童に慢性的な換気能の低下が認めらられた。
なおこの差は、年令が長ずるとともに少なくなり、ことに、その傾向は女子において顕著である。
(四) 死亡率調査
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
産研は、昭和四二年から三重県公害保健医療研究協議会のメンバーとして、同協議会が厚生省から研究を委託されたテーマのうち、四日市市の死亡率についての調査をした。
右調査は、昭和三六年以降の四日市全地区の原因別死亡数および死亡率を死亡診断書にもとづいて調査したものである。
その調査の結果、汚染地区(塩浜、港、橋北、日永、浜田、共同、同和、中央、海蔵、羽津、河原田)と非汚染地区(富州原、八郷、下野、保々県、神前、桜、川島、小山田、水沢)とを対比し、年令構成を昭和四〇年の四日市市総人口に合わせて訂正死亡率は、別表37のとおりであり、閉そく性呼吸器疾患(気管支炎、気管支ぜんそく、肺気腫)による死亡率の経年変化を図示すると、別図20のとおりである。
非汚染地区は大部分が農村地帯であるためか、全死亡率において昭和四一年を除き汚染地区よりも高く、ことに中枢神経系の血管損傷においては、汚染地区をはるかに上回り、また、肺炎も汚染地区より高率である。それにもかかわらず、閉そく性呼吸器疾患による死亡率は、汚染地区では昭和三七年ころから急激に増加し、非汚染地区を上回つてきている。塩浜、港、共同の高濃度汚染地区では、右閉そく性呼吸器疾患による死亡率の上昇はいつそう顕著である。
(2) 被告らの反論について
被告らは、全死亡率において汚染地区、非汚染地区とも昭和三六年度からてい減の傾向を示し、かつ、汚染地区の全死亡率が非汚染地区のそれを下回つており、また、閉そく性呼吸器疾患のごとき慢性疾患は、発病時期と死亡時期との時間的間隔が比較的長期にわたり、かつ、症例致命率もそう高くはないから、死亡率を原因解明の尺度として用いるのは不適当である旨主張するが、仮に、右各主張事実が認められるとしても、前記認定を左右するものではなく、むしろ右被告主張事実を前提としてなおかつ前記認定事実が認められることこそ重要であるというべきである。
(五) 磯津検診
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
昭和三九年一月産研は、磯津地区にぜんそく様患者が多発している実状を把握するため、同地区における集団検診を行なつた。
まず検診に先だつて磯津地区にある中山医院における気管支ぜんそく患者のカルテを全部記録し、小児ぜんそくを除く気管支ぜんそく患者総員六六名に対して検診の通知をしたところ、通知をした六六名のうち三一名、通知をしなかつた者七名の計三八名が受診した。
右検診は、磯津公民館において二日間にわたり、問診、血液検査、呼吸機能検査、心電図検査などにより実施した。その結果、ハウスダスト、タタミオモテの皮内反応陽性者は、計五名であり、家族歴において気管支ぜんそくを有する者は六名であつて、いずれも低率であり、かつ、調査者らが予想した以上に高度の閉そく性障害がみられ、内七名が精密検査を兼ねて県費で三重県立大学医学部付属塩浜病院(以下「塩浜病院」という)に入院することになつた。なお、右検診で亡今村善助、同瀬尾宮子、原告藤田一雄、同野田之一、同中村栄吉の症状が指摘されている。
右医師カルテによる気管支ぜんそく患者(小児ぜんそくを除く)の年令階級別発生比は、別表38のとおりであり、そのうち右三一名の発病後年数は、別図21のとおりであるが、これらによれば、昭和三九年一月現在、磯津の全人口は二、八一五名であるところ、疫学的通念からすると、右人口に対するこの種患者の数は多くて四、五名程度が通常の期待値であるといわれているのに、同地区のぜんそく患者は六六名に達し、約2.3パーセントに当たり、特に五〇才以上の高令者に異常に高い発生率が認められ、発病時期は三一名中五年をこえるもの二名、不明三名を除き、二六名がコンビナート稼動開始後の発病であることが認められる。これらのことは、前記黒川調査団の疫学調査小委員会でも取り上げられ、かつ、比較的短い時期に強度の肺気道障害が発生し、心電図検査で肺性Pの出現が三〇パーセント認められたことは注目されなければならず、循環障害への症状移行を疑わしめる者が新たに発生していることは、大気汚染の影響としては末期的のものであり、憂慮にたえないと報告されている。
(2) 被告らの反論について
被告らは、前記検診は通知を出した六六名のうち、集まつた三一名についてなされたものであるから、右は無作為抽出により選ばれたものではなく、右三一名の初発分布をもつて六六名全員の初発分布とみなすことまたは類推することは、統計学上できないと主張する。
たしかに、右三一名の初発分布の調査結果をもつて、右六六名全員の初発分布であると類推することはできないと認められるが、出頭した三一名のうち不明三名を除いても、二六名という圧倒的多数の者が前記コンビナート稼動後の発病であるという事実は、同地区のぜんそく患者の多数がコンビナート稼動後の発病であることを如実に示すものと解されるのである。
(六) 公害病認定制度と認定患者の状況
(1) 公害病認定制度
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
四日市市は、昭和四〇年二月関係専門医師の協力をえて、四日市公害関係医療審査制度を発足させ、同年五月から一定の基準に基づき症状を審査して、大気汚染関係疾患にあたる者を公害病患者として認定し、この認定患者の医療救済の措置を講ずることにした。
右公害病認定の基準は、前記公害関係医療審査会の認定要領によれば、(1)塩浜地区をはじめとする一定の大気汚染地区に居住する者で、(2)同地区内にひき続き三年以上居住する者、という基本条件をそなえ、かつ、所定の医学的検査の結果、大気汚染に関係があるとみられる閉そく性呼吸器疾患としての肺気腫、ぜんそく性気管支炎、気管支ぜんそくまたは慢性気管支炎の症状およびそれらの続発症状があると認められる者である。
右公害病認定制度は、昭和四四年一二月から国の「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」による救済制度に切りかえられた。
(2) 認定患者の状況
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
右公害症認定制度により認定を受けた患者の総数は、昭和四〇年度(昭和四〇年五月から同四一年三月まで、いわゆる会計年度。以下同じ)一九四名または二〇八名、四一年度一七五名または一七九名、四二年度一三四名、四三年度九三名、四四年度一四七名、四五年度一八五名、四六年度は六月末日まで五〇名である。これらの認定患者のうち、軽快又は治ゆ、市外への転出等による取消、死亡等を差引き、各年度別に分けて磯津地区の認定患者数と対比すると、別表39のとおりであり、磯津地区の患者の占める割合が多く、当初は全体の二五パーセントに上つたが、漸次増加傾向がにぶり、昭和四六年六月末日現在14.2パーセントになつている。これは、各企業の煙突の高層化により汚染が周辺部に拡散されたことによつて、磯津地区の汚染が以前に比べて相対的に改善されたことによるとされている。
なお、認定患者を診断名別にみると、気管支ぜんそく三〇七名、ぜんそく性気管支炎一二五名、肺気腫八名で、気管支ぜんそくおよびぜんそく性気管支炎の占める割合が多く、性別では男子が若干多く、年令別では幼年層および四〇ないし五〇才以上の高令層に多いことが認められる。
磯津地区における認定患者全員(転出、軽快、死亡等を含む)一三〇名について病名別に症状の始まつた時期を認定時のカルテにより集計し、三年間の移動平均を用いて図示すると、別図7のとおりであるが、気管支ぜんそくでは昭和三七年、慢性気管支炎およびぜんそく性気管支炎では、昭和四〇年に新患発生のピークがあり、昭和四一年以降新患発生は減少している。
(七) 医療機関における患者の推移
(1) 塩浜病院内科外来新患の年次変化
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
三重県立大学医学部では、同学部付属塩浜病院内科外来新患の年次別変化を昭和三四年から同四三年まで四日市市内居住者と市外居住者とに分けて調査した。
その結果は、別表40のとおりであり、呼吸器系疾患は、各年とも全疾患の二〇パーセント程度で一定であるが、その内訳をみると、慢性気管支炎、気管支ぜんそくとも市内居住者において昭和三七年ころから増加し、昭和三四年にくらべて昭和四二年の患者は、慢性気管支炎は約五倍、気管支ぜんそくでは約2.5倍増加していることが認められた。
なお、市内の外来新患の調査では、慢性気管支炎は三八年をピークとして、以後動揺はあるが、四三年までみれば、減少の傾向がみられるのに反し、気管支ぜんそくは若干の動揺はあるものの、まだいくらか増加し続けている。
(2) 四日市医師会の統計的調査
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
四日市医師会は、前記三重県公害保健医療研究協議会のメンバーとして、厚生省から研究を委託されたテーマの一部として、同医師会各会員の診察した閉そく性呼吸器疾患の地区別、月別の統計的調査をした。
調査は、昭和四二年一月、五月、八月の各月間において四日市医師会会員の医療機関(一月は、公害対策委員所属の一五医療機関および桑名の五医療機関計二〇機関、五月は二三機関、八月は全医療機関)に来訪患者の気管支ぜんそく、慢性気管支炎、肺気腫およびぜんそく様気管支炎の四病を選び、その氏名、年令、性別、住所、勤務地の別等につき調査し、同時にその一か月間に来訪した患者および入院患者の総数を報告させた。
その結果、右四病の閉そく性呼吸器疾患の全患者に対する発生率は、塩浜地区が目だつて高率で、一月調査では5.89パーセント、五月調査では10.38パーセント、八月調査では4.58パーセントであり、そのうち塩浜地区内磯津と旧市内の曙町(汚染地区)の二医療機関がとくに発生率が高く、一月調査では各7.74パーセント、五月調査では磯津10.17パーセント、曙町は9.38パーセント、八月調査においても磯津5.85パーセント、曙4.38パーセントを占めている。
なお、そのほかに閉そく性呼吸器疾患の患者の住所別分類の結果、汚染地区住民の患者数が非汚染地区の患者数にくらべて多数であることが報告されているが、右各地区の住民数は明らかでない。
(八) 転地効果および空気清浄室の効果等
(1) 転地効果
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
四日市保健所は、公害認定患者の追跡調査の一環として、昭和四二年九月一日現在で他に転出した認定患者二四名に文書によつて調査を行ない、内二一名の回答を得た。その回答結果のおもな点は次のとおりである。
回答者は男一五名、女六名で、慢性気管支炎八名、気管支ぜんそく五名、ぜんそく性気管支炎八名である。
病状経過は良好である。すなわち、治ゆ二名(ぜんそく性気管支炎)、良くなつた者一五名で、右一五名中一一名が六か月以内に、二名は一年以内に、二名は一年六か月以内に良くなつている。悪くなつた者はない。
変らない者四名で、うち一名は、汚染地区への転出、他の一名は、転出後日が浅い者であり、したがつて、転出後変らないのは二名である。
治療中の者は六名であるが、うち五名は経過がよい。また、ぜんそく発作のある者は九名で、うち引続き状態の変らない者二名で、他の七名のうち四名は経過良好、一名は汚染地区への転出、他の二名は四日市勤務時等に発作ありとなつている。
また、<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
産研の今井正之は、塩浜病院入院中の患者三名が生駒山(奈良県)に転地療養をしたところ、内一名はぜんそく発作等が起きたため、転地の効果をたしかめるだけの期間をおかず、二日間ぐらいで転地療養を中止したが、他の二名は約一か月間の転地の結果、ぜんそく発作が軽減するなど病状が改善されたことを観察している。
(2) 空気清浄室の効果
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
塩浜病院では、昭和四〇年六月大気汚染関係の入院患者等のために空気清浄室を設置した。
右空気清浄室は、密閉した病室内の空気を大気圧よりやや高く保ち、送気孔と吸気孔を設け、モーターで病室内の空気を循環させ、外気の取込口に、活性炭フィルターを取り付けていおう酸化物やばいじんを除去し、特に、いおう酸化物の除去率は九〇パーセント以上の性能をもつ治療室設備であり、ベッド数は二四である。
産研今井正之の調査によると、右空気清浄室入室前後各五か月のぜんそく発作の状況を注射回数で示すと、入室前には発作の回数(注射処置を要した回数)は、一人一日平均1.13回であつたが、清浄室入室後は、平均0.74回に減少し、よい効果が認められた。
また、塩浜病院内科柏木秀雄は、慢性非特異性呼吸器疾患(気管支ぜんそく、慢性気管支炎、肺気腫)について、コンビナートの本格的稼動開始を昭和三五年として、昭和三四年以前から発症しているものをA群、三五年以後に大気汚染が増加してから発症したものをB群に分けて種々の臨床的研究をしたが、その一環として空気清浄室の効果を調べた。
そのうち、短期間入室の効果は、別表41のとおりであり、右B群の気管支ぜんそく、慢性気管支炎において、発作回数、肺機能の改善が顕著にみられた。
また、長期間入室の効果については、発作回数については、A群のぜんそくでは増加する一方であり、肺気腫では、入室一年間はやや減少したが、二年目以後は増加した。B群のぜんそくでは、一年間は減少したが、二年目は入室前と同じ程度で、三年目は再びやや減少した。B群の慢性気管支炎では二年目以後に著明に減少した。B群の肺気腫では一、二年間は減少したが、三年目はかえつて増加した。そして右のようにB群のぜんそくや肺気腫のぜんそく発作が二年目以後になると増加したのは、入室して短期間に軽快したものが退院し、治療軽快しないものほど長期間入室しているからであるとする。
また、肺機能検査で、両群ぜんそくでは、パーセント肺活量が増加したが、B群のものに一秒率の増加がみられ、A群のものでは不変であつた。B群の慢性気管支炎では一秒率のわずかな増加がみられたが、残気率は不要であつた。肺気腫については、両群とも全体的に悪化傾向がみられた。
以上の長期間の効果は要するに肺気腫では、両群とも著明な効果はみられなかつたが、B群の気管支ぜんそくや慢性気管支炎は、自覚症状(とくに発作回数)の改善と若干の肺機能の改善が認められた。
(3) 前記(六)・(2)認定のように、磯津地区における大気汚染の相対的改善等と対応して、同地区の閉そく性肺疾患の新患発生は減少し、公害病認定患者の四日市全体の認定患者に対する割合も低下してきている。
(九) いおう酸化物濃度とぜんそく発作との関係
(1) 三重県立大学公衆衛生学教室の調査研究
<証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
(イ) 三重県立大学医学部公衆衛生学教室は、磯津地区に昭和三七年一二月末から昭和三八年三月末までの三か月、導電率法等の大気汚染自動測定装置を設置して、いおう酸化物濃度の測定や浮遊ばいじんの測定を行ない(前記二・2のイ・(一)およびハ・(二)参照)、一方同期間における同地区の気管支ぜんそく患者一七名のぜんそくの発作日数の調査をした。
右調査は、前記公衆衛生学教室の大島秀彦が、磯津の開業医である中山医師に依頼して、右三か月の期間内に中山医院にかかつた気管支ぜんそく患者全員について、そのぜんそく発作による受診の日数を記録してもらう一方、前記のとおり導電率法等による汚染の測定を実施し、右ぜんそく発作といおう酸化物濃度および浮遊ばいじんとの関係を調査したのである。
なお、右調査の対象となつた一七名中に亡今村善助、同瀬尾宮子、原告石田かつ、同石田喜知松、同野田之一の五名が含まれている。
(ロ) 右調査の結果は次のとおりである。
発作前一時間のいおう酸化物濃度等と発作回数
前記中山医院における一七患者の発作の日時の記録と、前記三か月間の毎時間ごとのいおう酸化物および浮遊ばいじん濃度の記録とを対比して、当該発作の一時間前のいおう酸化物等の濃度を拾い出し、ある特定濃度の総時間数で対応する総発作回数を割り、単位時間当たりの発作回数を算出してヒストグラムで表わすと、別図22のとおりとなり、単位時間当たりのいおう酸化物濃度および浮遊ばいじん濃度と発作回数との関係は、いずれも汚染が高いほど発作回数が増加する傾向が認められ、特に、いおう酸化物濃度が0.3ppmをこえると、この傾向は顕著である。
三時間、または九時間平均等のいおう酸化物濃度と発作回数
前記期間におけるいおう酸化物濃度につき、発作前三時間の平均値および最大濃度並びに発作前九時間の平均値および最大濃度と、単位時間当たりの発作回数との関係を前同様ヒストグラムにして表わすと、別図23のとおりである。
一週間の平均いおう酸化物濃度と発作回数
右調査開始後の各週を一単位として、その一週間の平均いおう酸化物濃度と、その一週間における発作回数との関係を調べ、これを図示すると、別図9のとおりであるが、右相関図によれば、ぜんそく発作回数と一週間のいおう酸化物濃度との間には、相関係数0.88という高い相関関係がある。
発作前五時間の最大濃度と発作
前記患者一七名中、前記三か月間に発作が二回以上あつた者一〇名について、各人ごとにその発作が起こつたときの前五時間におけるいおう酸化物の最大濃度を示すと、別図24のとおりである。同図左側のF1ないしF10は患者を示すが、F1は亡今村善助、F2は原告石田かつ、F6は亡瀬尾宮子、F7は原告喜知松である。
(2) 他の機関による同様の研究例
(イ) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
国立予研の石崎達外二名は、東京共済病院で治療中の対象患者一五名について、昭和四四年一一月から同四五年二月までの約三か月間、大気汚染自動測定記録計による毎時間ごとの亜硫酸ガス濃度および浮遊ばいじんの記録と患者のぜんそく日誌とに基づいて、大気汚染とぜんそく発作との関係について調べたが、その結果、亜硫酸ガスの高度汚染(0.20ppm以上)はぜんそく発作誘発に影響を与える。特にそれが浮遊ばいじんの高度汚染(吸光度五〇パーセント以上)と合併すると、影響は大きくなり、双方が低濃度(亜硫酸ガス0.10ppm以下、浮遊ばいじん三〇パーセント以下)の日を対照にして発作発生率をみると、明らかに増加していたとの結論を得ている。
(ロ) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
名古屋大学医学部の水野宏らが四日市における公害病認定患者について、特に、磯津地区の患者の日誌の昭和四一年一二月分と当時の環境諸要因の資料に基づいて、呼吸困難症状の発現と環境要因との関係について調査したところによれば、呼吸困難度と、もつとも相関の高いのは一日の温度差で、これに次いで悪臭との相関が認められたが、亜硫酸ガス濃度との相関については、さらに時間ごとの濃度との関係等、きめのこまかい調査をする必要があることを留保しながら、一日の最高値との間に相関関係は認められなかつた。
(3) 被告らの反論について
(イ) 被告らは、発作回数を中山医院へかけつけた回数ではかるのは不正確である旨主張するが、右医院にかけつけた回数が発作回数とは直ちにいえないとしても、それは発作回数をはかる一つの尺度たりうるものというべきである。
また、被告らは、一週間以外の時間単位のいおう酸化物濃度と発作回数の相関関係の検討がなされていない旨主張するが、証人大島秀彦の証言によれば、右時間単位のいおう酸化物濃度は、正規分布をなさないので相関関係数を求めても無意味であることが認められるので、右非難は当らないというべきである。
(ロ) 被告らは、一週間平均のいおう酸化物濃度と、当該一週間内の発作回数との相関関係をみることは、発作が一週間の初めに起こつたか、後に起こつたかにより、当該一週間の平均濃度の影響が考えられたり、考えられなかつたりして両者の関係は不明確といわざるを得ないと主張する。
しかし、右発作が高濃度のいおう酸化物により、比較的短時間内に誘発されるものとすれば、多数的に観察すると、結局当該一週間内の平均濃度と発作回数との間には密接な対応関係が存すると解されるところ、前記のように、発作前一時間、三時間、九時間のいおう酸化物濃度と発作回数との間に濃度が高いほど発作回数が増加する傾向がみられるので、比較的短時間内に発作が誘発されることが窺われ、右被告らの反論も必ずしも当たらない。
(4) 前記のごとく、いおう酸化物濃度とぜんそく発作との相関関係については肯定・否定の研究結果がみられる。右はぜんそく発作の病理機序とも関係し、右機序が必ずしも細部まで明らかでないこと後に説示するとおりであることよりして当然ともいえるが、少なくとも、磯津地区において前記のごとき積極極的統計結果が出されていることは、これを見のがすことはできないといわねばなるまい。
ハ 低濃度いおう酸化物の人体影響の機序(メカニズム)について
(一) 低濃度いおう酸化物の影響
(1) <証拠>によれば、次のとおり認められる。
前記のように、四日市における大気汚染と閉そく性肺疾患との関係について疫学的調査研究をした吉田克己は、低濃度いおう酸化物の人体影響、特に、慢性気管支炎の発病のメカニズムについて次のように説明する。
亜硫酸ガスは、化学的には強い酸化力や還元力があり、細胞に対する侵食性がある。
特に、その酸化生成物である硫酸ミストは侵食性が強い。そして、その濃度いかんにより、表われてくる影響力のパターンは異なるが、化学的特性自体は高濃度でも低濃度においても基本的には変わらない。
右のような亜硫酸ガス等いおう酸化物の吸入によつて、まず第一に気管支の粘膜上皮質が侵食され、浮腫、うつ血、壊死等の炎症性変化がもたらされる。そして、これらの粘膜上皮質、特に、せん毛細胞の浸潤は気管支の中に送り込まれてくる細菌やビールス等の異物の排除機能を低下させ、細菌感染の機会を増大させる。このようにして肺内に細菌等が常時残るということから慢性気管支炎が成立する。
さらに、この種の気道性疾患が成立した人達がそのまま汚染物の吸入を続けるときは、年令による肺弾性の低下と相まつて肺気腫への移行がかなり早期にくる。
(2) <証拠>によれば、次のとおり認められる。
前記柏木秀雄は塩浜病院内科において公害病認定患者の主治医として原告らの診療にあたり、かつ、臨床医の立場から四日市における昭和三五年以後に発病した慢性非特異性呼吸器疾患(慢性気管支炎、気管支ぜんそく、肺気腫を一括した名称)の患者の特徴を臨床的に研究したのであるが、いおう酸化物が気管支ぜんそくを発症させるメカニズムとして、次のように説明する。
四日市市の特定の地区でみられるような高濃度の亜硫酸ガスが、一日のうちに数時間とか一か月のうちに数日間持続すると、個体差があるにせよ一部の者に過敏性気管支を基礎として気管支ぜんそくが起こつてくる可能性がある。
もう一つの考え方としては、硫酸ミストを主とする粒子は気管支に付着すると、これが一種の作用を起こし、気管支粘膜の破壊が起こり抗原性をもつようになり、個体は感作される。再度亜硫酸ガスを吸入すれば、Boosterのように二次反応を起こし、抗体は増加し、気管支で抗原抗体反応が起こつてChemical mediatorを遊離して気管支けいれんを起こし、ぜんそく発作となつて発症する可能性が考えられる。(ここにAdjuvantとは、抗体の産生能力を高める物質であり、亜硫酸ガスや硫酸ミストが一種の抗体産生を促進する作用を有するというのであり、Boosterというのは、抗体産生能力をたかめるための補強的な注射、この場合は抗体の産生能を高めるということであり、Ohemical mediatorは化学伝達物質と訳されている)。
これらは、論者が自らいうように一つの免疫学的な仮説であると解されるが、右のような生物学的な説明が可能であること自体前記疫学の第四原則を充足するものと解される。
なお、成立に争いのない甲八五号証の一、二によれば、三重県立大学医学部公衆衛生学教室の北畠正義らは、後記のように、モルモットを用いていおう酸化物のぜんそくに及ぼす影響について実験し、いおう酸化物が気道感作を促進する可能性を認めたが、その理由として、いおう酸化物の吸入によつて気道障害を与えると、おそらく抗原の透過性の亢進があつて抗体産生が高まり、気道感作が高まるものと考えられるとしている。
(二) ばいじん等他物質との相乗効果
(1) 前出甲四〇号証および証人吉田克己(第一回)の証言によれば、次のとおり認められる。
吉田克己によれば、亜硫酸ガスは、ばいじん等他物質と共存することによつて、より影響を強めるとされ、そのメカニズムを次のように説明する。
① ばいじん等の微粒子が共存すると、亜硫酸ガスがこれに吸着され、より気管内深く運び込まれる可能性がある。
② 亜硫酸ガスのばいじん粒子への表面吸着によつて純粋な亜硫酸ガスの場合よりも、局所的により高い濃度になつて気管支壁に作用する。
③ 微粒子表面への吸着によつて、亜硫酸ガスの無水硫酸への酸化促進によつて作用を高める場合もありうる。
(2) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
慶応義塾大学の外山敏夫は、気道の抵抗の増加について、それ自体は不活性なサブミクロン粒径の食塩のエーロゾルを低濃度亜硫酸ガスと混合吸入させることによつて、相乗効果のあることを実験的に観察したが、その理由として次のとおり説明する。
① 亜硫酸ガスがサブミクロン粒径の食塩のエーロゾルと混合すると、食塩結晶の表面に亜硫酸ガスが吸着または収着して肺の深部により多くの亜硫酸ガスを運ぶため、深部における生体のDose-response(量反応)関係が linear(直線的)に上昇する。
② 亜硫酸ガスが微粒子の食塩のために化学変化を受けて生体に対して、より活性な物質として作用することが可能である(しかし、これは、なお今後の研究を要する)。
(三) 硫酸ミストの影響力
(1) <証拠>によれば、次のとおり認められる。
大気中の硫酸ミストは、亜硫酸ガスにくらべて人体への影響力がずつと大きく、労働衛生学上の許容度で亜硫酸ガスの二〇倍と評価されている。
その理由としては、硫酸ミストがガス体ではなくエーロゾルであるため、肺の細気管支領域に対する沈着性が大きくなり、気道防禦機構への侵食が増大するということからも説明されている。
(2) なお、右<証拠>によれば、硫酸ミストと亜硫酸ガスの影響力の比較において、動物の吸入性致死量で、前者が後者の一〇五倍、気道抵抗の増大で三七ないし一一〇倍と評価された例が認められるが、右<証拠>によれば、右硫酸ミストの影響力はミストの粒径に左右され、ほとんど影響を認めなかつた実験例も存在することが認められるので、右影響力の差を一概に比定することは困難である。
(四) 既有症者への影響
<証拠>によれば、次のとおり認められる。
前記吉田克己は、亜硫酸ガスなどいおう酸化物の人体影響は、すでに閉そく性肺疾患に罹患している既有症者に対してより強い影響を及ぼす。すなわち、亜硫酸ガス等に対する長期暴露によつて、一定の気道性疾患をもつにいたつた人達および他の原因で右のような疾患をもつにいたつた人達が、いおう酸化物に対し、とくに、高い感受性を示すことは、内外のいくつかの報告によつて知られていることであるが、このように、汚染によつて増大した気道性疾患者が、健康者よりも汚染によつてより強い影響を受けるということは、明らかに一つの悪循環であると説明する。
ニ 動物実験
(一) 亜硫酸ガス等の影響を認めた実験例
(1) 産研大島秀彦らの動物実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(イ) 大島らは、dd系マウスを用いて亜硫酸ガス低濃度慢性暴露による動物実験をした。
方法は、マウスを吸入群二〇匹と対照群とに分け、吸入群を一〇匹ずつ0.05ppm、0.15ppmの亜硫酸ガスに各約三か月間暴露して連続吸入させ、対照群と比較検討した。
実験のおもな結果は、次のとおりである。
0.05ppm吸入群の体重は、対照群と変わりないが、0.15ppm吸入群では体重増加が抑制され、四匹(うち一匹は事故死)が死亡した。
0.15ppm吸入群は死亡の二匹と生存三匹の肺臓に暗赤色の変化が認められた。
組織的には、0.05ppm吸入群では著変は認められないが、好中球の浸潤が対照群に比して強く認められ、0.15ppm吸入群では著明な肺うつ血、出血ならびに血管壁および気管支壁の筋層の肥厚が認められた。
また、死亡例では多発性の膿瘍形成が顕著に認められた。
(ロ) また、大島らは、ラットを使用し、低濃度亜硫酸ガスの慢性中毒実験をした。
方法は、ラットを五匹ずつ対照群と吸入群とに分け、吸入群に平均0.4ppm(0.38ないし0.45ppm)の亜硫酸ガスを三か月間連続吸入させた。
その結果は、体重変化は吸入群と対照群とで著名な差は認められないが、吸入群で肺に暗赤色の変化がある程度認められ、組織学的には、吸入群の肺臓にうつ血ならびに間質のびまん性炎症性細胞の浸潤が認められ、脾臓、肝臓、腎臓および心臓にうつ血がみられた。
(2) 産研今井正之らの磯津飼育実験
<証拠>ならびに昭和四五年六月二七日施行の検証の結果によれば、次の事実が認められる。
産研の今井正之らは、昭和四三年九月から四日市市磯津北町無番地で一五匹のラットを飼育し、対照として津市島居町の三重県立大学医学部構内に一〇匹のラットを飼育して、各六か月ごとに三分の一ずつと殺して解剖する予定であつたが、磯津飼育群では、その途中二匹が死亡した。
実験の結果、六か月間の体重の変化については、磯津飼育群と対照群との間にほとんど差はなかつたが、組織学的所見として磯津飼育群については、程度の差はあるものの、そのほとんど全部について肺臓のうつ血、気管支周囲に好中球、リンパ球の浸潤ならびに気腫状の変化が認められ、肺臓以外の組織では、心臓、肝臓、脾臓および腎臓にうつ血がみられた。
右今井らは、右実験の結果磯津における六か月の飼育によつてラットに気管支炎兼肺気腫がおこるということができるとしている。
(3) 大阪市衛研村山ヒサ子らの動物実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(イ) 右村山らは、幼若白鼠一二匹を各一群として亜硫酸ガス濃度0.5ppm(実測値0.47ないし0.52)吸入群、0.1ppm(0.09ないし0.12)吸入群および対照群とし、右吸入群については一日二四時間暴露して一四日ないし五六日間継続した。
その結果、吸入群において、病理組織学的変化は、気管では粘膜上皮細胞の脱落、粘膜下組織の浮腫、粘液分泌の昂進、粘液中への白血球細胞の滲出、肺では肺細胞の拡張、肺胞壁の肥厚、好酸球細胞の出現等の慢性気管支炎様の病理組織学的所見を得、これらの所見は0.5ppm吸入群において0.1ppm群より著明であつた。
(ロ) 右村山らは、ラットを使用し、四匹を亜硫酸ガス濃度五ppm(実測平均3.93ないし4.95)に一日七ないし九時間暴露して二日間継続し、他に一二匹を各一群として0.5ppm(実測平均0.53)吸入群、0.1ppm(0.1ppm)吸入群および対照群とし右吸入群については一日二三時間暴露して一七ないし三三日間継続した。
その結果、右五ppmの急性暴露群において、気管では粘膜上皮細胞の剥離の増加、粘膜下組織の増殖、肺組織では著るしいうつ血、閉そく性気管支、肺胞腔の拡張が著るしく認められ、0.5、0.1ppmの慢性暴露群では(イ)と同様の慢性気管支炎様の炎症性症状を再確認した。
(4) 京都府立医大陳震東らの野外暴露実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
右陳震東らは、野外暴露チェンバーを大阪府公害監視センターの中庭に設置して、昭和四五年七月一八日から四六年一月二七日まで約六か月間マウスを飼育し、これを浄化装置活性炭層を通した空気で飼育した対照群マウスと比較した。
右期間中のいおう酸化物濃度は、一時間平均値0.054ppm、一日平均0.05ppm以下が六二パーセント、一時間値0.1ppm以下が九二パーセントであつた。
右飼育実験の結果、暴露群では、気管、気管支、肺胞壁等に高度のじんあい沈着がみられ、軽度の気管支炎、リンパ装置の肥大のほかに肺胞の拡張を著明に認めた。
(5) 三重県立大学公衆衛生学教室北畠正義らのぜんそく実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
右北畠らは、いおう酸化物が気道感作を促進する可能性について、モルモットを使用して実験をした。
その方法は、ハートレー系モルモット一五匹を五匹ずつ次の暴露条件の三群に分けた。
すなわち、①亜硫酸ガス(平均二三二ppm)+硫酸ミスト(平均1.9mg/cm3)+アルブミン(たんぱく質の一種)。②硫酸ミスト(平均1.6mg/cm3)+アルブミン。そして右物質をそれぞれ三〇分間吸入させ、その直後アルブミン液をネブライザーを通して三〇分間噴霧吸入させ、これを週二回反覆した。
右アルブミン吸入中に強いアナフィラキシー・ショック(抗原性を有する物質で動物を処理すると一定の潜伏期を経てから感作に用いた物質に対して注射前とは違つて特異的に過敏に反応する性質を獲得するにいたる。この、はじめとは変つた過敏な生体の反応状態をアナフィラキシーという)を受けたモルモットは、①群では第五回から第七回まで三匹、第八回目に一匹、②群では第四回から第一〇回まで一匹、③群では第四回目に一匹となつており、①群では発作惹起の割合が最も高く、また、②群の一例は長期間暴露ごとに発作を起こした。
北畠らは、右実験の結果、亜硫酸と硫酸ミストまたは、硫酸ミストの吸入によつて気道障害を与えると、おそらく抗原の透過性の亢進があつて抗体産性が高まり、気道感作が高まると考えられるとしている。
また、亜硫酸ガス+カーボン微粒子(ベンゼン燃焼による)あるいは亜硫酸ガスにあらかじめ四回暴露して気道障害を与え、ひき続き亜硫酸ガス(平均八九ppm)暴露とアルブミンによる感作を行なつたところ、両群ともに四回目の吸入により、ほぼ同率でアナフイラキシー・ショックを惹起し、アルブミン単独吸入群に比し右暴露群において実験発作が惹起され易い傾向を認めた。
(6) 国立公衆衛生院の松村行雄らの亜硫酸ガスの気道感作に及ぼす影響に関する実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
右松村らは、ラット、モルモットおよび家兎の三種を用いて、亜硫酸ガスが気道感作に及ぼす影響を検討するための実験をした。
その方法は、各動物ごとに亜硫酸ガス暴露群および対照群の二群に分け、暴露群に濃度三〇〇ないし四〇〇ppmの亜硫酸ガスを三〇分間暴露した。そして直ちに暴露群対照群をいつしよにして、抗原として卵白アルブミンまたは牛血清アルブミンの水溶液をエアロゾルの形にして吸入させた。
以上の方法を週三回、計七回くり返し、最後の暴露――吸入から二ないし四週間後に採血して血清の抗体価を感作血球凝集反応および受動性皮膚アナフィラキシー法により比較した。
その結果、ラット、モルモットおよび家兎のいずれにおいても、亜硫酸ガス暴露群は対照群に比べて血清抗体価が高く、強く感作されており、抗原吸入直前の亜硫酸ガスが気道からの感作を受けやすくすることを示していることが認められた。
(7) ロバート・フランクらの人体の亜硫酸ガス暴露実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
フランクらは、教授・研究者およびその周囲の人達など健康におおむね異常のない人達に食道カテーテルにより亜硫酸ガスを吸入させ、ボディープレチスモグラフにより、気道抵抗を測定した。亜硫酸ガス濃度は平均一ppm、五ppm、一三ppmに変えて行なわれた。
気道抵抗は、暴露開始後一分間、比較的大幅に上昇し、さらに五分間上昇し続けて一定状態に達し、一〇分後には通常さらに上昇することはなかつた。
はつきりした量と効果の関係が認められ、一ppmでは一人だけ有意の変化がみられ、五ppmでは約四〇パーセント、一三ppmでは七二パーセントの気道抵抗の平均値の上昇が認められた。
なお、小児期に気管支ぜんそくの既往症を有した者は、気道抵抗の対照値も高く、亜硫酸ガスに対する反応もより高かつた。
(8) ロバート・E・スネルらの亜硫酸ガスの健康人の呼出流量等に対する影響の研究
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
スネルらは、濃度一ppmの亜硫酸ガスを一五分間口から吸入した後、流量の小さいが有意な減少を観察し、右濃度が五ppmに増加されたとき、流量はさらに減少したことを認めた。
エーロゾルとの共働作用については、粒径の大多数が六ないし八ミクロンの食塩水のエーロゾルを付加しても亜硫酸ガスの影響は助長されなかつたが、蒸溜水のエーロゾル(音波生成による微粒子)は、亜硫酸ガスと結合したときその影響を助長し、亜硫酸ガスが0.5ppm程度のときでも流量の有意の減少をきたしたことを認めた。そして、エーロゾルの亜硫酸ガスの影響を助長する能力のちがいは、粒子の大きさのちがいによるところが多いとしている。
(9) 被告らの前記(1)、(2)の実験に対する反論について
(イ) 前記(1)の実験について
被告らは、実験動物の選定において事前検疫および実験着手前一定の管理期間をおいておらず、実験動物の数も少ないと主張し、<証拠>によれば、市販のマウスにおいて検疫中慢性肺炎と思われる肺病変が多く認められた実例があり、ラットについても呼吸器疾患としてPPLOが関与し、常任菌的存在を示しているといわれ、実験着手前一定の管理期間をおいて不良実験動物の摘発除去を行なう必要があるといわれていることが認められる。
しかし、前認定のように、対照群をもうけて同時に観察しているのであるから、右被告ら主張立証も、必ずしも前認定の実験の結果をくつがえすにたらないというべく、数量の点についても同様に解される。
また、被告らはテフロンチューブ拡散法による亜硫酸ガス濃度の正確度の検定が十分でないと主張するが、証人大島秀彦の証言によれば、右テフロンチューブ拡散法については、本件動物実験の前に実験的にその正確度を検定して確認していることが認められるので右主張は理由がない。
(ロ) 前記(2)の実験について
被告らは、前記事前検疫の行なわれていないこと等のほかに、実験の方法において、磯津飼育群と対照群とは大気汚染以外の環境条件でも異なり、磯津の飼育場所は、風の吹きさらしと直射日光を受け、温度や湿度の調節装置がなく、かつ、実験場所が道路に近く自動車の騒音等の影響をも受けやすいと主張するので検討する。
<証拠>によれば、ラットの飼育については直射日光をさけるよう注意し、通風換気は直接あたらないようにすること、温度は約二四度、湿度は約五五パーセントで年間一定であることが望ましいとされていることが認められるところ、<証拠>および昭和四五年六月二七日施行の検証の結果によれば、磯津の飼育小屋と対照群の飼育小屋とでは日光、通風等の環境条件において必ずしも同一ではなく、磯津の飼育小屋ではより直射日光を受け、また、直接風にあたることが多く、かつ、風あたりも強いことならびに温度や湿度の調節装置のないことが窺われるのであつて、これらの事実によれば、前記磯津飼育ラットの病理的変化については、右被告ら主張の環境条件の影響を否定しえず、右被告ら主張は理由があると認められる。
(二) 亜硫酸ガス等の影響を認めなかつた実験例
(1) ヘイズルトン研究所の実験
(イ) カニクイザルの亜硫酸ガスに対する慢性暴露実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。ヘイズトン研究所(アメリカ)において、一九六九年若いカニクイザルを用いて亜硫酸ガスに対する暴露実験をした。
方法は、カニクイザル四五匹を九匹ずつ五群に分け、一群を対照群とし、四群を濃度0.1ppm(一八か月平均0.14±0.05ppm)、0.5ppm(同0.64±0.25ppm)、1.0ppm(同1.28±0.42ppm)、5.0ppm(同4.69±0.34ppm)の亜硫酸ガスに一日二四時間一週七日七八週間連続暴露した。
そのうち、5.0ppm暴露群については、実験開始から三〇週間後に、一時間余の間濃度が二〇〇ないし一、〇〇〇ppmに達するという事故が起きたため、その後の暴露を止め、残り四八週間を通常の部屋の空気に暴露した。
実験の結果、体重測定、成長および生存の状態から亜硫酸ガスの悪影響はみられなかつた。
右5.0ppm暴露群については、組織病理学的検査において顕微鏡的変化がみられ、また、吸気中の全呼吸気流抵抗および呼気中の全呼吸気流抵抗ともに大きな変動を示したが、これが右過暴露によるものか、五ppmの亜硫酸ガス三〇週間の影響によるものか、または両者によるか不明である。
その他の暴露群については、吸気時の全呼吸気流抵抗の減少がみられたが、その値は正常範囲内で亜硫酸ガスの有害な影響によるものとは認め難く、その他の呼吸能力検査、血液検査および組織病理学的検査において亜硫酸ガスの影響による変化はみられなかつた。
(ロ) モルモットの亜硫酸ガス長期暴露実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
一、九七〇年ヘイズルトン研究所のY・アラリーらは、モルモット四八〇匹を一二〇匹ずつ四群に分け、一群を対照群とし、他の三群を0.1ppm(一二か月平均0.13±0.029ppm)、1.0ppm(同1.01±0.14ppm)、5.0ppm(同5.72±1.23ppm)の亜硫酸ガスに一日約二二時間一週七日五二週間連続暴露した。その結果、各暴露群について、体重、成長および生存に有害な影響を認めず、肺機能検査、血液学および臨床生化学的検査ならびに組織病理学的検査において、亜硫酸ガスによる有害な変化はみられなかつた。
(2) マリオ・C・バティゲリらのラットを用いた実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
バティゲリらは、一、九六八年ラットを用いて亜硫酸ガスとグラファイト・ダストの長期暴露実験をした。
すなわち、スプラーグ・ドーリイ・ラット一九八匹を三群に分け、一〇〇匹の一群を対照群とし、七〇匹の一群を亜硫酸ガス一ppmとグラファイト・ダスト1mg/m3とに一日一二時間、一週間七日、四か月間連続暴露し、他の二八匹群を右と同じスケジュールでダスト1mg/m3に暴露した。
その結果、右三群の間の体重曲線および組織学的検査等において意味のある相違はみられなかつた。
(3) 国立公衆衛生院の松村行雄らのモルモットのぜんそく実験
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
右松村らは、モルモットがアセチルコリンの吸入に際しても、抗原抗体反応による場合と同様の閉そく性呼吸困難症状を呈するので、アセチルコリンに対する気道の感受性に対して種々の濃度の二酸化ちつそ(No2)、オゾン(O2)および亜硫酸ガスが、いかなる影響を及ぼすかを実験した。
その方法は、モルモットをガス暴露群と対照群とに分け、暴露群を三〇分ないし四五分間右いずれかのガスに暴露し、三〇分ないし四五分後に対照群の動物といつしよにして、対照群の動物が死亡しない程度の濃度のアセチルコリン溶液をネブライザーでエーロゾルとして吸入させる。
実験の結果、アセチルコリン吸入によりすべての動物は、抗原抗体反応の場合と同様の閉そく性呼吸困難症状を起こしたが、O3およびNO2暴露群では対照群に比べて症状が早く、かつ、強く現われ、死亡するものが多かつた。このような影響のみられるガス濃度の限界は、O3が約二ppm、NO2が約四〇ppmである。
亜硫酸ガスは濃度を六〇〇ppmにまで上げても、また、ガス暴露からアセチルコリン吸入までの時間を一〇分間にまで短縮しても、全く影響がなかつた。
(三) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
生活環境審議会公害部会環境基準専門委員会は、その報告書(昭和四三年一月作成)を作成するにあたり、亜硫酸ガスの人体影響に関する内外の資料を収集整理して、これを報告書の別冊として添付したが、右添付資料には、低濃度亜硫酸ガスの動物実験において生体に影響を与えた実験例と、影響を認めなかつた実験例とが登載され、また、被告ら主張のように一〇ないし二五ppmの濃度の亜硫酸ガスによる動物実験によつても、影響を認めなかつた実験例も数例登載されている。
ホ いおう酸化物の環境基準等行政規制について
前記のように、わが国では、生活環境審議会公害部会の環境基準専門委員会が、亜硫酸ガスの人体影響について、内外の調査研究の資料を収集整理したうえ、人の健康を維持するための亜硫酸ガスの閾濃度を答申し、これをうけて、昭和四四年二月一日、公害対策基本法九条による環境基準の閣議決定がなされた(前記二・2・イ・(三))。
また、<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
アメリカ(政府および州)、ソ連、西ドイツ、スエーデンなどにおいて、いおう酸化物の基準額が定められている。
右基準額は、各国においてその考え方が異なり、また規制の仕方も一様ではないが、これら範囲において、大気汚染レベルの濃度のいおう酸化物の人間の健康に対する影響が問題にされ、公式見解として、規制すべきものと考えられているということができる。
ヘ 結論
(一) 本件疫学調査や動物実験に対する被告らの反論に一部正当と認められる点のあることは、各所に説示したとおりである。
しかし、以上の数多くの疫学調査の結果や人体影響の機序の研究によれば、四日市市、とくに、磯津地区において、昭和三六年ころから閉そく性肺疾患の患者が激増したことは紛れもない事実であり、その原因として、いおう酸化物を主とした大気汚染が、前記疫学四原則にも合致していると認められ、右事実および前記動物実験の結果や、いおう酸化物規制の現状ならびに証人吉田克己(第一回)、同大島秀彦、同今井正之、同柏木秀雄の各証言を総合すれば、右磯津地区における右疾患の激増は、いおう酸化物を主にして、これとばいじんなどとの共存による相乗効果をもつ大気汚染であると認められる。
前記のように、動物実験については、結果が分かれているのであるが、動物実験の結果は、分析疫学的方法によつて得られた仮説の確実性の程度等と総合的に判断さるべきものと考えられるべく、本件の場合には、右動物実験によつて低濃度亜硫酸ガスの生体に対する影響の肯定例が認められ、右生体への影響の可能性が実験的に証明された点に意義があるものと解する。
また、前記のように、昭和三六年ころから閉そく性肺疾患の激増がみられることは、動かし難い事実であるが、大気汚染以外に右現象を説明しうるより良い仮説が存在しないことも、前記結論を裏書きするものといえよう。
(二) 次に右結論部分に対する被告らの反論について検討する。
(1) ばいじん説
被告らは、イギリスのP・J・ローザーのロンドン事件の分析の結果等に基づくばいじん説、および東京工業大学の清浦雷作の同様の説を引用して、亜硫酸ガス有害説は理由がない旨主張し、<証拠>によれば、右主張にそうごとき所説が述べられていることが認められる。
しかし、<証拠>によれば、ローザーがそこで述べているのは、主として急性の影響についてであつて、慢性の影響についてまで言及したものであるかどうかは、必ずしも明らかでない。
のみならず、たしかに前認定のようにばいじんは、人体に対する影響においていおう酸化物と相加ないしは相乗効果をもたらし、特に、粒径のいかんによつてその効果が強められることは前出甲八二号証によつてもうかがわれるところであり、その限りでは正当であるが、ばいじんの有害性の故をもつて、いおう酸化物の有害性を一般的に否定し、これを本件磯津における原因にまであてはめようとする見解には、にわかに従がい難い。
けだし、大気汚染の実情は、時代と場所とにより異なるのであるから、一、九五二年のロンドン事件(それはスモッグ時に石炭を主とする家庭暖房等に問題があつたとされているようである)の結論を四日市市の汚染に直ちに当てはめることはできないと解されるからである。
前認定のように、磯津地区においては、いおう酸化物の濃度が高いのに比し、前出甲三一号証の九、甲四七号証によれば、降下ばいじんは全国的にみて多くはないことが認められ、かつ、いおう酸化物中影響力の強い硫酸ミストの占める割合が高く、かつ、ピーク状の汚染を示すことおよびいおう酸化物濃度と累積罹患率とが高い相関関係を示すこと等を合わせ考えると、右ばいじん説も前記結論をくつがえすにたりないというべきである。
(2) バティゲリ論文およびネーゲルボン論文について
<証拠>によれば、M・C・バティゲリおよびW・O・ネーゲルボンは、被告ら主張のように、他の学者らの大気汚染事件の分析結果や動物実験の結果を引用するなどして、亜硫酸ガスの人体影響についての否定的見解を示し、また、一、九六七年に米合衆国厚生・教育・福祉省が発表したいおう酸化物についての大気の性状基準(AIR. QUALITY. CRITERIA FOR. SULFUR OXIDES以下「クライテリヤ」という)に対し、批判的見解を述べていることが認められる。
しかし、右各論文については、次の理由でその信用性に問題があり、前記結論を左右するにたりない。
(イ) 同人らの右分析結果の引用や動物実験結果の引用等が原告ら主張のように、作為に満ちたものであるか否かは暫く措くとして、それらが公平にして網羅的、かつ、正確に行なわれたか否かについては、右引用が部分的、かつ、断片的であるため、必ずしも判然としない。
特に、右の点を問題にせざるをえないのは、右乙い号各証によつても同論文がその作成に当たつて、米国石油協会から経済的援助を受け、あるいは、米国石炭協会等の尽力によつて刊行されたものであることが認められるからである。
(ロ) <証拠>によれば、前記各論文にもかかわらず、一、九六九年のクライテリヤにおいて、粒子状物質との相互関係においてであるが、いおう酸化物の基準を維持し、また、一、九七一年環境保護長官が公布した最終的な政府環境基準において、いおう酸化物について第一次基準として、①年間算術平均値0.03ppm、②年間で一回以上越えてはならない二四時間値の最大値として0.14ppm、第二次基準として①年間算術平均0.02ppm、②年間で一回以上越えてはならない二四時間値の最大値として0.1ppmと定めるなど、いおう酸化物に対する規制を厳しく維持していることが認められ、前記各論文が右環境基準等にさほど影響を及ぼし得なかつたことがうかがわれるのである。
(3) 一、九六九年クライテリヤについて
<証拠>によれば、アメリカの一、九六九年のクライテリヤ中において、被告ら主張のように、亜硫酸ガスの動物実験は大気汚染よりも高濃度の実験例が普通であるため、大気汚染物質のための基準という点では関連性がない、また、疫学的事例においても、亜硫酸ガス単独の影響に関する疫学的研究はないと述べられていることが認められるが、<証拠>によれば、右クライテリヤの他の記載部分および結論の部分において、亜硫酸ガスの影響を粒子状物質との共存関係においてこれを肯定していることが認められるのであつて、前記結論を左右するにたりない。
2四日市市の大気汚染による慢性非特異性呼吸器疾患の臨床的特徴
(一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
三重県立大学医学部の柏木秀雄は、同大学医学部付属塩浜病院内科の慢性非特異性呼吸器疾患(慢性気管支炎、気管支ぜんそく、肺気腫)患者一二六名について、昭和三四年(コンビナートの本格的稼動開始前)以前から発症している者二九人をA群、昭和三五年以後に発症した者をB群とし、両群について臨床的特徴を研究した。
その結果の主なものは次のとおりである。
右A群では気管支ぜんそくと肺気腫が多く、慢性気管支炎が少なかつた。B群は気管支ぜんそくが圧倒的に多く、ついで慢性気管支炎が多く、肺気腫は少なかつた。大気汚染によつたと考えられるものでは圧倒的にぜんそく型が多い。
B群の気管支ぜんそくやこれを加味した肺気腫は、発作時に好酸球増加、血漿ヒスタミンの増加、血清コリンエステラーゼの低下がみられることから、一種のアレルギー性ぜんそくの臨床像を呈するが、ぜんそく家系やアレルギー皮内反応の陽性者は少なく、感染因子もきわめて少ないことが特徴的である。
これに反し、A群の気管支ぜんそくは、アトピー性因子(ぜんそく家系+アレルゲン皮内反応陽性)が比較的多い。
B群の慢性気管支炎は、喀痰はあまり多くなく、なかには気管支ぜんそく加味の者がみられた。肺機能はおおむね良好であり、好酸球増加や血漿ヒスタミンの増加をみるものはあまり多くなく、気管支ぜんそくの場合と同様、アトピー性因子はみなかつた。
肺気腫は、両群とも慢性気管支炎加味のものは少なく、気管支ぜんそく加味のものが多かつた。
B群のものは、空気清浄室へ入室させた効果はおおむね良好であつたが、A群のものは、この効果はほとんど認められなかつた。
(二) 柏木の研究による特徴の概要は右のごとくであるが、右研究の結果からもうかがわれるように、いわゆる四日市ぜんそくと呼ばれる特異の病型があるというよりは、従来の病気の範ちゆうの中で前記のような特徴や、傾向がみられるというように理解されるのである。そして右特徴のうち四日市において従来から存する慢性非特異性呼吸器疾患のうち気管支ぜんそくなどぜんそく性発作を伴う疾患が多いことは前記疫学調査の結果により認められるところであるところ、右原因については必ずしも明白とはいい難いが、右柏木によれば、東京、川崎、大阪などのようにいおう酸化物のみならず、その他に種々のガスや浮遊ばいじんなど汚染物質の種類が多いと感染の機会が多くなり、慢性気管支炎となるが、四日市のように汚染物質が比較的単純で、しかも、汚染物質がAllergenic inhalantと考えられているいおう酸化物が大部分なのでぜんそく型が多いのであろうとしている。
なお右臨床的特徴を具備しない患者については、大気汚染の影響がないと速断し得ないことは、同証人の証言によつても明らかであり、これは別に検討されなければならない問題である。
3 原告らの罹患および症状増悪と、その原因ならびに亡今村善助、同瀬尾宮子の死因
イ すでに検討してきたところにより、磯津地区においては、昭和三六年ころから閉そく性肺疾患が多発し、それがいおう酸化物を主にして、これとばいじんなどとの共存による相乗効果をもつ大気汚染によるものであることが認められた。
そこで、右事実を前提として、原告ら個人の罹患およびそれが大気汚染によるものであるか否かを検討する。
(一) <証拠>によれば、次のように認められる。
閉そく性肺疾患の原因に関係ある因子は多数あつて、年令、性別、喫煙、職業性有害物暴露、気象および季節、生活水準、太気汚染、遺伝因子、伝染性病源体、その他の医学的因子などが挙げられ、大気汚染の因子の中にもいろいろなものがある。
そして、これらの多くの因子の間にもその影響力に差があり、また、これら因子が相乗的、相加的または拮抗的に相互作用を及ぼして、複雑な結果をもたらしている。たとえば、同じ大気汚染地域でもある者は発病し、他の者は発病せず、発病者についても病気のパターンは一様ではない。
(二) また、証人吉田克巳(第一回)の証言によれば、同証人は、疫学における集団と個人との関係につき、次のように説明する。
疫学的にある集団がある特性を有している場合、その集団というのは、集団を構成している個人の集まりであるから、右集団の特性は個人の特性でもある。したがつて、右集団において解明された疾病の流行の原因は、基本的には集団を構成する個人にも当てはまる。
また、閉そく性肺疾患が、いおう酸化物と無関係に罹患しうる疾患であるとして、仮にそのような患者を想定しても磯津地区などの汚染地区では、右いおう酸化物が病状増悪の因子となつていると考えられ、その意味で右いおう酸化物など大気汚染という負荷は、汚染地区住民に対し同一にかかつている。
(三) 以上のことを総合すると、次のように解するのが相当である。
閉そく性肺疾患の原因に関係ある因子は、大気汚染のほかにも多数あり、各因子疾患に及ぼす影響も大小いろいろある。
ところで問題は、大気汚染と原告らの罹患または症状増悪(継続を含む。以下同じ)との間の法的因果関係の有無であるから、それには、右大気汚染がなかつたなら、原告らの罹患または症状増悪がなかつたと認められるか否かを検討する必要があり、かつそれでたりる。けだし、他の因子が関与していても、大気汚染と罹患等との間に、右の因果関係が認められれば、損害賠償責任に原則として消長をきたさないというべく、例外的に大気汚染以外の因子に被害者の過失が考えられるときは、過失相殺が問題になりうるにとどまると解されるからである。
そして、原告らが磯津地区に居住して、大気汚染に暴露されている等、磯津地区集団のもつ特性をそなえている以上、大気汚染以外の罹患等の因子の影響が強く、大気汚染の有無にかかわらず、罹患または症状増悪をみたであろうと認められるような特段の事情がない限り、大気汚染の影響を認めてよい。
(四) 被告らの反論について
(1) 被告らは、閉そく性肺疾患は、いわゆる非特異性疾患であつて、その原因となる因子が数多く存し、かつ、いおう酸化物と関係なく以前から存在している疾患であるから、原告ら各人についてその疾患の原因がいおう酸化物であることを立証するとともに、右疾患の原因となりうる諸因子を原因より排除していくことが不可欠である旨主張するが、右主張の前段は正当であるが、後段については、前記のとおり解すべきであつて採用し難い。
(2) また、被告らは、前記(二)の吉田克巳の見解には三点の過誤がある旨主張するが、そのいわゆる論理学的過誤および疫学的過誤というのは、磯津地区における閉そく性肺疾患の多発の原因が、いおう酸化物を主とする大気汚染にあるという点について、疫学的な証明がないことを前提とするもので、その前提において採るを得ない。
また、いわゆる生物学的過誤については、生物学的に量反応関係の調査研究が必要であることは、おそらくその指摘するとおりであると思われるが、法的因果関係の有無を判定するのに、右主張の如き量反応関係が明らかにならなければならないとは解し難い。
ロ 原告らの個別的検討
(一) 原告塩野輝美
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
同人の職業(ただし、詳細は後記損害のところで述べるとおり。以下他の原告らについても同じ。)生年月日、磯津地区居住の時期、閉そく性肺疾患に罹患したことおよびその病名、発症時期、入院の事実とその期間、おもな症歴および症状、前記公害病認定制度による認定を受けた時期は、別表4の原告塩野輝美の欄記載のとおりである。
また、同人は空気清浄室の自覚的効果や転地効果(転地先愛知県常滑市)が認められ、家族歴(閉そく性肺疾患の家族の有無)、既往歴はない。
これらの事実のうち、同人が昭和三四年七月から磯津に居住し、大気汚染のひどくなつた後である昭和三九年七月ころ、気管支ぜんそくに罹患して発症したこと、それまで既往歴や家族歴がないこと、転地効果や空気清浄室の効果が認められることならびに昭和四〇年六月、大気汚染関係疾患の認定をうけていることなどの事実は、同人が前記のような磯津地区集団のもつ疫学的特性をそなえ、また、同人の疾患が前記2の大気汚染によると認められる非特異性呼吸器疾患の臨床的特徴にも合致し、同人の気管支ぜんそくの罹患等の原因がいおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示唆する事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右気管支ぜんそくの罹患および症状増悪の主要な因子は、いおう酸化物を主とする大気汚染であると認められる。
(2) 被告らは、昭和四七年一月一八日付共同準備書面(ただし、一八枚からなるもの)記載のとおり、原告塩野輝美には、アレルギー体質や喫煙その他の因子が認められるので、大気汚染によるものとはいい難いと主張し<証拠>によれば、同人には、アレルギー歴としてじんましんが認められ、ハウスダスト皮内反応検査において弱陽性であること、閉そく性肺疾患に罹患したことおよびその病名、発症時期、入院の事実およびその時期、おもな病歴および症状、公害病認定制度による認定を受けた時期は、別表4の原告中村栄吉欄記載のとおりである。
また、同人の場合も、空気清浄室の自覚的効果が認められ、家族歴はなく、ハウスダスト皮内反応検査は、公害病認定審査のための第一次、第二次検査では陽性であるが、第三次検査および塩浜病院における検査では陰性である。
これらの事実のうち、同人は、明治四三年八月磯津地区において出生以来同地区に居住してきたが、大気汚染がひどくなつた後である昭和三七年一一月ころ気管支ぜんそくに罹患したこと、家族歴がないこと、空気清浄室の効果が認められることおよび昭和四〇年六月大気汚染関係疾患の認定をうけていることなどの事実は同人が前記のような疫学的特性をそなえ、また同人の疾患が前記のような臨床的特徴に合致し、同人の気管支ぜんそくの罹患等の原因が、いおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示唆する事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右気管支ぜんそくの罹患および症状増悪の主要な因子は右大気汚染であることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり、原告中村栄吉にはアレルギー体質、喫煙、心因性、一日一五本の喫煙の習慣を有することおよび原告本人尋問の結果によれば、ぜんそく発作の誘発され易い時期が、被告ら主張のとおりであることが認められる。
しかし、証人柏木秀雄の証言によれば、右ハウスダスト皮内反応検査結果は、三、四回実施したうち、一回陽性を示したというのにすぎず、右程度のハウスダスト反応の結果や、じんましんおよび喫煙等は、同人の罹患等の主要因子が大気汚染であることを否定するほどのものではないことが認められる。また、右乙い四七号証は、原告らのカルテを詳細に分析し、臨床的に検討を加えた結果、大気汚染物質が影響しているか否か不明であると結論しているが、前記(1)の認定は、前記イのような疫学的考察の結果等が前提となつているのであるから、右乙号証も前記(1)の認定を左右するにたらず、他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(二) 原告中村栄吉
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断略>。
同人の職業、生年月日、磯津地区居住の時期、その他の要因が認められるので、亜硫酸ガスによるものとはいい難いと主張し、<証拠>によれば、同人に薬品アレルギーがあることが認められ、前認定のように、ハウスダスト皮内反応検査の一部において、陽性が認められたこと、一日四、五十本の喫煙の習慣を有すること、さらに、前出乙い四七号証によれば、食塩水一cc注射後、ら音が消失し、咽頭部異物感を気にし、薬が咽頭部に付着しても発作を起こすなど、被告ら主張の心因性を疑わせる徴候があることが認められ、前出甲一四号証の四のうち、喫煙量に関する記載部分は、前記原告本人尋問の結果に照らして採用し難く、他に右認定に反する証拠はない。
しかし、証人柏木秀雄の証言によれば、右程度のハウスダスト反応の結果や薬品アレルギーならびに心因的因子では、同人の罹患の主要因子が、大気汚染であることを左右することにはならないことが認められる。
また、同人の喫煙量は、通常人より多いと認められるが、喫煙の影響を慢性気管支炎と気管支ぜんそくとで同一に論じうるかどうか問題であるのみならず、仮に、同一に論じうるとしても、前記住民検診の結果みられた慢性気管支炎に対する喫煙の因子と大気汚染の因子との関係(前記1・ロ・(二)・(2))ならびに同人が二〇才くらいからすでに喫煙していたのに、前記のように大気汚染悪化後にはじめて発病したことからすると、右喫煙を理由に大気汚染の影響を否定することはできない。
その他前出乙四七号証も前記(一)・(2)と同様の理由で右(1)の認定をくつがえすにたらず、他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(三) 原告柴崎利明
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
同人の職業、生年月日、磯津居住の時期、閉そく性肺疾患に罹患したことおよび病名、発症の時期および入院期間、病歴および症状ならびに公害病の認定を受けた時期は、別表4の原告柴崎利明欄記載のとおりである。
また、同人の場合も、転地効果(転地先三河地方)や空気清浄室の自覚的効果が認められ、家族歴、既往歴はなく、ハウスダスト皮内反応検査は陰性である。
これらの事実のうち、同人が、昭和三一年一月から磯津に居住し、大気汚染のひどくなつた後である昭和四〇年六月ころ気管支ぜんそくに罹患し、それまで既往歴や家族歴がないこと、転地効果や空気清浄室の効果が認められ、ハウスダスト皮内反応が陰性であること、ならびに昭和四〇年七月、大気汚染関係疾患の認定を受けたこと等は、同人が他の原告らと同様に前記の疫学的特性をそなえまた、同人の疾患が前記のような臨床的特徴に合致していることを示し、同人の気管支ぜんそくの罹患等の原因がいおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示唆する事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右罹患および症状増悪の主要因子が右大気汚染にあることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり、原告柴崎利明には、心因性、喫煙、感染およびアトピー型の因子が考えられる旨主張し、<証拠>によれば、同人が糖液のみによつて発作が軽減し、入院時咽頭痛や微熱があつたこと、入院時等においては、好酸球の増多がみられたことが認められ、また、一日約二〇本の喫煙の習慣を有していたことが認められた。
しかし、右好酸球の増多のみでアトピー型であるとは認め難いし、証人柏木秀雄の証言によれば、その他の右認定の事実も同人の罹患等の主要因子が大気汚染であることを否定するほどのものではないことが認められる。
その他前出乙い四七号証も前記(1)の認定をくつがえすにたらず、他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(四) 亡今村善助
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
同人は、明治二三年三月二〇日磯津で生まれ、磯津で生活し、生前漁業を営み、後農業に変わつた。
昭和三六年一〇月ころ、気管支ぜんそくに罹患して発症し、昭和四一年ころから肺気腫になつた。
右一連の閉そく性肺疾患により、昭和三六年ころから入退院をくり返したが、その後三八年九月一九日から同年一一月二日まで、同年同月四日から同三九年六月一〇日まで、同年同月一三日から死亡まで塩浜病院に入院した。
おもな病歴および症状は、右のように昭和三六年一〇月自宅で突然、せき、たんが出るようになり、同年一一月から入退院をくり返し、帰宅するとぜん鳴発作を起こしていたが、昭和三八年八月、せき、たんを伴つて呼吸困難を起こして入院し、同四三年七月ころ症状が悪化した。
昭和四〇年四月一日公害病の認定を受けている。
また同人は、空気清浄室の効果が認められるが、昭和三九年六月ころ生駒山へ転地したときは、当夜発作が起き、転地の効果をみずに翌々日帰つている。既往歴として肺炎、肺結核があり、家族歴として孫が罹患している。
ハウスダスト皮内反応検査の結果は陰性であり、喫煙量は一日一〇本位である。
これらの事実のうち、同人は、明治二三年磯津において出生以来、同地で生活してきたが、大気汚染がひどくなつた後である昭和三六年一〇月ころに気管支ぜんそくに罹患したこと、空気清浄室の効果が認められること、ハウスダスト皮内反応が陰性であることおよび昭和四〇年六月、大気汚染関係疾患の認定を受けていること、などの事実は、同人が、前記のような疫学的特性をそなえ、また、同人の疾患が、前記のよう臨床的特徴に合致していることを示し、同人の罹患等の原因がいおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示唆する事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右罹患および症状増悪の主要な因子が右大気汚染にあることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり亡今村善助には転地効果がなかつたこと、心因性、長期の喫煙および感染因子等が考えられ、亜硫酸ガスによるものとはいえない旨主張し、前出乙い四七号証によれば、糖液、蒸溜水等の注射が発作の軽減に効果があつたことが認められ、また、原告今村末雄本人尋問の結果によれば、発病状況において、微熱およびせきが出て、当初は医師から軽い風邪、気管支炎といわれていた矢先、急に苦しみだしたことが認められる。
しかし、原告今村末雄本人尋問の結果によれば、右転地効果の点については、むしろ、効果の有無をたしかめることのできないうちに転地療養を中止したと認めるのが妥当であり、また、心因性、感染の根拠として被告らが主張する右認定事実や同人の年令も、証人柏木秀雄の証言によれば、同人の罹患等の主要因子が大気汚染であることを否定するほどのものではないことが認められ、また、前認定の家族歴も同じ磯津地区に居住するものであり、肺炎、肺結核の既往歴もかなり古いもので本件疾患とは直接関係がないことが認められる。
その他、前出乙い四七号証も前記(1)の認定をくつがえすにたらず他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(五) 原告藤田一雄
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ<証拠判断・略>。
同人の職業、生年月日、磯津居住の時期、閉そく性肺疾患に罹患した事実およびその病名、発症の時期、入院期間、症歴および症状ならびに公害病の認定を受けたこと、その時期は別表4の原告藤田一雄欄に記載のとおりである。
また、同人の場合も空気清浄室の効果が認められ、既往歴はなく、ハウスダスト皮内反応検査の結果は陰性である。
これらの事実のうち、同人が、昭和一六年から磯津に居住し、大気汚染がひどくなつた後である昭和三六年一〇ころに、慢性気管支炎または気管支ぜんそくに罹患し、昭和四〇年ころ肺気腫になり、それまで既往歴がないこと、空気清浄室の効果が認められ、ハウスダスト皮内反応が陰性であることおよび昭和四〇年四月大気汚染関係疾患の認定を受けていることなどの事実は、同人が前記のような疫学的特性をそなえ、また、同人の疾患が前記のような臨床的特徴に合致していることを示し、同人の右疾病の罹患等の原因がいおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示唆する事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右罹患および症状増悪の主要因子が右大気汚染にあることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり、原告藤田一雄には、家族歴があり、心因性の因子、喫煙等の影響が考えられ、亜硫酸ガスが疾患の原因とはいえないと主張し、<証拠>によれば、同人の孫にぜんそく患者があり、ぶどう糖単独注射で発作が治ゆし、たばこを一日約二〇本吸つていたことが認められるが(右甲一四号証の九のうち、右認定に反する部分は採用しない)、証人柏木秀雄の証言によれば、右孫のぜんそく患者は、同じ、磯津に居住するものであるので、右事実のみで必ずしも、原告藤田の本件疾患が体質、遺伝的なものであるということはできず、右心因性、喫煙とも大気汚染が主要因子であることを否定するほどのものではないことが認められる。
また、<証拠>によれば、右疾患の経過中に感染因子の影響も考えられるが、これまた大気汚染の影響を否定するにはいたらないことが認められる。
その他、前出乙い四七号証も前記(1)の認定をくつがえすにたらず、他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(六) 原告石田かつ
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
同人の生年月日、閉そく性肺疾患罹患の事実とその病名、発症の時期、塩浜病院の入院期間、病歴および症状ならびに公害病の認定を受けたこととその時期は、別表4の原告石田かつ欄記載のとおりである。
また、同人は塩浜病院入院前、昭和三六年九月から同三七年六月まで四日市市立病院に入退院をくり返している。空気清浄室の自覚的効果は認められるが、発作回数はあまり変らず、既往歴として一九才のころ肋膜炎をわずらつたが、その他にはなく、ハウスダスト皮内反応検査の結果は陰性である。
これらの事実のうち、同人が、明治三八年一月磯津に出生以来同地に居住してきたが、大気汚染がひどくなつた後である昭和三六年四月ころ気管支ぜんそくに罹患したこと、既往歴として一九才のときの肋膜炎のほかは格別ないこと、ハウスダスト皮内反応が陰性であることおよび昭和四〇年四月大気汚染関係疾患の認定を受けていることは、他の原告らと同様に同人が前記のよう疫学的特性をそなえ、また、前記のような臨床的特徴に合致し、同人の右疾病の罹患等の原因が、いおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示す事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右疾患への罹患および症状増悪の主要な因子が右大気汚染にあることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり、同人には家族歴等の素因や心因性の影響がみられ、疾患の原因が亜硫酸ガスであるとは断定できない旨主張し、<証拠>によれば、同人のいとこにぜんそく患者があり、発作時に好酸球が増加していること、同人は発作が朝起きると訴えているが、本当は起つていないようであること、それにもかかわらず注射をしないと気がすまないというようなところがあり、糖液のみの注射で発作が治ゆすることが多いことが認められ、前出甲一三号証の五、甲一四号証の八のうち右認定に反する部分は前記各証拠に照して採用し難く、他に右認定に反する証拠はない。
しかし、証人柏木秀雄の証言によれば、右ぜんそくのいとこも、磯津居住者であるので、右事実のみで必ずしも原告石田の本件疾患が体質遺伝的なものということはできず、好酸球の増多も前記のように直ちにはアトピー型と結びつくものではない。
また、前認定の事実によれば、同人の場合は、心因的なものがかなり認められる。しかし、証人柏木秀雄の証言によれば、右心因性の故をもつて大気汚染の影響を否定するほど強力な因子であるとは認め難い。
その他、前出乙い四七号証も前記(1)の認定をくつがえすにたらず、他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(七) 原告野田之一
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。同人の職業、生年月日、閉そく性肺疾患の事実とその病名、発症の時期、入院期間、病歴および症状ならびに公害病認定を受けたこと等は別表4の原告野田之一欄記載のとおりである。
また、同人には、転地効果(転地先常滑市)空気清浄室の自覚的効果が認められ、既往歴は扁桃腺肥大のほかはない。
これらの事実のうち、同人が、昭和六年一二月磯津に出生以来同地に居住してきたところ、大気汚染悪化後の昭和三七年二月気管支ぜんそくに罹患したこと、それまで既往歴として扁桃腺肥大のほかにはないこと、空気清浄室および転地効果が認められることならびに昭和四〇年六月大気汚染関係疾患の認定を受けていることは、他の原告らと同様に、同人が前記のような疫学的特性をそなえ、また前記のような臨床的特徴に合致し、同人の右疾患の罹患等の原因がいおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示す事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右疾患の罹患および症状増悪の主要な因子が右大気汚染にあることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり同人には、アレルギー体質、喫煙等の影響が認められ、同人の疾患を亜硫酸ガスと関係づけることはできないと主張し、<証拠>によれば、原告野田は、いわしを食べてじんましんになつたことがあり、皮内反応検査ではハウスダスト、ブロンカスマにおいて陽性を示し、また、一日約二〇本の喫煙の習慣があることが認められる。
右事実および<証拠>によれば、たしかに同人の場合、体質的素因を比較的多く有しているように認められる。
しかし、<証拠>によれば、公害病認定検査の際のハウスダスト皮内反応は陰性であり、塩浜病院の検査も、三、四回の検査のうち、一回が前記陽性を示したというのであつて、これら体質的素因および喫煙も同人の罹患等の主要因子が大気汚染であることを否定するほどのものではないことが認められる。
その他、前出乙い四七号証中いおう酸化物を主とする大気汚染の影響を否定する部分は、前記(1)の各証拠に照らして採用し難く、他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(八) 原告石田喜知松
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められ、<証拠判断・略>。
同人の職業、生年月日閉そく性肺疾患に罹患した事実とその病名、発症時期と入院期間、病歴および症状ならびに公害病の認定を受けたこと等は、別表4の原告石田喜知松欄記載のとおりである。
また、同人は、家族歴、既往歴がなく、空気清浄室において発作回数は変わらないが、程度が軽くなるなどの効果がみられ、ハウスダスト皮内反応検査の結果は陰性である。
これらの事実のうち、同人が、明治二六年磯津に生れ、以来同所に居住してきたが、大気汚染悪化後の昭和三七年五月ころ、ぜんそく性気管支炎または気管支ぜんそくに罹患したこと、それまで既往歴や家族歴のないこと、空気清浄室である程度効果が認められること、ハウスダスト皮内反応が陰性であることおよび昭和四〇年六月大気汚染関係疾患の認定を受けていることなどの事実は、同人が、前記のような疫学的特性をそなえ、また同人の疾患が、前記のような臨床的特徴に合致し、同人の右疾患の罹患等の原因がいおう酸化物を主とする大気汚染にあることを示唆する事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右疾患への罹患および症状増悪の主要な因子が右大気汚染にあることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり、同人には心因性、喫煙、年令等の影響があり、その発作は亜硫酸ガスと無関係であると主張し、<証拠>によれば、同人はきまつた時刻に規則的な発作が起きたこと、発作を訴えるが、発作の症状が認められないこともあること、しばしば糖液のみの注射で発作が寛解することがあること、一日約二〇本の喫煙の習慣があることが認められる。
しかし証人柏木秀雄の証言によれば、右各事実および同人の年令等も同人の罹患等の主要因子が大気汚染であることを否定するほどのものではないことが認められ、その他前出乙い四七号証も前記(1)の認定をくつがえすにたらず他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
(九) 亡瀬尾宮子
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
亡瀬尾宮子は、昭和七年九月二一日磯津で生れ、同所で育つたが、昭和三〇年一月原告瀬尾清二と結婚し、結婚後一年半ほど伊勢市方面に移つたが、その後磯津に帰つた。
昭和三七年一一月肺炎に罹患し、同年一二月気管支ぜんそくに罹患した。昭和三九年二月二二日から同年三月四日まで、同年同月二五日から死亡まで塩浜病院に入院していた。この間昭和四〇年四月一日公害病の認定を受けている。おもな病歴および症状としては、前記のように昭和三七年一一月肺炎に罹患し、同年一二月せきが始まり息苦しさをきたし、ぜん鳴を起こすようになつた。
同人は空気清浄室で自覚的効果がみられ、ハウスダスト皮内反応検査の結果は陰性である。
以上の事実のうち、同人が昭和三〇年一月から翌三一年六月ころまでの間を除き磯津で生活してきたが、大気汚染悪化後の昭和三七年一二月ころ、気管支ぜんそくに罹患したこと、空気清浄室の効果が認められ、ハウスダスト皮内反応が陰性であることおよび昭和四〇年四月大気汚染関係疾患の認定を受けたことなどは、同人が前記のような疫学的特性をそなえ、また同人の疾患が前記のような臨床的特徴に合致し、同人の右罹患等の原因がいおう酸化物を主とする大気汚染によるものであることを示唆する事実であるというべく、右事実および証人柏木秀雄の証言によれば、同人の右罹患および症状増悪の主要な因子が大気汚染であることが認められる。
(2) 被告らは、前記共同準備書面記載のとおり亡瀬尾宮子には、娘時代に気管支ぜんそくがあつたことがうかがわれ、薬しん、じんましん等アレルギー体質や、家族歴があり、いわゆるアトピー型に属し、また、心因性の影響等があつて、同人の疾患は亜硫酸ガスと無関係であると主張し、<証拠>によれば、同人のカルテには同人が娘時代から気管支ぜんそくがあつたらしいという他の患者らの報告があるとの記載があること、薬しんや、じんましんがしばしばみられ、伯父といとこに気管支ぜんそくの患者があり、さらに前記のように本件の気管支ぜんそく発病前に肺炎にかかり、ひき続き気管支ぜんそくになつたことが認められる。
しかし、右乙い二七号証の六によれば、右ぜんそくの既往歴について本人は、当時においても、否定していることが認められ、同人がぜんそくの既往歴を有していたとはにわかに認め難く、証人柏木秀雄の証言によれば、前記伯父やいとこは、いずれも汚染地区の居住者で公害病の認定をうけていることが認められ、その他のじんましん、薬しんおよび感染因子が考えられること等の事実も大気汚染の影響を否定するほどのものではないことが認められる。
その他、前出乙い四七号証も前記(1)の認定をくつがえすにたらず、他にこれをくつがえす特段の因子の存在を認めるにたりる証拠はない。
ハ 亡今村善助、同瀬尾宮子の死亡とその原因
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
亡今村善助は、前記のとおり大気汚染を主要因とする気管支ぜんそくないし肺気腫により、塩浜病院内科に入院中であつたが、昭和四三年三月一四日同所で死亡した。
死因は肺気腫による心臓死である。
また、亡瀬尾官子も、前記のとおり大気汚染によると認められる気管支ぜんそくにより塩浜病院内科に入院中であつたが、昭和四六年七月一〇日同所において死亡した。
死因はぜんそく発作死である。
なお、<証拠>によれば、気管支ぜんそくの発作止めの薬の乱用が窒息死を招くおそれがあるとして問題になつていることが認められるが、右瀬尾宮子に薬の乱用があつたか否か、仮にあつたとして死因との関係および過失の有無等については、これを認むべき証拠はない。
四 共同不法行為
1前記二および三で検討したように、被告六社の工場のばい煙が全体として磯津地区の主たる汚染源になつていることが認められ、また、右大気汚染により原告らが閉そく性肺疾患に罹患し、症状が増悪したことが認められた。
ところで、共同不法行為が成立するには、各人の行為がそれぞれ不法行為の要件をそなえていることおよび行為者の間に関連共同性があることが必要である。
2共同不法行為の因果関係
各人の行為が不法行為の要件をそなえていなければならないから、各人に故意、過失、責任能力があり、違法性が問題にされなければならない。
また、七一九条一項前段の狭義の共同不法行為の場合には、各人の行為と結果発生との間に因果関係のあることが必要である。
ところで、右因果関係については、各人の行為がそれだけでは結果を発生させない場合においても、他の行為と合して結果を発生させ、かつ、当該行為がなかつたならば、結果が発生しなかつたであろうと認められればたり、当該行為のみで結果が発生しうることを要しないと解すべきである。けだし、当該行為のみで結果発生の可能性があることを要するとし、しかも、共同不法行為債務を不真正連帯債務であるとするときは、七〇九条のほかに七一九条をもうけた意味が失われるからである。
そして、共同不法行為の被害者において、加害者間に関連共同性のあることおよび、共同行為によつて結果が発生したことを立証すれば、加害者各人の行為と結果発生との間の因果関係が法律上推定され、加害者において各人の行為と結果の発生との間に因果関係が存在しないことを立証しない限り責を免れないと解する。この理は、同条一項後段によれば、行為者各人の行為と結果の発生との間の因果関係が不明であるときでも、共同行為者全員が連帯債務を負うとされているのであるから、これを訴訟上の観点からみれば、被害者は、一般に(加害者不明か否かを問わず)共同行為者の連帯債務の履行を請求するときには、行為者各人の行為と結果の発生との間の因果関係まで主張立証する必要はないということになる、と解されるからである。
被告らは、それぞれ各自のばい煙が到達しないか、または到達量が微量であつて結果の発生との間に因果関係がないと主張するが、右免責の抗弁については後記五においてあらためて検討する。
3関連共同性
イ 弱い関連共同性
(一) 共同不法行為における各行為者の行為の間の関連共同性については、客観的関連共同性をもつてたりる、と解されている。
そして、右客観的関連共同の内容は、結果の発生に対して社会通念上全体として一個の行為と認められる程度の一体性があることが必要であり、かつ、これをもつてたりると解すべきである。
本件の場合には、前認定のように、磯津地区に近接して被告ら六社の工場が順次隣接し合つて旧海軍燃料廠跡を中心に集団的に立地し、しかも、時をだいたい同じくして操業を開始し、操業を継続しているのであるから、右の客観的関連共同性を有すると認めるのが相当である。
このような客観的関連共同性は、コンビナートの場合、その構成員であることによつて通常これを認めうるものであるが、必ずしもコンビナート構成員に限定されるものではないと解される。
(二) 前記のように共同不法行為における各人の行為は、それだけでは結果を発生させないが、他の行為と相合してはじめて結果を発生させたと認められる場合においても、その成立を妨げないと解すべきであるが、このような場合は、いわば、特別事情による結果の発生であるから、他の原因行為の存在およびこれと合して結果を発生させるであろうことを予見し、または、予見しえたことを要すると解すべきである。
これを本件についてみれば、被告ら工場は前記のとおり互いに隣接し合つて、かつ、コンビナート関連工場として操業しているのであるから、他の被告ら工場の操業の内容や規模の概略は認識可能であり、これらが自社と同様重油を燃焼するなどして、いおう酸化物等のばい煙を排出していることは当然予見可能であり、かつ、前認定のような磯津地区と被告ら工場との間の位置距離関係、四日市市における年間最多風向等の気象条件からして、自社の右ばい煙が他社のばい煙と合して右原告居住地に到達し、後記第三の一・1のばい煙の人体に対する影響の予見可能性と相まつて、右地区住民に被害を発生せしめるであろうことの予見可能性があつたと認められるのである。
ロ 強い関連共同性
ところで、被告ら工場の間に右に述べたような関連共同性をこえ、より緊密な一体性が認められるときは、たとえ、当該工場のばい煙が少量で、それ自体としては結果の発生との間に因果関係が存在しないと認められるような場合においても、結果に対して責任を免れないことがあると解される。
前認定のように被告油化、同化成、同モンサント各工場の間には、特に、緊密な結合関係がみられる。
すなわち、被告三社は一貫した生産技術体系の各部門を分担し、被告油化は、前記のとおりナフサを分解して石油化学の基礎製品であるエチレン等を製造し、被告化成、同モンサントは、これら基礎製品を自社の原料として供給を受け、二次製品たる塩化ビニールや2エチルヘキサノール等を製造し、なかんずく、これら製造工程に不可欠な蒸気を自ら生産することなく、被告油化からそれぞれ相当量供給を受け、または、受けていた。
このほか、被告モンサントから被告油化および化成へ、被告化成から被告モンサントへ、それぞれ製品・原料が送られていることも前記のとおりである。そして、これら製品・原料および蒸気の受け渡しの多くは、パイプによつてなされ、当該被告以外の者から供給を受けることが、技術的・経済的に不可能または著るしく困難であり、一社の操業の変更は、他社との関連を考えないでは行ない得ないほど機能的技術的経済的に緊密な結合関係を有する。
このように、右被告三社工場は、密接不可分に他の生産活動を利用し合いながら、それぞれの操業を行ない、これに伴つてばい煙を排出しているのであつて、右被告三社間には強い関連共同性が認められるのみならず、同社らの間には前記のような設立の経緯ならびに資本的な関連も認められるのであつて、これらの点からすると、右被告三社は、自社のばい煙の排出が少量で、それのみでは結果の発生との間に因果関係が認められない場合にも、他社のばい煙の排出との関係で、結果に対する責任を免れないものと解するのが相当である。
4被告らの反論について
イ 被告油化らは、共同不法行為の要件として各自の行為が独立して不法行為の要件を備える必要があり、それぞれ民法七〇九条の要件を充足するものでなければならないと主張するが、その趣旨が、各人の行為がそれだけで結果を発生させる場合に限るのであれば、その採用し難いことは前記のとおりである。
ロ 被告化成らは、被告ら工場の煙突は各方面に散在し、その高さ等も異なるのであるから、ばい煙が複合して磯津地区に到達することはない旨主張するが、右主張が、被告らのばい煙が相合して磯津地区へ到達する必要があるとの趣旨であれば、その理由がないことは明らかである。けだし、ある時にはA工場のばい煙が汚染の原因になり、他の時にはB工場のばい煙が原因となり、これらの汚染が集積して損害が発生しても共同不法行為たるを妨げないからである。
ハ 被告モンサントらは、自社以外の被告ら工場のばい煙の発生到達および原告らの疾病の因果関係等いずれも予見不可能であり、自社のばい煙も微量であるから、他と合して結果を発生させることの予見可能性はなかつた旨主張する。
このうち、原告らの疾患に関する予見可能性については、過失の項で検討するが、汚染に関する予見可能性については、前記のように他工場の操業の内容や規模の概略、地理的関係、気象条件等からすれば、これを肯認することができ、この場合、各社工場のばい煙の排出量や到達量の詳細まで予見可能性として要求されるものではないと解すべきである。
また、被告化成、同モンサントについては、被告油化のばい煙がその他の被告ら工場のばい煙と合して結果を発生させるであろうことの予見可能性が認められる以上、右被告ら主張も理由がない。
ニ 被告化成らは、共同不法行為の関連共同性は、不法行為における関連共同性であるべきであり、正当な業務において関連があるとしても、共同不法行為を構成しない旨主張する。
しかし、本件の不法行為であるばい煙の排出行為は、被告ら工場の操業にずい伴してその必然の結果としてもたらされるものであるから、右ばい煙の排出の関連共同性を検討するのに操業上の結合関係をみなければならないことは、むしろ当然であるというべきである。
ホ 被告モンサントは、被告ら工場間の原料製品等の需給関係は通常の売買にすぎないものであるところ、ある企業がその生産過程において、いおう酸化物を排出し、それが不法行為を構成するとしても、そのようにして生産された製品やエネルギーを購入したというだけでは――その不法行為に直接関与したり、または、その不法行為を助長する目的で購入したというような特殊な事情がない限り――その企業の不法行為も共同したことにはならないと主張する。
しかし、コンビナートにおける企業の結合関係、特に、本件の場合の三菱三社間の関係は、前記一および四の4で詳細に検討したように、単なる原料等の売買関係をもつて目すべきではなく、石油化学工業という、いわば一つの生産体系のなかにおいて、各自、他社の生産活動を自社のために利用し合う関係であり、原料等のパイプによる授受は、その不可分関係の一環と解すべきものである。
被告モンサントの右主張は、その前提において適切ではない。
五 被告ら各自のばい煙と結果との間の因果関係不存在の主張について
1被告昭石
イ 拡散式による磯津到達濃度
(一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
昭和四六年一月、被告昭石四日市製油所研究部試験課において、同製油所の排出いおう酸化物の磯津地区到達濃度を理論式を用いて計算した。
その用いた理論式、係数、諸元および計算の結果は次の(1)(2)のとおりである。
(1) 煙突の有効高については、ボサンケの式、拡散式についてはサットン式を用いた。
右ボサンケ式は大気汚染防止法により採用され、サットン式も排出基準の設定に際して用いられたものである。
右拡散式の係数については、通産省の総合事前調査においても多く使用されていたといわれるn(渦係数)=0.25η(時間稀釈係数)=0.15cy(水平方向の拡散係数)=0.07cz(垂直方向の拡散係数)=0.07を用いた。
諸元については、別表42のとおりであつて、実煙突高を建替え前の六〇メートル、四五メートルとし、燃料使用量は昭和三九年(別表2の1によれば、六〇メートル煙突を使用していた年のうち、最も消費量が多かつた年)の使用量を、いおう含有率は最大値の4.5パーセントを使用した。
(2) 被告昭石四日市製油所の煙突から、原告ら居住地までの距離を約六〇〇ないし九〇〇メートルとして、右ボサンケ、サットン式により原告ら居住地の地上到達濃度を計算した結果は、別表43記載のとおりであつて、六〇メートル煙突の場合は風速二ないし六メートルの場合0.0000ppmであり、四五メートル煙突の場合は、風速二ないし四メートルで0.0000ppm、風速六メートルで0.0000ないし0.0004ppmである。したがつて、右四五メートル煙突を合算しても0.0008ppm以下である。
要するに、被告昭石のばい煙は、大部分が磯津地区の上空を通過し、同地区にはほとんど着地しない。しかも右の値は、風向がつねに北西風の場合の値であるが、実際の磯津地区の北西風の頻度で、右濃度を修正すれば、右地上到達濃度は〇に等しい。
(二) しかし、右理論式によつてえられた結論は、次の理由によつて採用し難い。
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
ばい煙の地上到達濃度分布を定量的に調べる方法としては、右拡散式による計算のほかに、現地実験、風洞実験による方法等があるが、現段階では、いずれも完全ではなく、三つの方法を並行して用いている。したがつて右拡散式による方法も、地上濃度の定量的な結果を出すには必ずしも十分に信頼しうるとはいい難い。
また、サットン式に含まれるn、cy、czなどの係数については、数多くの実験報告があるが、いまだまとまつた見解はなく、実験的には鉛直方向の分布が合わないとか、理論的にも不完全であるなどの批判が寄せられている。
(2) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
サットン式に含まれているn、cy、czについては、右に述べたように多数の実験値が示されているが、右サットン式は、一般に大気の成層が中立状態であつて、風下距離が小さい場合に適用しうるといわれ、その状態における係数の値としては、前記被告昭石のとつた値と異なり、cy=0.40 cz=0.20 n=0.25 といつた値がほぼ満足しうるといわれており、被告昭石の cy. cz=0.07 といつた値をとつた場合よりばい煙の拡散が大きくなり、排出源により近く着地する。
換言すれば、被告昭石の用いた係数では実際よりも遠距離にばい煙の着地点が表われることになる。
(3) <証拠>によれば、前記計算に用いられた諸元は、同被告が、昭和三九年九月から一〇月までの間に行なわれた厚生省環境衛生局公害課の調査に際して提出した諸元と排ガス温度、吐出口口径、吐出速度において異なつており、本件計算における排ガス温度が高く、吐出速度も速いなど、より遠方へ拡散する諸元になつていることが認められるので、右計算の諸元についてはにわかに信用し難い部分がある。
ロ 年末年始の磯津地区のいおう酸化物濃度と被告昭石の操業
<証拠>によれば、被告昭石四日市製油所においては、年末年始においても平常どおり稼動しているが、昭和四一年一二月二〇日から翌四二年一月三一日、同年一二月二〇日から翌四三年一月三一日、同年一二月二〇日から翌四四年一月三一日までの磯津地区におけるいおう酸化物濃度を調べると、年末三〇日から翌年正月四日ころまでの右濃度が特に低くなつていることが認められる。
しかし、右乙い三三号証は、全風向についての調査であつて、風向との関係が考慮されていないこと、右期間は同被告の煙突がほぼ高煙突に建替えられた後であること等からして、被告昭石のばい煙が磯津地区の汚染と因果関係がないことを認めさせるにはたりない。
また、<証拠>は、北西風のときに磯津地区の年末年始を中心にして、昭和三八年年末から昭和四四年正月までの汚染状況を風速との関係で調べたもので、風向との関係を考慮している点では、前記乙い三三号証の欠点を補なうものであるが、<証拠>によれば、一二月三〇日から翌年一月四日までの磯津地区のいおう酸化物の濃度が他の時期に比べて低い傾向にあることが認められるけれども、被告昭石のばい煙の因果関係を否定するにたりるほど顕著な差を認めることはできない。
ハ 右イ、ロの事実を総合しても同被告主張の同被告のばい煙と結果との間の因果関係不存在の事実を認めるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。
2被告化成
イ 被告化成は、同被告四日市工場の排出するばい煙は少量であり、かつ、磯津地区から遠距離であるため、原告の罹患や症状憎悪と因果関係がない旨主張し、前記別表3によれば、同被告工場が重油を燃料として使用した過程において排出したいおう酸化物の量は、昭和三七年から同四二年までの間において被告六社工場の合計の0.05ないし2.06パーセント、平均0.79パーセントにすぎず、これに重油を原料として使用した過程での排出いおう酸化物量を、証人井上晃の証言により真正に成立したものと認められる乙は三二号証のⅠ系・Ⅱ系バッグフィルター、廃ガスボイラーの排出いおう酸化物量から算出して右別表3に加算しても微量であるため、右の割合はほとんど変わらないことが認められ、また、証人井上晃の証言およびこれにより真正に成立したものと認められる乙は三〇号証によれば、同被告工場が重油を原燃料として使用し始めたのは、昭和三六年一〇月ころからであると認められるが、これは前認定の原告石田かつ、亡今村善助の罹患の後であり、さらに<証拠>により認められる同被告工場のいおう酸化物のボサンケ、サットン式による磯津地区到達濃度の計算結果を総合すれば、前記のように右計算の結果をそのまま実際の到達濃度とは認め難いとしても、同被告工場の排出いおう酸化物に関する限り、原告らの罹患等との間の因果関係はないことが一応認められる。
ロ しかし、前記のように同被告四日市工場の場合は、被告油化工場との間に強い関連共同性が認められるので、同被告工場のばい煙の排出と被告化成工場のそれとは共同一体に考えるべきであり、たとえ被告化成のばい煙の排出が少量で結果に対する因果関係が認められないとしても、それだけでは免責されないと解すべきである。
ハ 分割責任の主張について
複数原因者による公害事件において、少量の排出者が全部責任を負担させられる不合理を避けるため、比較法的考察から分割責任論が有力に説かれている。
しかし、被告化成の共同不法行為責任を右のように被告油化との強い関連共同性にあるものとするときは、被告化成のみの分割責任の主張は到底採用できない。
3被告モンサント
イ 被告モンサントは、同被告四日市工場の排出するばい煙は微量であり、かつ、同工場が磯津地区から遠距離であるため原告らの罹患や症状増悪と因果関係はないと主張 し、前記別表2の4および前出甲二号証によれば、同工場の年間重油使用量は昭和三四年から同三八年までは、昭和三九年当時の四日市市内の公衆浴場一軒の平均年間重油使用量を下回り、昭和三九年の使用量は万古陶磁器製造工場の重油専焼工場(従業員一〇〇人ないし一九九人の工場および三〇〇人以上の工場)の平均年間重油使用量よりはるかに少なく、昭和四〇年以後において、昭和三九年当時の右従業員三〇〇人以上の工場の重油使用量と同程度になるにすぎないことが認められ、また、前記別表3によれば同被告工場のいおう酸化物排出量の被告六社工場の排出量の合計に対する割合は、昭和三五年から同四二年までの間において0.002ないし0.43パーセント、右各年合計において0.15パーセントにすぎないことが認められ、これらの事実ならびに<証拠>によつて認められる同被告工場の、いおう酸化物の前記ボサンケ、サットン式による磯津到達濃度の計算結果を総合すれば、前記のように右計算結果をそのまま実際の到達濃度と認めることはできないとしても、右被告主張のように同被告工場の排出いおう酸化物と原告らの罹患等との間に因果関係がないことが窺われる。
ロ しかし、前記のように、被告モンサント四日市工場の場合にも、被告油化工場との間に強い関連共同性が認められるので、被告化成の場合と同様に被告油化のばい煙についても同被告と共同一体に責任を負うべく、また、そうであるとすれば、被告モンサントのみの分割責任の主張も採用し難い。
4被告中電
イ 気象条件等と三重火力のばい煙
(一) 被告中電は、磯津地区の風向頻度からして三重火力のばい煙が同地区に到達することは少ないと主張し、前記第一のとおり、被告中電三重火力は、磯津地区のほぼ北ないし北北西約四〇〇ないし八〇〇メートルの位置に所在し、また、前出甲五号証によれば、四日市の昭和三六年から昭和四〇年まで五年間の年間平均風向は、北西風が二七パーセント、西および北風が各一〇パーセント、西ないし北風が全体の五〇パーセントを占めていることが認められ、右事実によれば、北北西風は全体の三パーセント以下となり、北風および北北西風の合計は、一三パーセント以下になることが計算上認められる。
しかし、ばい煙は水平方向にもある広がりをもつて拡散しながら流動してゆくものであるから、右北ないし北北西風の頻度のみをとらえ、これが少ないことをもつてただちに三重火力のばい煙の到達が少ないということはできない。
(二) また、同被告は、三重火力の燃料消費量の経年変化と磯津地区の汚染の経年変化とは逆の関係にあると主張し、前記別表2の5によれば、三重火力の重油使用量が、昭和三八年から同四二年まで年々減少し、昭和四一年の重油使用量は、昭和三八年のそれに比べて約四分の一に減少していることが認められ、一方、<証拠>によれば、磯津地区におけるいおう酸化物の濃度が、昭和三八年から同四一年までの間増加の傾向にあることが認められる。
しかし、<証拠>によれば、磯津地区の昭和三七年の濃度は、1.89mg/day/100cm2pbo2であることが認められ、<証拠>によれば、昭和四二年度は昭和四一年度に対して減少していることが認められるので、右昭和三七年から昭和四二年までを通じてみると、磯津地区において、いおう酸化物濃度が必ずしも増加の傾向にあるとは認め難いのみならず、前記のように北西寄りの風向が多くなる冬期(一一月から翌年四月)の磯津地区のいおう酸化物の濃度の経年変化は、別表10の2および別図11のとおりであつて、昭和三八年から同四二年まで減少の傾向にあることが認められるのである。
もつとも、右減少の程度は三重火力の前記重油使用量の減少の程度ほど顕著ではないが、右の差異から三重火力のばい煙が磯津地区の大気汚染に影響がないとは認め難い。
(三) 三重火力の運転休止と磯津地区の汚染
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
三重火力は、昭和四二年三月、四月、昭和四三年四月は無運転月であつたが、その間磯津地区のいおう酸化物の濃度は、右四二年三月において0.1ppm以上の観測回数が二〇一回、このうち五三回は0.2ppm以上、同年四月において0.1ppm以上の観測回数が一一四回、このうち二五回は0.2ppm以上、四三年四月においては、0.1ppm以上の観測回数が一六六回、このうち0.2ppm以上が二九回あつた。
また、三重県大気汚染緊急時対策要綱によれば、三重県知事は(1)二か所以上の測定点における測定値が、①0.2ppm以上である状態が三時間継続したとき、②0.3ppm以上である状態が二時間継続したとき、③四八時間の平均値が0.15ppm以上である状態になつたとき、(2)二か所以上の測定点における測定値が0.5ppm以上である状態になつたときであつて、気象条件等からみてこの状態が継続すると判断したときは、第一種警報を発し、第一種警報による措置にかかわらず、事態がさらに悪化して一か所以上の測定点における測定値が0.5ppm以上に達したとき(右(2)の場合は0.5ppm以上である状態がさらに一時間継続したとき)で、気象条件等からみてその状態が継続すると判断したとき第二種警報を発令すると定められているのであるが、昭和四二年二月七日、二二日、同年四月三日、三重火力が全部休転中に右第一種警報が発令され、また、同年五月一八、一九日には全部休転中であつたところ、第一種および第二種の発令が出された。
(2) しかし、以上の事実から三重火力のほかにもかなりの汚染源があることは窺われるが、三重火力が磯津の汚染と関係がないことまでは到底認め難い。
ロ 風洞実験
(一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
昭和四五年八月ころ、被告中電の依頼を受けて、同年一〇月ころ財団法人電力中央研究所が三重火力の排煙の拡散について風洞実験をした。
右実験設備は、電力中央研究所の中型拡散専用風洞(高さ1.5メートル、幅3メートル、長さ10メートル)を用いた。
実験の方法およびその結果は、次のとおりである。
(1) 三重火力の建屋および煙突について三〇〇分の一と一五〇分の一の縮尺模型をつくり、三〇〇分の一の模型による拡散実験にあたつては、鈴鹿川の堤防に相当するものを設けた。
右実験に用いた諸元は、実煙突高57.3m.排ガス温度1.54℃、放出速度10.5m/sec、排ガス量273×103Nm3/h、重油中のいおう分2.56%重油使用量19.7T/h、いおう酸化物排出量353Nm3である。
有効煙突高の測定に当たつては、排煙の熱浮力を条件に入れる必要上、ヘリウムを使用し、かつ、一五〇分の一の縮尺模型により、フルードの相似則によつて風速および煙突出口の排ガス速度を縮尺して実験をした。
その結果、三重火力の五七メートル煙突の有効高さは、風速六メートルのとき一三八メートル、風速九メートルのとき一一〇メートル、風速一二メートルのとき九九メートルと測定された。
右のようにして測定された煙突有効高さを用い、三〇〇分の一の模型を使用して風速四メートル、六メートル、八メートルの各場合につき拡散実験をした。
(2) 実験の結果は次のとおりである。
排煙の熱浮力をいれた本件拡散実験の結果は、風速四メートルのときは原告ら居住地(煙源から約六〇〇ないし八五〇メートル)の約一〇〇メートル上空、風速六メートルのとき同じく約七〇メートル上空、風速八メートルのときは同じく約四〇ないし五〇メートル上空を排煙の下限が通過し、原告ら居住地に着地しない。
(3) 風洞実験は、前記拡散式による地上濃度の算出方法が、拡散に関する多数の因子を理想化したできるだけ単純な仮定をもとにしてできているのに比べると、より正確に実際の拡散現象を現わしている。特に、浮力効果を入れない実験値は、実測値と一致しないが、実物と同じ排ガス密度にした実験は非常によい相関を示すといわれている。
また、本件実験において三重火力の現地実験はしていないが、実験担当者が、姫路や堺港における火力発電所の排煙の現地実験を行ない、これによつてフルードの相似則が本件拡散風洞で適用できることを検討確認した。
(4) なお、右風洞実験に用いた諸元は、運転実績をもとにして、機器の性能標準として設定した標準値(ボギー値)であるが、甲六九号証の二の設計値を諸元にした場合でも、前記実験結果に基づいて推定すれば、もつとも条件の悪い風速毎秒八メートルの場合において、0.1ppmの等濃度線が0.106ppmとなり、高さは約六メートル下る程度で、排煙が原告ら居住地上空を通過することに変わりはない。
また、前記実験は、実煙突高が五メートルの場合であるが、一二〇メートルの場合は、原告ら居住地のより高い上空を通過することになる。
(二) しかし、右風洞実験の結果も次の理由により、いまだ、三重火力のばい煙が磯津地区の汚染と因果関係がないことを認めさせるに十分ではない。
(1) <証拠>によれば、風洞実験は、大気の拡散状態を調べるのにもつともすぐれた方法ではあるが、それでも現実を完全に再現できるものではなく、とくに大気の自然風と風洞気流の相似が問題であつて、拡散風洞実験では、実験技術以外に、理論上の問題として相似律そのものに問題点がまだ多く残されていることが認められる。
(2) 証人本間端雄の証言によれば、本件風洞実験は、大気の安定度が中立状態である場合を前提として行なわれ、右中立状態は、日本で約七〇パーセントの出現率であることが認められる。
そうすると、仮に四日市の気象条件が右の日本の標準気象条件をそなえているとしても、中立状態以外の約三〇パーセントの気象条件のときについては、本件実験では判明しないことになる。
(3) 前記各証拠によれば、本件風洞実験は、二号ボイラーについて行なわれたものと認められるが、<証拠>によれば、その他の一号、三号、四号各ボイラーの大きさ、重油の時間当たり使用量、排ガス量、排ガス温度、排出速度が異なつていることが認められ、単純に二号ボイラーの実験結果を類推しうるか否か問題がある。
(4) <証拠>によれば、三重火力の昭和三八、九年の重油使用量は、いわゆる第一コンビナート工場群の中でも圧倒的に多量であることが認められる。
また、別表3の被告六社工場のいおう酸化物の排出量においても、昭和三五年から同三九年までは群を抜いて多量であり、特に、昭和三五年から同三八年までは六社合計の約三分の二を占めている。
したがつて、もし本件実験の結果がそのまま現実を示すものとすれば、いおう酸化物の濃度分布は、たとえ拡散による稀釈現象を考慮しても、三重火力から二キロメートル以内のところは、比較的濃度が薄く、二キロメートル以上離れた地域から高濃度が観測されてもよさそうであるが、前記別図5の1ないし4によれば、四日市の濃度分布は、右と異なつているのである。
ハ 右イ、ロの事実を総合しても同被告主張の三重火力のばい煙が結果の発生と因果関係がないとの事実を認めさせるにたらず、他にこれを認めるにたりる証拠はない。
5被告石原
イ <証拠>によれば、次の事実が認められる。
前認定のように、被告石原四日市工場は、磯津地区の北ないし北東に所在する。
そこで、磯津地区における風向と、いおう酸化物濃度との関係を、昭和四二年一月一日から同年四月三〇日までの四か月間の記録に基づき、統計的手法を用いて検討した。
その資料は、磯津における亜硫酸ガス濃度自動測定記録計によるいおう酸化物濃度を、三重県立大学医学部測定資料から拾い、風向の資料は、磯津漁業協同組合における観測結果を気象庁測定資料から抜すいした。
その検討の結果は次のとおりである。
(一)(1) 被告石原四日市工場のばい煙が、もつとも磯津地区に向かいやすい北北東の風の場合について、右磯津地区において、北北東風が観測された日の同地区のいおう酸化物濃度最高値と、北北東の風向におけるいおう酸化物濃度の最高値の頻度との対応関係をみて、その相関係数を求めると、五パーセントの危険率でマイナス0.974で逆相関になつており、また、磯津において、北北東風が観測された日におけるいおう酸化物濃度の最高値と、北北東風の出現頻度との相関性をみると、マイナス0.605で逆相関の関係が認められた。
(2) 右北北東風の場合のほか、北ないし東北東の風向について、右と同様の検討をした結果、磯津におけるいおう酸化物濃度最高値と右風向の最高値の頻度とはマイナス0.823、また、右最高値と右風向の全出現頻度との相関係数は、マイナス0.641と、いずれも逆相関の関係になることが認められた。
(二) さらに、各風向および無風状態ごとにそのときの濃度、度数分布をとり、これを比較すると、北北東風時の磯津のいおう酸化物濃度分布は、低いほうに属している。
また、各風向時のいおう酸化物濃度の平均値および磯津における全風向(無風時を含む)時におけるいおう酸化物濃度の平均値と、北北東風向時におけるいおう酸化物濃度の平均値とを比較すると、右北北東風向時の濃度は0.0561ppmであつて、西風時の濃度0.0678ppm、西北西風時の濃度0.1228ppm、北西風時の濃度0.0995ppm、北北西風時の濃度0.0985ppm、北風時の濃度0.0825ppmよりいずれも低く、かつ、全風向時の平均0.0655ppmよりも低い濃度を示している。
なお、北東風時の濃度は0.0409ppmである。
右のように、北北東および北東風時における磯津地区のいおう酸化物濃度は、原告らが、汚染源からの風向として問題にする他の風向時の平均濃度よりも低く、かつ、全風向時の平均濃度よりも低い。
(三) 四日市における北北東風の頻度は、四日市港管理組合測定資料によれば、昭和三八年から同四二年までの間を通じて、大体六パーセント前後であり、同期間中の平均も約六パーセントである。
また、磯津漁業協同組合における測定資料によつても、昭和四二年の右北北東風の頻度は、約六パーセントである。
ロ しかし、右(一)ないし(三)の事実については、次の理由によつて、いまだ被告石原四日市工場のばい煙が、原告らの被害との間に因果関係がないことを認めさせるにたらず、他に同被告主張の同被告のばい煙と結果との間の因果関係の不存在の事実を認めるにたりる証拠はない。
(一) 右(一)の統計的検討の結果、被告は磯津の一日最高値が高いときには、北北東および北ないし東北東の風が少なく、逆に北北東および北ないし東北東の風が多いときには、磯津の一日最高値が低いということが統計的にいえると主張し、これにそう証人山室利男の証言もあるが、<証拠>によれば、前記被告の統計的方法によつては、北北東および北ないし東北東の風が吹いた日という条件下での一日最高値と、その最高値の頻度を求めたのにすぎず、北北東風および北ないし東北東風と、磯津地区の汚染の因果関係を示すものではないことが認められるのである。
(二) 前記のようにばい煙は、水平方向にも拡散しながら流動してゆくものであるから、被告石原のばい煙の影響を、北北東風向だけに限定するのは妥当でないと解され、仮に北ないし北東風をも考慮に入れるとすれば、<証拠>によれば、前記四日市港管理組合における昭和三八年から同四二年までの平均風配図によれば、北風が約一〇パーセント、北東風約五パーセントで、北ないし北東風を合わせると二一パーセントとなり、決して磯津へ向かう風向が少ないとはいえない。
また、たしかに、北北東風時の磯津地区の濃度は、他の西北西ないし北風の時より濃度が低いが、別図1によつても認められるように、北西風等の場合には、他の被告ら工場の複合による影響が考えられるのに反し、北北東風の場合は、風上に被告石原四日市工場が存在するだけであり、また、比較的低濃度であるとはいえ、前認定のように、平均0.0561ppmになるのであつて、これは、前記いおう酸化物の環境基準の一である年間を通じて、平均値が0.05ppm以下である日数が、総日数の七〇パーセント以上維持されることという濃度をこえるのであつて、同被告の因果関係がないとの主張は、到底採用し難い。
第三 被告らの責任
一 過失
1 予見可能性
(一) 戦前における鉱毒事件
<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
わが国における戦前のいおう酸化物による公害の代表的なものとして、銅製錬工場等から排出されるいおう酸化物による農作物や人体に対する煙害が挙げられており、中でも次の足尾銅山事件、別子銅山事件、日立鉱業事件は、著名である。
(1) 足尾銅山事件
明治二三年ころ、足尾銅山の銅製錬に伴うばい煙による煙害がひどく、翌二四年田中正造が帝国議会で足尾鉱毒問題をとり上げ、以後毎回政府に対策をせまつた。
明治三〇年足尾銅山は、政府鉱毒調査会の勧告で一〇〇万円余を投じて予防工事を行なつた。
(2) 別子銅山事件
明治二六年ころから住友鉱業別子銅山製錬所のばい煙による被害が深刻化し、農民は住友鉱業に再三抗議した。その被害は農作物だけでなく、呼吸器疾患の増加も挙げられている。
住友鉱業は、煙害の根本的対策として約一七〇万円を投じて製錬所を従来の新居浜から四阪島に移転したが、周辺の四郡に被害が続出し、公害対策としては失敗に終わつた。農民は、製錬の制限や中止および損害賠償を要求し、明治四三年農商務省のあつせんで和解ができ、住友鉱業は年間七万七、〇〇〇円の賠償金の支払い、製錬量の制限や一定期間の生産制限を約束した。なお、住友は、その後、排煙脱硫に努力し、昭和九年には大正五年にくらべて排出いおう量を一〇分の一以下、亜硫酸ガス濃度を五分の一以下にすることに成功した。
(3) 日立鉱業事件
日立鉱業は、大正二年政府の鉱毒調査会の勧告に基ずいて、通称阿呆煙突と呼ばれる大口径低煙突による排煙を行なつたが、被害が続出した。
そこで、日立鉱業は、大正三年、当時世界第一といわれた一五六メートルの煙突を建設した。
(二) 亜硫酸ガスによる職業病とその研究
証人吉田克巳(第一回)の証言によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
職業病としての亜硫酸ガスによる健康障害の例は古くから存し、医学の教科書等にもくり返し登載されている。
わが国では、大正年代から亜硫酸ガスによる職業病の論文が出ているが、昭和にはいつてから現在まで二〇〇近い報告がなされており、特に、いおう鉱山・銅鉛・亜鉛などの金属製錬所、硫酸工場等で亜硫酸ガスによる職業病の問題が起きていた。職業病としての亜硫酸ガスによる疾患例は、時代によつて差があるが、戦後、昭和二二、三年ころから昭和三〇年ころまでの報告例では、濃度が一ppmから一〇ppmまでくらいのところで報告されており、昭和三〇年ころから産業医学界において労働衛生上の環境許容値が発表勧告されている。
右労働衛生上の許容値は、一週六日間一日八時間の就業時間中、中程度の労働で生産に従事する年令層のうち、大部分に影響を与えない濃度ということを基準にして定められたものである。したがつて、右労働衛生上の許容値と一般の大気汚染とでは、後者が老・幼者など抵抗力の弱い者を含む全年令層が対象であること、長期にわたつて間断なく暴露されるものであること、およびばいじん等との相乗効果を考えなければならないことなどにおいて異なり、前者の場合にくらべて、より厳しく検討されなければならない問題である。
(三) 外国における疫学的研究例および煙害事件
<証拠>によれば、前記のように外国では、一九五四年ころから亜硫酸ガスの人体への悪影響が調査報告されていることが認められる。
もつとも、中には前記のように亜硫酸ガスの影響を認めない研究例もあり、煙害事件についてもばいじん説など亜硫酸ガス以外に原因を求める見解も存する。
(四) 英国発電所の脱硫の実施
証人吉田克巳(第一回)の証言によれば、次の事実が認められる。
英国では、第二次大戦前からバターシー、バンクサイド、フルハムなどの各火力発電所において、脱硫装置を設置し、脱硫を実施していた。
(五) 日本公衆衛生協会の厚生大臣に対する勧告
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
昭和三〇年一二月、日本公衆衛生協会は、厚生大臣に対し、亜硫酸ガスの生活環境許容値として、0.1ppmを越えてはならないとの答申を提出した。
(六) 以上の事実および証人吉田克巳(第一回)の証言によれば、わが国において昭和三〇年ころまでに、気管支炎の発生、呼吸機能上の閉そく性障害の惹起等の健康障害が、いおう酸化物によつて起こるということが、知られるようになり、その濃度として0.1ppmを越えると、右健康に与える影響が問題になりうるということが認識可能であつたと認められ、前記第二の四・3・イ(二)で説示した汚染の予見可能性と相まつて、被告らの操業の内容が絶えず多量のばい煙の排出を伴うものであることや、同被告らの資力、設備等からすれば、被告らに本件結果発生に対する予見可能性はあつたものと認められる。
(七) 被告らの反論について
被告らは、いおう酸化物の影響の場合は、その有無ではなく、その濃度や量が問題になるのであるところ、その濃度等について未だ定説はなく、(一)の戦前の事例は高濃度の事例であつて、本件に適切ではなく、また、ロンドン事件等も石炭によるばいじんの事例であると主張する。
たしかに前記(一)の事例はいずれも銅製錬の場合であつて、<証拠>によれば、被害地の濃度は、一〇〇ppm以上であつたことが認められ、ロンドン事件等については前記のようにばいじん説等があることが認められ、また、前記のように低濃度亜硫酸ガスの有害性については消極的な意見も存在する。
しかし、前記のように高濃度のいおう酸化物の有害性が、いろいろな煙害事件をとおして明らかにされていたのみならず、低濃度のいおう酸化物についても有害性が問題にされて研究がなされ、昭和三〇年に日本公衆衛生協会により0.1ppmという濃度の答申もなされていたのであるから、当時、本件について予見可能性がなかつたとは認め難い。
この場合、被告らのいうように科学的定説はないとしても、右答申等により、低濃度のいおう酸化物でも人の健康に悪影響がありうることは十分に予見しえたものというべく、本件の場合、右の程度の予見可能性をもつてたりると解すべきである。
2注意義務違反
(一) 立地上の過失
石油を原料または燃料として使用し、石油精製、石油化学、化成肥料、火力発電等の事業を営み、その生産過程において、いおう酸化物などの大気汚染物質を副生することの避け難い被告ら企業が新たに工場を建設し稼動を開始しようとするとき、特に、本件の場合のようにコンビナート工場群として相前後して集団的に立地しようとするときは、右汚染の結果が付近の住民の生命・身体に対する侵害という重大な結果をもたらすおそれがあるのであるから、そのようなことのないように事前に排出物質の性質と量、排出施設と居住地域との位置・距離関係、風向、風速等の気象条件等を総合的に調査研究し、付近住民の生命・身体に危害を及ぼすことのないように立地すべき注意義務があるものと解する。
ところで、証人宮本憲一の証言および弁論の全趣旨によれば、被告らは、その工場立地に当たり、右のような付近住民の健康に及ぼす影響の点について何らの調査、研究をもなさず慢然と立地したことが認められ、被告石原を除く被告五社について右立地上の過失が認められる。
(二) 操業上の過失
また、前記の如き事業を営む被告ら工場がその操業を継続するに当たつては、その製造工程から生ずるばい煙を大気中に排出して処理する以上は、右ばい煙の付近住民に対する影響の有無を調査研究し、右ばい煙によつて住民の生命・身体が侵害されることのないように操業すべき注意義務があると解される。特に、別表2の1ないし6によつて認められるように、被告ら工場は、操業開始後、逐次、施設を増大していつたのであるから、なおさら、右の義務が要求されるといわなければならない。
ところで、弁論の全趣旨によれば、被告六社が右付近住民に対する影響の調査研究等をなさず(被告石原において戦前の銅製錬時代に定点観測を行なつてこの点の配慮を示したことは認められるが、戦後事業内容や規模が変わつてからはしていない)、慢然操業を継続した過失が認められる。
二 故意
原告らは、おそくとも昭和三九年三月いわゆる黒川調査団の勧告後は被告らに故意があつたと主張する。
<証拠>によれば、原告ら主張のように、右黒川調査団の勧告において、四日市市の大気汚染、特に、いおう酸化物と磯津地区におけろ閉そく性呼吸器疾患との間に密接な関連性のあることが指摘されていることが認められる。
しかし、本件の場合のように被告ら工場のばい煙が複合して原告らに損害を生ぜしめたものであり、かつ、後記のように右被告ら工場のばい煙がそれぞれ排出基準を遵守していることが窺われることからすると、被告らが、それぞれ故意をもつてばい煙の排出を継続していたとは断定し難く、他に右事実を認めるにたりる証拠はない。
第四 被告らの違法性の不存在等の主張について
一 違法性不存在の主張
不法行為の違法性については、被侵害利益などの被害者側の事情と、侵害行為などの加害者側の事情とを総合較量し、被害者が社会通念上受忍すべき限度をこえないときにおいて違法性が阻却されるものと解される。
右のような観点から被告らの主張について順次検討する。
1被告昭石
被告昭石は、石油精製業の公共性ないし社会的相当性、ばい煙規制法や、大気汚染防止法の遵守、到達いおう酸化物の微量、および被害者が一部過敏性体質の持主であること等を理由に、被告昭石の排煙に違法性はないと主張する。
イ 到達いおう酸化物の微量
被告昭石のこの主張については、必ずしもこれを認め難いことは前説示のとおりである。
ロ 行為の公共性
右行為の公共性については、本件の被侵害利益が人の生命・身体というかけがいのない重大なものであることを考えると、到底違法性を阻却するものではない。
ハ 排出基準の遵守
被告昭石が右基準を遵守したとしても、それは行政法上の制裁を受けないにとどまり、右排出基準を遵守したからといつて、被害者が当然に受忍しなければならないものとは解し難く、本件の被侵害利益の重大性からすると、右基準の遵守をもつて受忍限度内であるとは到底認め難い。
ニ 被害者の特殊事情
前認定のように、本件原告らがすべて過敏性体質の持主であるとは、必ずしも認め難いのみならず、仮に、右のような素質的負因をもつていたとしても、大気汚染の対象となるような一定の地域の中には、右のような過敏性体質の持主が居住することも通常のことと解されるから、右を被害者側の特殊事情として、違法性不存在の一理由とすべき旨の主張は採用し難い。
ホ 以上の事由のそれぞれが理由がないのみならず、これらの事由を総合し、かつ被告石原が主張する場所的慣行性の主張等を合わせ考えても、本件原告らの被害の種類、程度と比較するときは、被告の行為を受忍限度内のものと認めるにたらない。
2被告油化
同被告は、同被告が四日市に工場を建設したのは、国の石油化学工業育成策や地元の経済的発展に寄与すると認めたうえでの誘致によるもので、行政基準を遵守してきたのであるから、社会的に相当な行為であると主張するが、行政基準の遵守が、本件の場合違法性不存在の理由にならないことは前説示のとおりであり、その他の右主張事実も、前記被告昭石の公共性の主張と同様に解されるので、同被告と同様理由がない。
3被告化成
イ <証拠>によれば、同被告工場のばい煙の排出が大気汚染防止法の排出基準を遵守していることが認められるが、前説示のとおり、右は違法性不存在の理由とは解し難い。
ロ 同被告は、そのばい煙の地上到達濃度が微量であるから、受忍限度内である旨主張する。
しかし、前認定のように、同被告の場合は自社において重油を燃焼して蒸気をつくるかわりに、被告油化から供給を受け、また、コンビナートの一員として、とりわけ右被告油化と強い関連共同性を有する点において、共同不法行為を構成すると解すべきものなのであるから、右被告主張は理由がない。
ハ 以上の事由がそれぞれ理由がないのみならず、これらを総合し、被告石原主張の場所的慣行性の事由等を合わせ考えても、原告らの被害が生命・身体という貴重なものであることと比較すると、違法性を阻却するものとは到底解し難い。
4被告モンサント
同被告主張の事業の社会的価値、法規適合性の主張については、前記他の被告らの同様の主張について説示したとおりである。
<証拠>および別表3によれば、同被告の重油使用量およびいおう酸化物排出量は、前記被告化成よりもさらに微量であることが認められるが、前記被告化成について述べたように、被告モンサントの場合も被告油化から蒸気の供給を受け、コンビナートの一員として特に被告油化と強い関連共同性を有するのであるから、自社のばい煙が微量であることだけから違法性がないとは認め難い。
5被告中電
事業の公益性または公共性については、同被告の強調するところであり、右主張にそう<証拠>もあるけれども、基本的には、被告昭石の主張に対して判示したことが被告中電についても当てはまるのであつて、違法性を阻却するものではない。
また、排出基準の遵守についても、他の被告らについて述べたとおりである。
6被告石原
同被告主張の事業の社会的価値については、他の被告らについて述べたとおりであり、証人中谷林平の証言および<証拠>によれば、同被告工場において排出基準を遵守していたことが認められるが、これも他の被告について述べたように違法性を失わせるものではない。
イ 場所的慣行性
被告ら工場の所在地をはじめ、四日市市の海岸部にいわゆる臨海工業地帯が形成されていることは当裁判所に顕著な事実であり、<証拠>によれば、原告ら居住の磯津地区は、建設省告示により昭和三七年二月から準工業地域に指定されたことが認められる。
しかし、右原告らの居住地が、工業地域に隣接し、かつ、準工業地域に指定されていることから、原告らが生命・身体の危険にさらされてもなお受忍すべきだとする理由はない。
いわゆる場所的慣行性も被侵害利益との較量のうえに決せられるべきものである。
ロ 先住関係
前認定のように原告塩野、同柴崎が磯津に居住したのは、別表4記載のとおり、それぞれ昭和三四年七月、同三一年一月であり、いずれも被告石原の操業開始後である。
しかし、土地の先後関係も、被害が財産的損害に止まるときは格別、人の健康である場合は考慮されるべきではないと解される。
もつとも、被告主張のように被害者が加害工場から被害を受けることを認容しつつ移住し、いわば、すでに存在する危険を任意に引受けたと認められるときは、問題の余地があると思われるが、右原告らが右のような認容または予見を有しながらあえて移住してきたと認むべき証拠はない。
ハ そして以上の事由を総合しても、原告らの被害の性質、程度等と比較較量するときは、被告の行為が受忍限度内のものとは認め難く、右被告の主張は採用できない。
二 結果回避不能および最善の防止措置
1被告らは、過失は結果回避義務違反であるから、結果の回避が不可能であり、被告らがそのなしうる最善の大気汚染防止措置を講じて、結果回避義務を尽した以上被告らに責任はないと主張する。
右被告ら主張をどのように考えるべきかについては、説の分かれるところであるが、最善のまたは相当の防止措置を講じたか否かをもつて、直ちに、責任の有無を決するのは損害の公平な分担という不法行為制度の目的に照して妥当ではなく、他の要素をも総合して、受忍限度をこえた損害があつたと認められるか否かによつて決すべきものと解するのが相当である。
そうであるとすれば、前記のように本件被害が付近住民の生命・身体というかけがえのない重大なものであるときは、被告ら主張の最善の防止措置に前記事業の公共性その他の事由を総合しても、なお受忍限度内のものとは解し難く、被告らの主張は理由がないというべきである。
2仮に、被告ら主張のように、過失を結果回避義務と解し、最善または相当の防止措置を講じたときは、免責されると解するとしても、公害対策基本法が、経済との調和条項を削除して、国民の健康の保護や生活環境の保全の目的を強調する改正を行なつたことにかんがみると、少なくとも人間の生命・身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術・知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような措置を怠れば過矢を免れないと解すべきである。
防止措置を右のように解したうえで、被告らの主張について検討しておくこととする。
イ 立地上の問題
被告油化、同中電らは、同被告らが四日市に進出するについては、国の勧奨や三重県など地元の熱心な誘致によるもので、被告油化の敷地および建物は、県条例による奨励金の交付に代えて、引き渡しを受けたものであると主張する。
たしかに、証人宮本憲一の証言によつても、被告らコンビナート工場群が四日市に進出するについて、当時の国や地方公共団体が経済優先の考え方から、工場による公害問題の惹起などについて事前の慎重な調査検討を経ないまま、旧海軍燃料廠の貸し下げや、条例で誘致を奨励するなどの落度があつたことは窺われるけれども、<証拠>によれば、企業側において激烈な払い下げ運動が行なわれた結果、前記のようなシェル、三菱グループへの貸し下げ等が定まつたものであることが認められ、被告中電三重火力にしても、同被告の申請があつたればこそ、被告主張の行政庁の決定がなされたものと解されるので、いずれも被告らの過失を否定するにたりないというべきである。
ロ 操業継続上の結果回避可能性および最善の防止措置
(一) 結果回避可能性
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
わが国の輸入原油は、いおう分の含有率の高い中東地域に多く依存しているが、これは世界の石油利権の状況や、これまでの海外油田開発の推移からしてやむをえないところとされていたが、これをいおう分の少ない原油に是正することは、なかなか実現の困難な問題である。
脱硫には、重油脱硫と排煙脱硫とがあり、前者はさらに間接脱硫と直接脱硫、後者は湿式脱硫と乾式脱硫とに分かれる。
間接脱硫は、従来多く工業化が行なわれているが、中東からの二ないし三パーセントのいおう分を含む原油からこの方法でえられる重油は、昭和四五年現在でいおう含有率1.5パーセント程度までが限界といわれている。
直接脱硫は最近(昭和四五年ころ)政府の大型プロジェクトの対象になつているもので、この方法によると重油中のいおう分七五パーセントが脱硫できるといわれている。
しかし、この方法は建設費が高額で、高温・高圧下での水素添加という技術的な困難さ等に問題点が残されている。
排煙脱硫の湿式法は、装置が比較的小型、簡単であるが、排ガス温度が低下するため拡散が悪く、気象条件によつては煙突近傍で局地的に高濃度汚染をひき起こすおそれがあり、かつ、排液処理に問題がある場合が多いので、どちらかといえば少排ガス量の処理向きである。
原告ら主張のバターシーおよびバンクサイド発電所の脱硫は、右湿式法であるが、右に述べたような短所があり、右発電所でも局所公害を起こしているといわれている。
乾式法は、処理後の排ガス温度が高く、拡散性がすぐれているので、大排ガス量の処理等に適している。乾式法にもいろいろな方法があるが、被告中電が昭和四五年ころに実験した活性酸化マンガン法によると、平均九〇パーセントの脱硫率をえた。
亜硫酸ガス除去の工業プラントは、濃厚ガスについては実施例が多いが、稀薄ガスについてはあまり実施されておらず、昭和四〇年前後にテストプラントが建設されたような状態である。
前記黒川調査団もその報告書の中でわが国においては、エネルギー政策上いおう分の多い中近東原油を多く使用せざるをえず、しかも、いおう酸化物を処理する技術は、わが国においてのみならず、世界各国においても未開発の状態であるとしている。
(2) しかし、いおう酸化物による大気汚染においては、前認定のように、人の健康に及ぼす影響との間に、量と効果の関係が認められるのであるから、たとえ、抜本的な防止措置が当時なかつたとしても、相当程度に汚染を軽減、防止しうる措置が存した以上は、回避不可能ということができないと解されるところ、<証拠>によれば、右排煙脱硫の稀薄ガス脱硫が実施されていなかつたのは、亜硫酸ガスの稀薄ガスは化学工業のいおう原料資源として利用するには、あまりに条件が不利で経済性に乏しい原料であることに基因し、主として、経済的理由によるものであることがうかがわれ、<証拠>によれば、黒川調査団によつて、被告ら工場等に対し高煙突化など種々の汚染対策が勧告され、前認定のようにこれらを逐次実施することによつて、磯津地区の汚染がある程度改善されたのであるが、右対策の内容は技術的には操業開始当初から被告らになしえないものではないことが認められ、これらの事実に後記のように、被告ら工場が必ずしも最善の防止措置を尽したとは認め難いことなどを合わせ考えると、右被告らの立証のみでは、結果回避が不可能であつたことを認めさせるに十分ではなく、他にこれを認めるにたりる証拠はない。
(二) 共同不法行為における結果回避可能性
被告昭石は、一企業が他企業のいおう酸化物の排出量または到達量を措止することは不可能であり、そのような義務はないと、主張する。
しかし、共同不法行為の場合、当該企業のばい煙の排出と結果の発生または拡大との間に、前記第二の四・2で説示したような因果関係があることを要するのであるが、そうであるとすれば、当該企業において自社のばい煙が、結果の発生または拡大に寄与することがないよう抑止すべき義務があるものというべく、その限りでは右回避可能性があるというべきである。
特に、本件の場合、被告昭石と被告三菱三社とは、機能上密接な関係を有し、一社の生産設備の増減が他社のそれに影響を与える場合が少なくないのであるから、右被告間において排出量について協議し、対策をたてて実行することもあながち不可能ではないと解される。
(三) 最善の防止措置
(1) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
被告昭石は、四日市製油所建設に当たり、その属する世界に数十の製油所をもつロイヤル・ダッチ・シェルグループの技術をとり入れ、国際水準をいく製油所として建設された。
そして当時、製油所としては日本で最も高い六〇メートル煙突およびボイラー煙突として最高の四五メートル煙突を建設した。
また製油所建設後においては、昭和三六年三月および同三九年二月に、アスファルト製造装置を完成して重油からいおう分の多いアスファルト質を製造除去し、昭和三五年四月から同四〇年一月までの間に燃料ガス洗滌装置、昭和四〇年一月水添式脱硫装置を設げて排ガス中のいおうの除去や重油の低いおう化をはかり、昭和四〇年一一月と同四二年六月に煙突を一二〇メートルと一一〇メートルに建て替えた。
(2) 証人珠渕俊茲の証言および<証拠>によれば、次の事実が認められる。
被告油化四日市工場および旭分工場の各ばい煙発生施設は、世界の一流のメーカーの製作になるものである。
(3) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
被告化成四日市工場は、昭和三八年三月にカーバイド大型電炉に密閉化設備を施こし、小型電炉に集じん装置を設け、ばいじんの除去につとめた。
また、カーボンブラック製造設備において冷却器における水洗、ジェットコレクター等により亜硫酸ガスが一部除去される。
(4) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
被告中電三重火力は、当時最新鋭の火力発電所として建設されたが、直接の大気汚染対策としては、別表2の5記載のとおり、低いおう重油の使用につとめ、同表記載のとおり、昭和四〇年一一月と同四五年三月に従来の57.3メートルの煙突四本を一二〇メートルの煙突二本に建て替え、遠心力集じん器および電気集じん装置を設け、昭和四〇年四月低いおう重油タンク、各ボイラー稼動と同時に看視装置等をそれぞれ設置した。
また、活性酸化マンガン法の開発につとめる等脱硫に関する研究開発を積極的に行なつた。
(5) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
被告石原四日市工場の硫酸製造工程におけるいおう効率(得酸率)は、全国平均よりも高い水準にある。
酸化チタン、硫酸、燐酸、燐安、改質石膏、過燐酸石灰、化成肥料の各製造部門に各種の防除設備をもうけ、各ボイラーは、すぐれた性能を有している。
また、各製造設備および防除設備は、点検基準表に基づいて厳格に点検している。
そのほか、石油精製工場から出る酸スラッジと酸化チタン工場の硫酸鉄とから硫酸を製造する技術を開発し、また酸化チタンの廃硫酸の工業的利用を開発するなど、環境保全に貢けんした。
(6) 以上のように被告らにおいて、種々の防止措置を講じ、また、防止のための研究開発を行なうなど努力していることが認められるけれども、前出甲三〇号証の一ないし三によれば、前記黒川調査団によつてコンビナート関係工場は、操業開始当初、生産設備の増強に熱心であつたがためか、公害の防除のための研究が十分でなく、公害防除のための努力に欠けるところがあつたと指摘されていることが認められ、前認定のような脱硫酸装置や、高煙突の技術的可能性および<証拠>によれば、右(1)ないし(5)の事実をもつて、被告らが経済性を超越して最善の防止措置を尽したとは到底認め難く、他にこれを認めるにたりる証拠はない。
第五 損害
一以上判示したように、被告らは原告らに対し、共同不法行為により連帯して原告らの受けた損害を賠償すべき義務があるというべきところ、公害事件における賠償責任の特質として、第一に、公害においては、交通事故等通常の人身に対する侵害と異なり、被害者が加害者の立場になりえないという立場の互換性がないこと、第二に、公害は環境の破壊を伴なうものであるため、付近住民らにとつて回避が不可能であるということ、第三に、公害による被害は広範囲にわたり、社会的な影響が大きいとともに、企業側にとつて賠償すべき損害額が、通常、莫大になるということ、第四に、公害においては、原因となる加害行為が当該企業の生産活動の過程において生ずるものである以上、右生産活動によつて利潤をあげることを予定しているのに反し、被害者である付近住民らにとつて、右活動から直接えられる利益は存しないこと、第五に、公害は一定地域の住民が、共通の原因により共通の被害を受けるものであるから、被害者間の被害は、その意味において平等であるということがいわれているが、この理は本件の場合にも基本的に妥当すると解される。
また、賠償責任を考えるうえでの本件疾患の特徴として、証人柏木秀雄同佐川弥之助の各証言および弁論の全趣旨によれば、次のことが認められる。
原告らの本件疾患は、慢性肺気腫を除いて、一般に可逆的であるが、本件疾患に対する根本的な治療法は未だなく、空気清浄室への入室、発作時の注射、薬品の吸入等の対症療法によつて、その苦痛を押さえているのが現状である。のみならず、入院治療により症状が軽快して退院しても、大気汚染が継続する限り早晩再入院は免れ難い。
しかし、後記のように、病気の重さの程度にもよるが、ぜんそく発作のないときは、外見上、通常人とあまり変わりがなく、労働も制限付きで可能である。
その反面、ぜんびく発作はいつ起こるか予測し難く、絶えず発作におそわれる不安にさらされ、いつたん発作が起これば、仕事を中止して療養を余儀なくされるのである。
二 喪失利益
1右に述べたような公害事件の特質および本件疾患の特徴を考慮しながら、喪失利益の争点のうち、原告らに共通した問題について検討する。
イ 本件疾患は、前記のように発作のないときは、外見上、通常人とほとんど変らず、後記のように労働が制限されるのは、限度を越えた労働に従事することによつて心臓に負担がかかるからであり、手足を失なつたときなどのように、目に見えて労働能力が失われるのと趣を異にする。
したがつて、罹患後、短期間に収入の減少をきたすことはむしろ稀であり、長期間のうちに漸次減少していくという傾向がみられる。この場合、罹患前後の収入を比較して、その差額によつて喪失利益を算定することはかなり困難であり、結果も妥当ではない。
また、自身や家族の生活を維持するため、病気の治療上は好ましくないにもかかわらず、無理に稼働して収入を得た場合、これを損害額から控除することの不公平はいうまでもない。
もともと、喪失利益の算定については、被害者が罹患後実際にいかなる収入をあげているかということよりも、いかなる収入をあげる能力が残されているか、逆にいえば、いかなる能力が奪われたかが問題なのであり、残存能力を実際に利用するか否か、利用するとして、どのように利用するかは、必ずしも考慮する必要はないと解される。
以上の理由により、本件の場合は、労働能力の喪失自体をもつて損害と認めるのが相当である。
ロ 公害事件においては、前記のように、付近住民が広範囲にわたつて被害を受け、かつ、被害者は、同一環境下の住民が同じ加害行為により損害を受けたという意味において平等であるから、多数の被害者にできるだけ公平かつ迅速な救済を与えるという観点から、その賠償額の算定に当たつては、定型化が必要であると解される。
そうすると、原告らの全労働者の性別、年令、階級別平均賃金による損害額の主張も理由があるというべきである。
ハ(一) 原告らは、労働能力は現実の社会での稼働能力であるが、原告らはいずれも主治医によつて入院治療が必要とされているから、このような意味での労働能力は全くないと主張する。
しかし、原告ら本人尋問の結果によれば、後記2のように原告らの一部の者は、入院中においても労働に従事していることが認められ、原告柴崎利明、同野田之一各本人尋問の結果によれば、病院側でも患者の病状等を勘案したうえ、暗黙のうちにこれを承認していることが窺われ、かつ、証人柏木秀雄の証言によれば、塩浜病院の主治医の一人である同人においても、原告らの一部の者は発作がないときは就労可能であるとしていることが認められるのであつて、これらの事実ならびに鑑定人佐川弥之助の鑑定の結果(以下佐川鑑定という)および証人佐川弥之助の証言によれば、原告らのすべてが右入院加療中であるということだけから、労働能力が全くないとの原告ら主張は、にわかに採用し難い。
(二) 被告らは、原告塩野、同中村、同柴崎、同野田らに、本件疾患による収入の減少などの現実の損害はないから、喪失利益はないと主張する。しかし、本件の場合は、前記のように労働能力の喪失自体をもつて損害を認めるのが相当であるのみならず、右原告ら本人尋問の結果によるも、後記のように、原告らは本件疾患により職業を変更し、稼働日数を減少し、あるいは兼業である日雇をやめるなどして、収入が減少したことが窺われるので、右被告らの主張は理由がない。
ニ(一) 佐川鑑定および証人佐川弥之助の証言によれば、次のとおり認められる。
佐川鑑定は、原告らの労働能力の有無およびその程度を肺機能検査およびぜんそく発作等の組合わせにより(ぜんそく発作等を肺機能の状態に還元して)、L0ないしL3の四段階に分けて鑑定した。
右L0ないしL3の内容は、次のとおりである。
L0は労働能力の低下は全くなく、社会での日常生活活動はなんら制限されない。
L1は労働能力の低下はみられるが、社会での日常生活活動はほとんど制限されない(しかし、医療は必要とする)。
L2は労働能力はきわめて低下し、社会での日常生活活動を著るしく制限しなければならない(入院が望ましい)。
L3は労働能力は喪失し、家庭内、自己の身辺の日常生活活動を極度に制限しなければならない(入院を要する)。
より具体的に言えば、L0は労働能力は通常人と同じという意味で一〇〇パーセントある。これに反し、L3は労働能力は完全に失われ零と考えられる。
L1は医学的にみれば、肺機能が三〇パーセント減少、L2は五〇パーセント減少しているということであるが、肺には通常三倍くらいの予備能力があり、一般の労働が、おおよそ通常の1.5倍くらいの肺の血流量で仕事をしていると考えられるから、右L1は通常の労働には支障がなく、L2は通常の労働がその上界であるので、これに従事するときも、ある程度制限を受け、一般に労働に従事するときは、医師の指導等が必要である。
労働の程度が右に述べたような各上界を越えると、心臓に負担がかかることになる。
以上のように認められる。
右認定事実によれば、右L1の労働能力は、労働基準法施行規則別表第二の第一一級九号にほぼ該当すると認められるところ、入院中であることから受ける制約などを合わせ考えると、その労働能力喪失率は三〇パーセントと認めるのが相当である。
また、右L2については、右別表第二の第七級第五号よりやや軽度の障害と認められるので、その喪失率は五〇パーセントと認めるのが相当である。
ただし、労働能力の喪失の程度をあまり短期間に区切つて考えることは、現実社会における労働能力の評価という点からして相当ではなく、また、病状が可逆的であり、かつ、その状態が本人にとつて必ずしも覚知されないという本件疾患の特質に鑑みても、必ずしも妥当ではない。
そこで、本件の場合は、少なくとも、ある六か月間の労働能力の喪失割合が、その前後の六か月間の喪失割合より、より低いときは、前後の労働能力の喪失割合に応じて、当該六か月間の喪失割合を修正するのが相当である。
(二) 原告らは、右佐川鑑定は入院治療効果を含めて評価していることおよび退院後の生活環境を考慮していないことの二点において、基本的な欠陥を内在させていると主張する。
しかし、入院治療の効果を除いて労働能力をはかるべきであるとの主張は、にわかに採用し難く、むしろ、入院治療中であることは、入院規律に服さなければならず、稼働先もおのずから制限されることになるのであるから、その意味において前記のように労働能力を考えるうえで、マイナスの要因として加味されるべきである。
被告らは、佐川鑑定の鑑定方法の根拠とされているじん肺法施行規則および身体障害者福祉法施行規則は、病状の固定またはその病状の永続を前提とするものであるが、本件疾患は可逆性の疾患であるから誤りであると主張する。
たしかに、佐川鑑定を将来の労働能力の予測に用いるには、その症状の固定化の度合いを慎重に見きわめなければならない。しかし、鑑定時までの分について、比較的短期間に区切りながら、カルテその他の資料に基づいて、前記じん肺法施行規則等に準じて測定をしたとしても、あながち不当ではない。
その他、原告らがその第一七準備書面において、被告らが昭和四七年一月一八日付共同準備書面において、それぞれ主張する佐川鑑定の欠点も、佐川鑑定の信用性を否定し、または佐川鑑定の結果を左右するにはたらないと認められる。
2次に、原告らおよび亡今村善助、同瀬尾宮子の個々の喪失利益について検討する。
イ 原告塩野輝美
(一) 前認定のとおり、同原告の生年月日、発症の時期は、別表4の同原告欄記載のとおりである。
原告塩野輝美本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
同人は、右発症当時船大工手伝兼請負であつたが、発症後請負をやめ、昭和四一年五月ころから漁師を兼業し、昭和四二年五月ころ船大工をやめ、その後、約一年間常滑市でしゆんせつ船に乗り組み、その後、水道配管工事手伝いや大工を職として現在に及んでいる。
また、<証拠>によれば、各年度の全労働者の性別、年令、階級別平均賃金は、別表6のとおり(ただし、男子労働者の②の六〇才以上の欄は七万九、四〇〇円)であると認められる。
そして、佐川鑑定の結果によれば、昭和四〇年後半(後半はその年の七月一日から一二月三一日までを指し、その余の期間を前半とする。以下同様である。)から昭和四六年前半までの間の労働能力の喪失割合は、別表44(同鑑定のたとえば、L>1は確実なところを認定するということからしてL1と認むべきである。以下他の原告らについても同じ。)のとおりである。
以上により、同人の昭和四〇年七月一日から同四六年六月三〇日までの間の喪失利益を算定すると、次のとおりである。
(二) 証人佐川弥之助の証言によれば、昭和四六年後半以後の原告塩野の労働能力については、鑑定時現在の発作状態が継続することを前提として、L1の状態続くものと推定されるが、現状どおり継続するか否かは不明であることが認められ、同人の疾患が、前記のように可逆的流動的であることを合わせ考えると、将来の労働能力の予測は、かなりの困難が伴うことは否定し難いところである。
しかし、前記のとおり、原告塩野の過去六年間の労働能力は、L1ないしL3の段階にあつたものであり、また、前記一のように原告の退院の予定はたたず、かつ、居住地区の大気汚染が続く限り、早晩再入院が避けられないことなどを合わせ考えると、原告塩野の労働能力は右L1の状態が継続するものと認めるのが相当である。
そこで、同人の昭和四六年七月一日以後の労働能力をL1とし、前記同人の生年月日によれば、同人の昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は、別表5のとおりと認められるから、これらにより、ホフマン式計算法により一年ごとに年五分の割合による中間利息を控除して、昭和四六年七月一日の現在額を算定すると、次のとおりとなる(原告の遅延損害金の請求の起算日は、昭和四六年一二月八日であるが、計算の便宜上、原告主張の同年七月一日によることとする。以下亡今村善助、同瀬尾宮子を除く他の原告らについても同様である)。
(三) 右(一)、(二)の合計額は、別紙二のとおり八二七万二、二六五円である。
ロ 原告中村栄吉
(一) 前認定のとおり、同人の生年月日、発症の時期は、別表4の同原告欄記載のとおりである。
原告中村栄吉本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。
同人は、右発症当時、漁船の船頭兼日雇であつたが、発病後ころから魚の運搬船に乗り組み、日雇はやめて現在に及んでいる。稼働日も減少している。
また、前認定のように、各年度の全労働者の性別、年令、階級別平均賃金は別表6のとおりである。
そして、佐川鑑定の結果によれば、昭和四〇年後半から昭和四六年前半までの間の労働能力は、別表44のとおりであると認められるが、前記二・1・ニ(一)の理由により、昭和四一年、四二年、四三年各後半の喪失割合はいずれもL3であると認めるべきである。
右により、同人の昭和四〇年七月一日から同四六年六月三〇日までの喪失利益を算定すれば、次のとおりである。
(二) 証人佐川弥之助の証言によれば、原告中村の昭和四六年後半以後の労働能力については、鑑定時現在の発作状態が継続することを前提とすれば、L2であると推認され、前記別表44のように、同人の過去六年間の労働能力がL3とL2の間を変動してきたことおよび原告塩野の項で述べたように、大気汚染が継続する限り、本疾患の治ゆが望み難いことなどを合わせ考えると、同人の将来の労働能力は、控え目にみても、右L2の段階を持続するものと認めるのが相当である。
また、同人の生年月日によれば、同人の昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は、別表5のとおりであると認められ、以上によつて、同人の昭和四六年七月一日以降の喪失利益をホフマン式計算法により、一年ごとに年五分の割合による中間利息を控除して右同日の現在額を算定すると、次のとおりになる。
(三) 右(一)、(二)の合計額は、別紙二のとおり七〇九万三、二六〇円である。
ハ 原告柴崎利明
(一) 同人の生年月日、発症の時期は、別表4の同原告欄記載のとおりである。
原告柴崎利明本人尋問の結果によれば、右発症当時の同人の職業は、漁師兼日雇であり、発病後現在まで右職種に変わりはないが、漁船のほうは他人が一か月二〇日出漁するところ、同原告の場合は一六日程度、日雇は一か月一五日ないし一三日稼働する程度であることが認められ、佐川鑑定の結果によれば、昭和四〇年後半から同四六年前半までの労働能力は、別表44のとおりであると認められる。
右事実および別表6から、同人の昭和四〇年七月一日から同四六年六月三〇日までの喪失利益を算定すれば、次のとおりである。
(二) 証人佐川弥之助の証言によれば、原告柴崎の昭和四六年後半以後の労働能力は、鑑定時の登作状態が継続すればL2であると推定され、前記のように、過去六年間の同人の労働能力は一貫してL2であつたことおよび原告塩野の項で述べた本件疾患の治ゆの見込みなどを合わせ考えると、同人の将来の労働能力はL2の段階を維持するものと認められる。
また、前記生年月日によれば、同人の昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は、別表5のとおりであると認められ、以上により同人の昭和四六年七月以降の喪失利益をホフマン式計算法により、一年ごとに年五分の割合による中間利息を控除して右同日現在の額を算定すると、次のとおりである。
(三) 右(一)、(二)の合計額は、別紙二のとおり一、一四一万六一五円である。
ニ 原告藤田一雄
同人の生年月日、発症の時期は前認定のように、別表4のとおりであり、原告藤田一雄本人尋問の結果によれば、右発症当時の同人の職業は青果物商兼農業であると認められる。右同人の生年月日から、同人の昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は、別表5の同人欄記載のとおりと認められる。
また、佐川鑑定の結果および証人佐川弥之助の証言によれば、同人の労働能力は、別表44のとおりであると認められるが、前記二・1・ニ・(一)の理由により、昭和四一年前半の喪失割合はL3であると認むべく、また、同人は慢性肺気腫が加わり、将来も現状と同様に労働能力は喪失したままであることが認められる。
もつとも、佐川鑑定によれば、右労働能力の喪失には、被告らの指摘するように気管支拡張症の影響も加味されていることが認められるけれども、証人佐川弥之助の証言によれば、右疾病の労働能力に及ぼす影響は小さいことが認められ、同人の重篤な病状からして右気管支拡張症の影響を除外しても、右労働能力の喪失割合は変わらないと認められる。
以上の結果および別表6から同人の喪失利益を、昭和四六年七月一日から就労可能の期間の喪失利益についてホフマン式計算法により、一年ごとに年五分の割合の中間利息を控除して昭和四六年七月一日の現在額を算定すると、次の算式により、別紙二のとおり七六一万三、八六五円となる。
ホ 原告石田かつ
同人の生年月日、発症の時期は、別表4のとおりであり、原告石田かつ本人尋問の結果によれば、同人は右発症当時主婦で家事に従事するかたわら、内職に季節的に煮干し加工の手伝等に従事していたことが認められる。右同人の生年月日から、同人の昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は、別表5の同人欄記載のとおりと認められる。
また、佐川鑑定の結果および証人佐川弥之助の証言によれば、同人の労働能力は、別表44のとおりであるが、同鑑定人の分類による慢性肺気腫が加わり高令でもあるため、将来の労働能力が現在のL1より回復することはおそらくないことが認められる。なお、右鑑定によれば、昭和四四年後半および昭和四五年後半以降は、鑑定不能であることが認められるが、その前後の労働能力や右にみたような同人の疾患の固定化の傾向からすれば、右時期の労働能力はであると推認される。
ところで、主婦の喪失利益については、主婦の家事労働は現実に対価を取得していないけれども、右労働自体が財産的価値を有し、かつ、その評価も可能であるから、右労働価値自体の喪失をもつて喪失利益に準じ、これを財産上の損害として認めることができる。そして、右算定については、前記本件の特質をも考慮して、同人の前記季節的労働と合わせて、別表6の全女子労働者の年令階級別賃金によつて定めるのが相当である。
以上により、昭和四〇年七月一日以降の同人の喪失利益を、昭和四六年七月一日以後の分についてはホフマン式計算法により、中間利息を控除して算定すると、次の算式により別紙二のとおり一三七万九、〇九三円となる。
ヘ 原告野田之一
(一) 前認定のとおり同原告の生年月日、発症の時期は、別表4のとおりである。
原告野田之一本人尋問の結果によれば、同人は、右発症当時漁師兼日雇であつたが、発症ないし入院後は、漁師の仕事も通常人の八割くらい出漁する程度で、漁閑期は、ときどき人夫仕事に出掛ける程度であることが認められ、佐川鑑定の結果によれば、昭和四〇年後半から同四六年前半まで労働能力は、別表44のとおりであると認められる。
右事実および別表6から、同人の昭和四〇年七月一日から同四六年六月三〇日までの喪失利益を算定すれば、次のとおりである。
(二) 証人佐川弥之助の証言によれば、原告野田の昭和四六年七月以降の労働能力については、発作が鑑定時の状態で継続するとすれば、L2かL1(L2の可能性が強いが)であると認められ、佐川鑑定の結果によれば、過去六年間の同人の労働能力はL1ないしL3の間にあつたものであり、原告塩野の項で述べた本件疾患の治ゆの見込みなどを合わせ考えると、原告野田の将来の労働能力は、控え目にみても、L1の状態を持続するものと認められる。
また、前記生年月日によれば、同人の昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は、別表5のとおりであると認められ、以上により、同人の昭和四六年七月以後の喪失利益を他の原告らのようにして中間利息を控除して現在額を算定すると、次のとおりである。
(三) 右(一)、(二)の合計額は、別紙二のとおり八八七万五、五九六円である。
ト 原告石田喜知松
同人の生年月日、発症の時期は、別表4のとおりであり、原告石田喜知松本人尋問の結果によれば、同人の発症当時の職業は、公衆浴場業兼定置網漁業であり、前者は妻と長女に手伝わせ、後者は男二人を使用して営んでいたが、発病後、定置網漁業はやめたことが認められる。
同人の生年月日から、昭和四六年七月一日現在の年令および就労可能年数は別表5のとおりであると認められる。
また、佐川鑑定の結果および証人佐川弥之助の証言によれば、同人の労働能力は、別表44のとおりであるが、同鑑定人の分類による慢性肺気腫も加わり、かつ、老令であるため、将来の労働能力が現在より改善されることはほとんどないことが認められる。
以上の結果および別表6により、昭和四〇年七月一日以降の同人の喪失利益を、昭和四六年七月一日以降の分につきホフマン式計算法を用いて、年五分の中間利息を控除して算定すると、次の算式により別紙二のとおり三〇二万二、二一三円である。
チ 亡今村善助
(一) 同人は、前記認定のとおり、明治二三年三月二〇日生れで、昭和三六年一〇月閉そく性肺疾患に罹り、前記認定の経過をたどつて、昭和四四年三月一四日肺気腫による心臓死を遂げるに至つた。
原告今村末雄本人尋問の結果によれば、亡今村善助は、生前漁業に従事していたが、昭和三五年一〇月ころ、足首を捻挫し、二か月ほどで捻挫は治ゆしたが、高令でもあつたので、漁業をやめ、同年一二月ころから小遣銭稼ぎ程度の網補修の内職や家庭菜園(約三畝)の農耕に従事していたことが認められる。右のような、同人の職業に照らすと、前記のように公害事件の特質からして、抽象的な全労働者の平均賃金によることを原則として是認するにしても、それをそのまま同人の場合に適用するのは妥当でなく、右平均賃金の二分の一をもつて平均収入と認めるのが相当である。
佐川鑑定の結果によれば、同人の昭和四〇年七月一日から死亡までの労働能力は別表44のとおりであると認められるが、前記二・1・ニ・(一)の理由により、昭和四三年前半の喪失割合はL2であると認められる。
以上により、昭和四〇年七月一日から同四四年三月一四日までの喪失利益を算定すれば、次のとおりである。
また、同人は死亡当時七八才であり、就労可能年数は三年と認められるが、右死亡後の期間について控除すべき生活費は、収入の三分の一と認めるのが相当である。
右により、昭和四四年三月一五日から三年間の喪失利益を、ホフマン式計算法により、一年ごとに年五分の割合による中間利息を控除して、昭和四四年三月一五日現在の額に換算すると、次のとおりである。
(二) 右合計額は、別紙二のとおり金一三七万五、三〇五円である。
リ 亡瀬尾宮子
(一) 前認定のように同人は、昭和七年九月二一日生れで、昭和三七年一二月気管支ぜんそくに罹患し、前認定の経過をたどつて、昭和四六年七月一〇日ぜんそく発作により、窒息死するにいたつた。
証人瀬尾清二の証言によれば、亡瀬尾宮子は、右発症当時主婦として家事に従事するかたわら、網補修の内職等をしていたことが認められる。
佐川鑑定の結果によれば同人の昭和四〇年七月一日から死亡までの労働能力は、別表44のとおりであると認められるが、前記二・1・ニ・(一)の理由により、昭和四一年前半、四三年後半、四六年前半の喪失割合はいずれもL2、四二年前半のそれはL3であると認めるべきである。
そして、亡瀬尾宮子の喪失利益についても原告石田かつについて説示したところと同様に全女子労働者の年令階級別平均賃金によるのが相当であるから、別表6により昭和四〇年七月一日から同四六年七月一〇日までの喪失利益を算定すると、次のとおりである。
また、同人は死亡当時三八才であり、就労可能年数は二五年であると認められるが、右死亡後の期間について控除すべき生活費は、収入の三分の一と認めるのが相当である。
右により、昭和四六年七月一一日から二五年間の喪失利益を昭和四六年七月一一日現在における額に換算すると、次のとおりである、
(二) 右合計額は、別紙二のとおり七一五万三五二円である。
三 慰謝料
1慰謝料算定のうえで、原告らに多かれ少なかれ共通する事情として考慮した点は、次のとおりである。
イ 前記一の公害事件の特質および本件疾患の特徴
ロ 肉体的苦痛
前認定のように、原告らの本件疾患は、昭和三六年ないし昭和四〇年に始まり、爾来一〇年ないし六年余の長期にわたつており、かつ、将来治ゆの見込みも立たない。
そして、ぜんそく発作は気道狭窄のため呼吸困難を起すものであるが、その苦痛は後記説示のとおり甚大であると認められる。
ハ 精神的苦痛
長期にわたる闘病生活、特に、前認定のような昭和三七年ないし昭和四〇年以来の長期入院生活による精神的苦痛や、いつ退院できるか判らない、あるいは一生涯退院できないかも知れない不安はきわめて大きいというべきである。
のみならず、原告各本人尋問の結果によれば、ともに本訴を提起した亡瀬尾宮子の突然の死は、同人が原告らの中で最も若く、また、あまりにも突然の死亡であつたため、原告らに大きな衝撃を与え、死がいつ突然襲つてくるかも知れないとの恐怖感を深めたことが認められる。
ニ 家庭生活の破壊
前記のような長期の療養生活は、原告らから家庭生活の楽しみを奪つたばかりでなく、一家の生活のにない手である原告らの場合は、経済的にも逼迫させ、家庭生活は破壊の危険にさらされていることが窺われる。
2次に、原告らの個別的慰謝料算定の基礎となる事情について検討する。
前認定の第二の三・3・ロの事実および原告ら各本人尋問の結果ならびに証人瀬尾清二の証言によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
イ 原告塩野輝美
(一) 原告塩野は前記のとおり、昭和七年二月一日生れで、尋常高等小学校卒業後船大工を職としてきたが、親方の兄の仕事を手伝うため、昭和三四年七月ころ松阪から磯津へ移住し、昭和三九年ころに独立して仕事を請負うようになつた。この間、風邪や腹痛などのほか病気らしい病気をしたことはなかつた。
(二) 昭和三八年夏ころから、風邪をひいていないのにせきをするようになつたが、翌三九年七月ころ最初の発作に襲われた。すなわち、朝洗面をしようとしたとき急に息苦しくなり、洗面を中止して磯津の中山医院へかけ込んだ。ここで、気管支ぜんそくと診断され、このときは注射で治つたが、以後頻回の発作に見舞われ、昭和四〇年六月公害病の認定を受けた。そして、中山医院へ通う回数がきわめて多かつたので、同医院から入院を指示されて、昭和四〇年一一月ころ塩浜病院へ入院し、それ以来昭和四一年五月六日から同月九日までの四日間を除き入院している。
昭和四五年以降発作回数も減り、比較的良好な経過をたどつている。
(三) 発作時の苦痛は、原告の言によれば、今にも首が絞められて、息が詰まりそうであり、冬の寒い日でも苦しさのあまり汗をかくほどである。また、出先で発作を起すと、発作止めの薬で押さえながら病院へ帰るのであるが、その間自転車のペダルを踏むこともできず、ひどいときは、バスで一区間ほどの距離を歩くこともできなかつた、という。
(四) 家庭は妻と娘二人(昭和四六年九月当時一四才と九才)であるが、生活を維持してゆくのには原告自身働かざるをえない。
発病後は、船大工の請負の仕事をやめ、前認定のように職を変えつつ、病苦と闘いながら働いている。
この間、妻も働くようになつたが、これらの収入だけでは十分ではなく、借財をしなければならない時期もあつた。
ロ 原告中村栄吉
(一) 原告中村は、前記のように、明治四三年八月一一日磯津で生まれ、小学校卒業後ころから漁業に従事し、発症当時は漁船の船頭兼日雇などをしていたが、本件発症前はきわめて健康であつた。
(二) 昭和三七年一一月自宅で、せき、息苦しさを来たし、磯津の中山医院で治療を受けた。その後も右のような状態をくり返し、昭和四〇年三月ころから発作が一段と強くなり、長山医院の強い勧めにより、同年六月一四日塩浜病院に入院し、同月二二日公害病の認定を受け、ひき続き入院して現在に及んでいる。
入院後の症状については、入院の初めのころが重く、入院当初から空気清浄室に入り、酸素テントを使用したこともあつた。
(三) 同原告は、発作のひどい時は息をとめられる状態になり、吸うことも吐くこともできず、肩で息をしているのが精一杯であり、そのようなときは意識をなかば失い、気がついたときは、寝台から落ちていたということもしばしばあつた、という。
(四) 同人には、妻と漁師をしている息子夫婦および孫二人があるが、息子夫婦とは、生計を別にしており、妻が神経痛であるため、原告自身生活を維持するため働かざるをえず、前認定のように魚の運搬船などに乗つて稼働しているが、稼働日数は減少し、若干の貯えも使い果たしてしまつた。
ハ 原告柴崎利明
(一) 同人は前記のとおり、昭和二年五月二八日愛知県幡豆郡一色町に生まれ、漁業等に従事していたが、昭和三〇年結婚し、そのころから磯津に居住し、漁期には漁船に乗り子として乗り込み、漁閑期には近隣工場等で日雇をしていた。この間病歴としては、腹痛やけがの程度で健康体であつた。
(二) 昭和四〇年六月、被告油化工場内で補助的な軽作業に従事中、突然、いつまでも止まらないくしやみと、のど鳴りに襲われて息苦しくなり、作業を中止して中山医院で治療を受けた。
その後このような状態はほとんど毎日のように続き、さらに一日二回、三回とくり返されるようになり、右医院から入院を勧められたが、入院後の家計等を考え、通院治療を続けていた。しかし、発作が日増しに激しくなり、同年九月三〇日猛烈な発作に見舞われるに及んで、塩浜病院に入院し、爾来現在に及んでいる。
入院後の経過は、発作の回数等は減少してきたが、これは事前の発作止めの処置が機宜をえてきたことにもよる。
(三) 同人の家庭は、妻と昭和四六年九月現在中学二年と小学四年の女児二人であつて、生活を維持するためには、原告自身稼働しなければならない。
発症後の同人の稼働状態は、前認定のとおりであるが、とくに入院前後のころは稼働日数が激減し、親戚等から借金し、民生委員から生活保護法による扶助を受けてはどうかとすすめられたこともあつた。
昭和四〇年七月ころから妻が働くようになり、原告の稼働と相まつて辛うじて生計を支えている。
ニ 原告藤田一雄
(一) 原告藤田は、前記のように昭和三八年一一月一六日生れで、戦前から磯津に居住し、海軍燃料廠に二年間くらいつとめたことがあるが、青果物商と農業とを営んできた。
(二) 昭和三六年一〇月夜、突然、息がつまる感じの呼吸困難、ついで咽頭痛、せき、たん、ぜん鳴をきたすようになり、発作時には中山医院で治療を受けていた。
昭和三九年一月に行なわれた前記磯津での集団検診の結果、同年二月五日塩浜病院に入院し、それ以来ほとんど病院から出たことがなく、夜自宅に泊つたのは、娘の結婚式の折の二晩くらいのものである。
同人の病状は、前記のように、肺気腫にまで進み、とくに、昭和四五年秋から病状が悪化し、昭和四六年二月七日には、危篤状態となつて、家族が呼び寄せられたが、幸い危機を脱した。
しかし、その後日常の起居も自分でできない重篤な状態が続いている。
(三) 発作時の苦痛について、同原告は、ベッドからすべり落ちて、のたうちまわる状態であり、あるいはベッドから降りてベッドにつかまり苦しみに耐える状態であつて、とうてい言葉に表わせない、という。
(四) 家族は、妻と娘夫婦および孫が三人いるが、前記のように入院以来ほとんど病院から出たことがないため、家庭生活の楽しみを味わう由もなく、日常の起臥さえ意の如くならない状態である。
ホ 原告石田かつ
(一) 原告石田かつは、前記のように、明治三八年一月一二日磯津で生れ、磯津で生活してきた。
昭和二〇年ころの八月に夫が死亡したが、子らのために家庭の主婦として家事に従事するかたわら、毎年三月ころから一二月ころまでの間、煮干加工業者のところへ手伝いにいつたり、のりを作るのに使用する「す」を刈り取る仕事などに従事していた。
同人は、一九才のとき、肋膜炎をわずらつたことがあるが、そのほかは、これという病気もせず健康であつた。
(二) 昭和三六年四月、せきが続き、同年五月初めころに突然呼吸困難の発作に見舞われた。その後も、断続的に発作に見舞われ、身体が衰弱するので、同年九月七日四日市市立病院に入院した。入院後発作が起こらなかつたので、同年一〇月三〇日退院した。その後退院すると発作が起き、入院しては軽快するということから、入退院をくり返し、昭和三七年六月七日市立病院から塩浜病院に転院したが、同病院においても入退院をくり返し、昭和三八年二月一二日三度目の入院をして、以来ひき続き現在に及んでいる。
三度目の入院後の病状は、当初は発作が一か月三、四回程度であつたが、その後減少し、昭和四〇年ころからは逆に増加し、現在に及んでいる。
(三) 原告によれば、発作の激しいときは、苦痛から逃れるため自殺しようかと思つたことさえあつたが、子供のことを考えて思いとどまつたという。
現在家庭には、二女、四男夫婦(昭和四六年二月結婚)、五男があるが、塩浜病院への三度目の入院後家に寝泊りしたのは数えるほどしかなく、原告の最大の望みは、病気が幾分でも軽くなつて、家族と共にたとえ一日でも過ごしたいということであるという。
ヘ 原告野田之一
(一) 原告野田は、前記のとおり、昭和六年一二月一六日磯津で漁師の長男として生まれ、一五才ころから漁業に従事し、本件疾患に罹患した当時は、乗り子として漁業に従事するかたわら日雇として働いていた。
本件罹患前は、体力に恵まれ、力自慢で肺活量も大きく、きわめて健康であつた。
(二) 昭和三七年二月ころ、突然、せきおよび呼吸困難に見舞われ、磯津の中山医院に通院したが、次第に症状が強度となり、かつ、冬季だけでなく夏季にまでくり返すようになつた。昭和四〇年春には、連日のようなぜんそく発作に体力も疲労し尽し、近隣の人も見かねる状態になり、医師の勧めによつて、同年六月一日塩浜病院に入院した。
それ以来、ひき続き入院して現在に及んでいるが、入院によつて、入院直後ころの連日の発作により体力が疲労し尽すという状態は脱したものの、最近においても、一か月約二五ないし三〇本の発作止めの注射をしている状態である。
(三) 同人は二六才のとき結婚し、前記発病直前ころは、恵まれた体力を有していたのに、本件罹患と入院とにより、精神的にも大きな打撃をうけた。しかも、生活を維持していくのには原告自身働かざるをえず、発病後は、前認定のように稼働日数を制限されながら病苦と闘いつつ働いている。
ト 原告石田喜知松
(一) 原告石田喜知松は、前記のように、明治二六年八月磯津で生まれ、約四年間の軍隊生活を経て家業である湯屋を継ぎ、そのかたわら若い衆を二人くらい雇つて定置網漁業を営んできた。
本件疾患にかかるまで、医者に手をもつてもらつた記憶がないほど健康に恵まれていた。
(二) 昭和三七年五月の朝、被告石原四日市工場付近の海で定置網を上げる作業をしているとき、突然、胸苦しさに襲われ、言葉を発することもできなくなつたので、雇人に手真似で連れ帰つてくれるように頼み、かつがれるようにして中山医院へ運ばれ、治療を受けた。
その後、毎日のように、定期的に発作に襲われ、中山医師の往診を受けたが、昭和三九年一月二〇日強度の発作を起し、塩浜病院に入院した。
同年二月一日塩浜病院を退院し、その後も同病院に通院して注射をしてもらつていたが、そのころから塩浜駅前の娘の家に寝泊りし、日中だけ磯津へ帰る生活をするようになつた。そうすることで、夜中の発作が幾分軽くなつたからである。
昭和四〇年五月症状が増悪し、塩浜病院今井医師のすすめにより、同年六月一日同病院に再入院し、以来、現在までひき続き入院中である。
入院当初は、気管支ぜんそくであつたが、その後、慢性肺気腫の疑いがあり、前認定のように高令であることと相まつて、今後回復の可能性はない。
(三) 同人によれば、発作時の苦痛は他の原告らと同様であつて、のど三寸くらいのところに栓をつめ込まれたような思いで苦しまぎれにのたうち回り、のびてしまうほどである、という。
家族は、妻と息子夫婦および孫三人であるが、再度の入院以来、家に寝泊りしたことはほとんどない。
チ 亡今村善助
(一) 今村善助は前記のとおり、明治二三年三月二〇日磯津に生まれ、若いころから漁業に従事してきたが、昭和三五年一〇月ころにやめ、その後は、網修繕の内職や畑仕事などをしていた。
同人には、前記のように、肺炎と肺結核の既往症があるが、そのとき以外は、おおむね健康で右職業に従事していた。
(二) 昭和三六年一〇月ころ自宅で熱が一週間くらい続いたあげく、呼吸困難を訴えて苦しみだし、せき、たんをきたし、磯津の中山医院で治療を受けた。続いて、その紹介により塩浜病院で診察を受けたところ、気管支ぜんそくと診断され、同年一一月同病院に入院した。
その後、右病院に入退院をくり返し治療を受けたが、退院して帰宅すると、ぜん鳴発作を起こした。
そして、昭和三九年六月一三日に入院して以来ひき続き死亡まで遂に退院することはなかつた。
すなわち、同人はぜんそく発作の苦痛にさいなまれながら、酸素テントの中で栄養注射を受けるなどして、命をつなぎとめてきたが、病状は、気管支ぜんそくから肺気腫に移行するなど悪化し、昭和四三年七月ころから発作が重積し、同年一二月ころから全身の衰弱が著るしくなり、昭和四四年三月一四日死亡するにいたつた。
(三) 同人は、昭和一六年一〇月ころ妻の甥に当たる原告今村末雄を養子に迎え、昭和四〇年に妻を亡くしたが、原告末雄夫婦と孫五人に囲まれて余生を楽しもうという矢先に、本件疾病に罹患し死亡するにいつたもので、この点からしても、その精神的苦痛は甚大であつたと認められる。
リ 亡瀬尾宮子
(一) 瀬尾宮子は、前記のとおり、昭和七年九月二一日磯津で生まれ、昭和三〇年一月サンドポンプ船の乗組員であつた原告瀬尾清二と結婚し、原告喜代子、日登美、篤哉の三児をもうけた。
同人は、結婚後一年半ほど伊勢の東豊浜町に居住したほかは、磯津に居住し、夫清二は漁業に従事し、宮子は主婦として家事をするかたわら、水産加工業者のところへ働きにいつたり、網修繕の内職などをしていた。
(二) 同人は、昭和三七年一一月肺炎に罹患し、同年一二月からせきが始まつて息苦しさをきたし、さらに、ぜんそく発作を起こすようになつて、前記中山医院で治療を受けた。
しかし、症状はいつそう増悪し、昭和三九年一月の磯津における集団検診の結果、同年二月二二日塩浜病院に入院し、同年三月四日一時退院したものの、同月二五日再入院し、それ以来死亡まで退院することはなかつた。
(三) ぜんそく発作の苦痛は、他の原告らと同様深刻であつて、発作の始めのうちは、自分で吸入の器械を持つて吸つているが、苦しさが増すにつれて、吸入器を持つた手を放して四つんばいになつてゼーゼー息をしている。軽いときは、それで治まるが、重いときは、四つんばいになつた手がしびれたようにけいれんを起こして倒れてしまい、倒れたときは、目をむいたままで、抱いて頬を打つても返答をせず、あわてて救急車を呼ぶといつた状態であつた。
(四) 同人は、漁師の夫と幼少の子ら(昭和四六年一〇月現在、喜代子一五才、日登美一一才、篤哉九才)を抱えて、病苦と闘いながら必死に主婦の責任を果そうとつとめた。
すなわち、同人は、午後四時ころ病院から家に帰つて夕食の仕度をし、翌朝二時ころ起床して夫を漁に、午前七時ころ子供らを学校にそれぞれ送り出し、午前八時から九時ころのバスで病院に帰り、四時ころまで病院で治療を受ける、ただし、夫の漁が休みで本人の身体の具合が悪いときは、夕食の仕度をして病院に帰つて寝る、という日課をくり返していた。
しかし、昭和四六年五月ころからぜんそく発作が重なるようになつたため、夜病院で過ごし、朝六時半ころ帰宅して家事を済ませ、夜八時半ころ病院に帰るという生活をしていた。
(五) 同人は、前記のように、昭和四六年七月一〇日急死した。夫と幼少の子らを残しこの世を去らなければならなかつた同人の死は、いたましい限りであるというべきである。
同人の死後は、原告喜代子が母の代わりに主婦の役割りを果たそうと決意し、高校を中退して家事をするかたわら働いている。
3以上の1、2の事実、その他本件各証拠に表われた諸般の事情を総合して考えると、原告らおよび亡今村善助、同瀬尾宮子の肉体的精神的苦痛に対する慰謝料として、別紙二記載のとおり、亡瀬尾宮子に対し金五〇〇万円、亡今村善助に対し金四〇〇万円、原告藤田一雄に対し金三〇〇万円、原告塩野輝美、同中村栄吉、同柴崎利明、同石田かつ、同野田之一、同石田喜知松に対し各金二〇〇万円ずつをもつて相当と認める。
四前認定のように、原告今村末雄は亡今村善助の養子であつて同人の相続人、原告瀬尾清二は亡瀬尾宮子の夫、同瀬尾喜代子、日登美、篤哉はいずれも宮子の子であつてその相続人であるから、それぞれ前記二および三の故人らの喪失利益および慰謝料の損害賠償請求権を承継取得した。
その金額は、別紙二の右各原告欄記載のとおりであつて、原告末雄は、亡善助の右合算額金五三七万五、三〇五円の全額であり、原告瀬尾四名は、亡瀬尾宮子の右合算額金一、二一五万三五二円を相続分に応じて分けた金額で、原告瀬尾清二は、金四〇五万一一八円、原告瀬尾喜代子、同日登美、同篤哉は各金二七〇万七八円である。
五 弁護士費用
<証拠>によれば、原告らは、昭和四六年一一月三〇日、四日市公害訴訟弁護団弁護士北村利弥外七〇名に対し、本件訴訟第一審終了の際に報酬として本訴認容額の二割の金員を支払うことを約したことが認められる。
そして、原告らが本訴を提起し、これを遂行するうえで弁護士に依頼することは、原告らの権利を擁護するうえで必要やむをえない措置であつたものと認められ、これによる支出のうち、本件事案の複雑困難性、請求額、認容額、その他諸般の事情をしんしやくして、本訴認容額の一割の金員は、本件不法行為と相当因果関係にたつ損害として被告らが賠償義務を負うべきものである。
そうすると、右被告らの負担すべき弁護士費用の額は、別紙二の喪失利益と慰謝料との小計欄の金額の一割に相当する同表の弁護士費用欄記載の各金額となる。
第六 結論
よつて、被告らは、各自原告らに対し別紙二の請求認容額一覧表合計欄記載の各金員および原告塩野、同中村、同柴崎、同藤田、同石田かつ、同野田、同石田喜知松に対し内金二〇〇万円については訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四二年九月一〇日から、その余の金員については請求の趣旨を拡張した第一〇準備書面送達の日の翌日であることの明らかな昭和四六年一二月八日からいずれも支払いずみまで年六分の割合の遅延損害金、原告今村に対しては右金員に対する被承継人今村善助死亡の日の翌日である昭和四四年三月一五日から、思告瀬尾清二、同喜代子、同日登美、同篤哉に対しては右各金員に対する被承継人瀬尾宮子死亡の日の翌日たる昭和四六年七月一一日から、いずれも支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の各支払義務があることが明らかであり、原告らの本訴請求は右の限度において正当であるから、これを認容し、その余は、いずれも失当として棄却するべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱の宜言は付さないのを相当と認め、主文のとおり判決する。(米本清 後藤一男 川田嗣郎)
別紙二 請求認容額一覧表
塩野輝美
中村栄吉
柴崎利明
藤田一雄
石田かつ
野田之一
石田喜知松
喪失利益
8,272,265
7,093,260
11,410,615
7,613,865
1,379,093
8,875,596
3,022,213
慰藉料
2,000,000
2,000,000
2,000,000
3,000,000
2,000,000
2,000,000
2,000,000
小計
10,272,265
9,093,260
13,410,615
10,613,865
3,379,093
10,875,596
5,022,213
弁護士費用
1,027,227
909,326
1,341,062
1,061,387
337,909
1,087,560
502,221
合計
11,299,492
10,002,586
14,751,677
11,675,252
3,717,002
11,963,156
5,524,434
今村末雄
瀬尾清二
瀬尾喜代子
瀬尾日登美
瀬尾篤哉
喪失利益
(1,370,305)
(7,150,352)
慰藉料
(4,000,000)
(5,000,000)
小計
(5,375,305)
(12,150,352)
相続額
5,375,305
4,050,118
2,700,078
2,700.078
2,700,078
弁護士費用
537,531
405,012
270,008
270,008
270,008
合計
5,912,836
4,455,130
2,970,086
2,970,086
2,970,086